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抜粋 まえがき

 笑いは「快」の感情表現である。もっとも、会社が倒産したばかりの中小企業経営者がTVでマイクを差し出されて、見ると口許が笑っていたりすることがある。これは「もう笑うしかない」という場合の笑いだ。また世界に知られた日本人特有のあの「無意味な愛想笑い」というのもある。したがって正確を期するなら「笑いは〈おおむね〉快の感情表現である」と言わなければならない。
 ともかく人が笑うのは〈おおむね〉愉快なときだ。笑いの多い愉快な人生を誰もが望んでいる。また笑いは伝染する。幼児のあどけない笑顔ほど可愛いものはなく、周囲の肉親はそれを見て他愛もなく無条件の幸福に満たされて笑う。「人は一人でも泣けるが、一人では笑えない」と歌の文句にあるが、笑いはすぐれて社会的な現象だともいえる。
 ある社会がどの程度に笑いで満たされているか、それによってその社会の幸福度を測定することもできるだろう。国民の経済的な豊かさを測る指標として国民総生産(GNP)を用いることがあるけれども、むしろ「笑いの量」で国の社会的な幸福度を測る「国民笑生産(GNL)」という指標を考えてもいいのではないか。ものの本によれば、健常な若い日本人女性なら一日にだいたい百回笑うのだそうだ(志水彰他著『人はなぜ笑うのか』講談社)。このところ日本の国力の衰微を嘆く声がとみに高いが、これからは「国民一人当たりの笑い量」で勝負していくのも悪くない。一番の利点は金がかからないことだ。
 ところで「笑い」はどんな所から湧いて出るものなのか。ひと口に「お笑い」と表現されるサービス業があり、数分間のコントで笑いを醸す漫才芸人がもてはやされている。私はそれについて別に文句はない。ただ望むらくは、一過性(瞬過性というべきか)の笑いでなく持続性のある笑いを国としては追求すべきだろう。なぜなら 国民笑生産は(笑いの平均持続時間)×(回数)の総量 だからである。
 持続力のある笑いはどこから生まれるのか。有力な源泉の一つが「教養」だ。教養って何だ、と大上段に問われると返答に窮するが、とにかく「勉強しないと身に付かないもの」とは言えるだろう。教養を身につけるためには学問ということをしなければならない。
 学校の勉強を苦役のようにしか感じてこなかった人には、「学問」と「笑い」といえば対極にあるもので、学問から笑いが生まれると言われても奇異に聞こえるだけかもしれない。実際はそんなことはないのであって、学問をして教養が高まれば人はより多くの笑いの種を発見することができるようになる。笑いの種を発見するためのいわば「視力」を養うのが学問である。また学問すること自体が豊かな「笑源」との出会いである場合も少なくないのだ。それは本書を読めば理解できるはずである。
 義太夫節の修業で言われる格言に「笑い三年泣き三月」というのがある。泣きを演ずるのは三カ月でもできるが笑いを演じてみせるには三年はかかるという意味で、芸で笑うことのむずかしさを諭した言葉だ。文章の場合は、自分で笑っちゃいけない。ましてここで読者に提供しようとしているのは「教養」であり「学問」ですらあるわけだから、内容はあくまでも真面目でなければならない。
 私としては、本書を読んだ高校生や大学生諸君が、教養の大切さと学問の面白さに目覚め、俄然、向学心を燃え立たせる事態を期待しているわけである。何しろ六十の学問分野を網羅し、その核心に迫る面白さを間違いなく伝達しようという、百科全書の編纂にも比すべき試みなのである。これを壮挙と言わずして何が壮挙か、と言いたいところだ。
 ただ、ひと言お断りをしておこう。本書の内容が真面目であることは嘘ではないが、世の中には「真面目な冗談」というのもある。実は、洗練された嘘や冗談を並べるのは滔々と真理を語るよりずっとむずかしいのだ。学問はむずかしいものであるから、学問の書である本書も当然のことながら、真理ばかりを並べるような安易な道は歩まない。あちこちに嘘や冗談をちりばめることはあえて厭わずに書いている。というより、どっちかというと冗談のほうが多いと言うべきかもしれない。こっちが冗談のつもりで書いてるのに本当の話だと真に受けられては困る場合がある。ここはひとつ、眉にちょっと唾をつけてお読みいただきたい。というか、むしろとりあえずぜんぶ冗談だと思って読んでいただいたほうが身の安全である。

書評 福島民友新聞 2012年6月30日

「笑いは〈おおむね〉「快」の感情表現である」
「笑いの量」で国の社会的な幸福度を測る「国民笑生産(GNL)」という指標を提唱し、笑いの種を発見するための、いわば「視力」を養うのが学問であると、福島大経済経営学類教授の著者は説く。
本書は洗練されたうそや冗談を並べるのは、滔々と真理を語ることより難しいと語る著者が、60の学問分野を網羅した「真面目な冗談」の数々を通じて、若い世代に教養の大切さと学問の面白さに目覚めることを期待した、いわば百科全書の編纂にも比すべき試み。昨今の日本の国力の衰微を嘆く声が多い中、今後は持続性の笑いを追求し、「国民1人当たりの笑い量」で勝負していくのも悪くないとも。
地域情報誌「伊達毎月新聞」(月1回、CIA発行)に「狩尾すてろう」のペンネームで連載してきたエッセーに見掲載分を加えて収録した。