ホーム
サイト内検索

抜粋 はじめに

 再び、屈辱の日
沖縄が、ただならぬ言葉を発し始めている。
「沖縄差別」、「沖縄の屈辱」――。
発した沖縄にとっても、向けられた私たち沖縄県民以外の日本人にとっても、辛く、切なく、そして厳しい言葉だ。
仲井真弘多沖縄県知事が、2010年4月 日の9万人(主催者発表)が集まった「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・海外移設を求める県民大会」での挨拶で語ったのが、「(沖縄に対する)差別に近い印象を持たざるを得ない」という、彼にしては激しい言葉だった。
さらに、鳩山由紀夫首相が5月 日「普天間飛行場の代替基地を名護市辺野古崎沖に造らざるを得ない」と発表したときに、それに対し稲嶺進名護市長が返した言葉が「これは新たな沖縄の屈辱の日」である。沖縄県の他の首長たちも、同じような発言を繰り返している。
地方行政組織のトップたちがそろって、日本政府に対しはっきりと拒否の言葉を投げつけたのだ。それも「差別」「屈辱」という最大級の激しい言葉を使って。
少数の首長の反抗はこれまでもあった。たとえば、住民基本台帳ネットワークへの接続を拒否した東京都国立市の市長や福島県矢祭町町長などの抵抗がそれである。しかし、全県挙げての首長たちの反抗という例はかつてなかった。むろん首長たちの反抗の後ろには、それを言わせた住民たちの強い意志がある。

 地方の反乱
差別と屈辱――。
日本という国家の最高政治責任者である総理大臣に、一地方でしかない沖縄が突きつけた怒りの言葉。これは地方による国家への途轍もない不信の表明である。言葉の厳密な意味で、国家への反逆といっていい。
日本という国家が、戦後初めて経験する地方丸ごとの反乱。それは、これまでの市民運動や政治運動の枠を超えた巨大な抵抗である。
これまでも地方の抵抗運動は各地に起きていた。小さくはマンション建設反対運動から、反原発や巨大ダム反対、産廃処理場反対、自然保護、さらには政府のさまざまな施策に対する抵抗や反対。しかしその多くの場合、市民の側が権力に押しつぶされてきた。地方の中の、さらに一地域の問題として地域のエゴと受け取られ、市町村や県単位の運動にまで拡げられなかったことも、敗北の理由だったろう。同じ方向で大多数の住民がまとまることの難しさを、それは示している。しかし今回の沖縄の反乱は、その難しさを超えた。

どのような運動でも、運動というものは常に異論を内包している。したがって、異論は外部からではなく内部に生まれる。政府に反抗するような運動である場合、それを潰すために異論を引き出そうと画策するのは、当然のことながら権力そのものである。権力を後ろ盾にした異論は、やがて少数から多数へと増殖する。異論がいつの間にか正論となる。
これが国家と対峙する少数者の運動の宿命でもある。
だが今回の沖縄の事態は、そのような運動とは様相を異にする。むろん、内部に異論は抱えながらも、ほとんど全県を挙げての国家への抵抗運動となりつつあるからだ。権力がいかにカネをばらまこうと、異論はそれほど増殖しないだろう。結局、振興策なるアメによっても生活が豊かにはならなかったことを、どれほど懐柔策を弄しても、米軍の基地が居座るかぎり平穏な日常が帰ってこないことを、沖縄は体のもっとも深いところで知ってしまったからだ。
アメをしゃぶらせても、ムチの酷さをごまかすことはできなかったということだ。

 鳩山政権の崩壊
戦後 年もの間、忍従を強いられてきた沖縄に、希望の火をともしたのが2009年の政権交代だった。
普天間基地を海外へ、最低でも県外へ。そう胸を張って語る新首相の登場は、明らかに戦後の沖縄史上初めてだった。それを沖縄は全身で受け止め、全身で歓迎した。
だが、歓迎を失望に変えたのもまた、首相だった。
2010年5月 日、鳩山首相による辺野古移設案発表。事前に予想されていたこととはいえ、それは見事なまでの沖縄県民に対する裏切りだった。この日、激しい雨の中の沖縄に怒りの声が渦巻いたのは当然だった。
同日、鳩山首相は、「普天間飛行場の移設先は辺野古崎」と明記された閣議決定書にサインを拒んだ社民党党首の福島瑞穂・消費者及び食品安全・少子化対策担当大臣を罷免した。それを受けて同 日、社民党は正式に連立政権からの離脱を表明、民主・社民・国民新3党連立政権はここに崩壊した。連立政権誕生から、わずか8ヵ月しか経っていなかった。
しかし、この福島大臣罷免劇は、どう考えても理屈に合わない。不可思議である。なぜか? それは、罷免理由がおかしいからだ。社民党代表でもある福島氏は、罷免について、自身のブログ「福島みずほのどきどき日記」(5月 日付)に、次のように書いている。
「今日行われた臨時閣議で、罷免されました。罷免を受けて、社民党本部で記者会見を開きました。記者会見で申し上げたことは次のようなことです。
私は沖縄を裏切ることはできません。これ以上の負担の押し付けに加担することはできません。日米共同声明に普天間基地の移設先として、辺野古沖が明記され、それを容認する署名はできません。
私は言葉に責任を持つ政治をやりたいと思っています。
署名を拒否したことには3つの大義があります。
1つ目は、沖縄の市民と日本国民の連帯です。国民の期待に応えなければなりません。
2つ目は、国民と日本政府の信頼関係。国外、最低でも県外と約束してきたのにそれが破壊されました。
3つ目は、日米関係です。地元の人たちが賛成しないことは熟知しているのに、沖縄の同意なしの移設はいい結果にはなりません。
鳩山総理のおっしゃる通り辺野古の海を埋め立てることは自然への冒涜です。
社民党も、私も、まったく変わっていません。私の罷免は、沖縄を切り捨てることであり、国民を裏切ることです。
言葉に責任を持つ政治をやらなければなりません。沖縄、国民、世界中の人と手を結んで問題解決に邁進していきます。皆さんと一緒に新しい時代を切り開いていきたいと思います」
ここで福島氏が語っていることは、実はこれまで鳩山首相が繰り返し主張してきたことと同じなのだ。
鳩山首相はかつて「沖縄のみなさんに、これ以上の負担をおかけするわけにはいかない。普天間基地の移設先は海外、最低でも県外へ」と繰り返した。また移設については、「沖縄のみなさんと、連立与党間、アメリカ側、この3者の合意と了解を得て決定する」、さらには「辺野古の海を埋め立てるのは、自然に対する冒涜だ」とまで「口走った」のである。
つまり、鳩山首相が言い続けてきたことは、福島党首が「署名できない理由」として挙げたことと同じなのだ。ということは、鳩山首相は「自分の意見と同じことを言ったから」というまことに奇々怪々な理由で、自分の内閣の閣僚を罷免してしまったことになる。こんな不可思議な罷免劇は見たことがない。
ふつう、自分の内閣の閣僚を罷免するときの総理大臣の理由は「暴言妄言を吐き、内閣の一員としてふさわしくない」とか「総理大臣たる私の意見と違う考えの意見を公表した」、さらには「汚職が発覚」、「異性問題スキャンダルなどの不祥事を起した」などによるものが大半だ。かつての自民党内閣で罷免、もしくは辞職に追い込まれたお歴々の顔を思い出してもらえれば、すぐに分かることだ。
ところが今回はまったく違う。
鳩山首相はアメリカに顔を向け、沖縄県民を裏切り、そして新しい政治の誕生を願って投票した多くの国民の願いを踏みにじった。
豪雨の中、鳩山首相に抗議する名護市の集会で、「鳩ではない、サギだ!」というプラカードを掲げて座り込む女性の姿がテレビニュースで流れた。鳩ではなくサギ…。一瞬笑いかけたが、とても笑えるような場面ではなかった。

私が沖縄について書こうとし始めてから、事態はめまぐるしく動いている。これからどうなるか、厚い雲の中である。

 心に杭は打たれない
かつて、東京都立川市に米空軍立川基地があった。
1957年、この米軍立川基地の拡張工事が行なわれようとしたとき、それに反対する地区住民や農民たちが、果敢な阻止闘争を展開した。その拡張予定地区が砂川という地名だったことから、この闘いは「砂川闘争」と呼ばれた。闘争のさい、住民たちはこう叫んだという。
「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」
確かに、このとき杭は打たれた。だが、心をひるませなかった住民闘争によって、ついに日米両政府は拡張計画を諦めざるを得なかったのである。
普天間飛行場の辺野古移設が日米政府間で合意されたのは、1996年のことだった。しかし、それから 年経っても、辺野古には杭は1本も打たれなかった。そしてこれから何年経っても、辺野古の海に杭が打たれることはないだろう。
2010年3月 日の国会での党首討論において、谷垣禎一自民党総裁の追及に、鳩山首相はこう答えた。
「辺野古に決まりかけていたと言うけれど、 年間かかっても、辺野古に杭1本打てなかったじゃありませんか」
鳩山首相は、今度は自分がそこへ杭を打とうとしたのだろうか。
だが、それは不可能になった。
鳩山首相は、6月2日、「政治とカネ、普天間問題」のふたつの理由を挙げて、政権の座から降りたのであった。代わって登場したのは菅直人首相である。

菅首相は、市民運動出身者として歴代首相とは異質な経歴の持ち主だ。そこに期待する人たちもいる。だが菅首相は早々と「普天間問題は日米合意を基にした解決を図っていく」と述べ、辺野古移設を前提にした日米協議を続ける方針を明らかにしてしまった。
沖縄県民は、またしても失望した。

普天間は、さらなる混迷へ投げ出された。辺野古の海も、穏やかではいられない。

書評 マガジン9

 オカドメノート 第83回
 
やはり、沖縄はなめられている(抜粋)

 やはり、沖縄はなめられている 当、「マガジン9」とも関係の深い鈴木耕さんが『沖縄へ』(リベルタ出版)という本を出した。サブタイトルには「歩く、訊く、創る」とある。沖縄を頻繁に訪れている鈴木さんがこの間、沖縄側から発せられた「沖縄の差別」や「沖縄の屈辱」という言葉に呼応して、書きあげた本だ。「訊く」という章では、大田昌秀、山内徳信、伊波洋一といった政治関係、三上智恵、謝花尚といったキャスター、普通の人々のインタビューが掲載されている。「創る」「読む」という項目も鈴木さんらしい。沖縄に対する思いが込められた内容になっており、当コラムを読んでもらっている沖縄関心派にとってはお薦めの一冊だ。…
 それはともかく、沖縄にいると日々の出来事やニュースもあるし、政治課題も山積みだ。東京からの来客もけっこう多いし、地元の人々との付き合いも多い方だ。マジに次の名護市議選をどうするか、県知事選をどうするか、民主党本部と民主党県連のネジレをどうするか、辺野古新基地建設をどう阻止すべきかといった問題で相談を受けることもあるし、取材やコメントを求められることもある。今や、沖縄では何でもこなす長老のような日常だ(苦笑)。…
 それでも、原点となる問題意識だけははっきりしている。沖縄の基地なき将来をどうするかだ。基地なき沖縄というと壮大な構想になるが、少なくとも普天間基地の代替施設は辺野古ではなく、県外・国外が原則である。嘉手納基地も即時閉鎖せよといっているわけではない。今ですら在日米軍基地の74%が沖縄に集中している。これ以上、沖縄に新基地をつくるという日米両政府の野心は断固拒否しなければならない。鈴木耕さんのいう「沖縄の差別」「沖縄の屈辱」をこれ以上、放置しないことが、東京からやってきた自分に課せられた役目だろうとも思っている。ホントは人生の休養のための沖縄だったはずだが、いつしか深入りしてしまった・・・。
 つい先日、前原国土交通大臣は、中断していた泡瀬干潟の埋め立て工事を、国費を投入して再開すると発表した。沖縄市の東門美津子市長が出したばかりの見直し計画案を速攻で一発回答。自然破壊の元凶であると主張する埋め立て反対派も巨額の投資に見合う経済効果を疑問視する人々も前原大臣の大盤振る舞いにビックリ仰天である。この前原大臣は北部振興策も基地とリンクしない形での支援策を発表。そんなことあるわけがないだろう。自民党政権時代よりもタチの悪い国費のバラマキであり、辺野古に新基地をつくりたい思惑がミエミエである。効果的な運用が疑問視される科学技術大学院大学も沖縄の基地対策と連動した無駄な投資として、本来は事業仕分けの対象にすべきではないのか。少なくとも縮小か路線変更だ。二重行政のシンボル・沖縄総合事務局、沖縄防衛局、沖縄大使もいらない。岡田外相や北澤防衛大臣らの沖縄に対する上から目線による新基地押し付けも呆れるほど傲慢なヤリクチだが、前原大臣の巧妙な沖縄潰し、骨抜き作戦も要注意である。やはり、沖縄はなめられているのだ。差別と屈辱の沖縄を見て見ぬふりをする政治家や霞ヶ関の官僚は絶対許せない! これも、筆者の反権力の性ということか(苦笑)。                    (岡留安則)

      (http://www.magazine9.jp/okadome/100811)

書評 マガ9レビュー 第149回

 瑞々しい装幀だ。沖縄の自然や町の織りなす色彩をアレンジしたタイトル文字、手触りのいい紙質。作り手の沖縄への愛情が伝わってくる。重いテーマを扱っているにもかかわらず、読み終えたいまも、最初に手にとったときの印象は変わらない。
 著者は30年近くにわたって沖縄を訪問し続けている。本島から足を伸ばして渡った島の数も多い。
 本書は「沖縄が、ただならぬ声を発しはじめている」との一行から始まる。この間、私たちは、普天間基地問題を巡る日本政府の迷走、それを腕組みしながら無言の圧力をかける米国政府の傲慢、そして問題の本質を伝えようとしない本土マスコミの偽善などを見せつけられてきた。
 マガ9でのコラムやインタビュー記事などから、著者の並々ならぬ沖縄へ思い入れを知る身としては、初っ端から、この地が強いられている現状への激しい批判が展開されるのではないかと予想していた。ところが文章全体は抑制が効いている。
 「第1章 沖縄を思う」で著者は、「定年後の趣味」となった散歩で訪れた自宅近くの「旧関東村」から話を始める。かつて米軍基地があったここは「関東村」と呼ばれていたが、返還後は教育施設やスポーツスタジアム、公園など、人々が集う場所となった。その変わりようを、著者はゆっくり歩きながら、自分の目で確かめる。そして、その記述は、沖縄での戦争、戦後の反基地闘争の歴史(「第2章 沖縄に返せ」「第3章 沖縄を歩く」)、大田昌秀元沖縄県知事をはじめとする行政の人々や現地ジャーナリストの声(「第4章 沖縄に訊く」「第5章 沖縄を伝える」)と読み進み、「第6章 沖縄に創る」に至って、俄然、生きてくるのである。
 この章で著者は自らの沖縄医療特区構想を披露する。米軍が撤退した後、米軍が落とす金や政府の補助金で成り立っていた地域経済をどうするのか? そんな反論も想定してのことだろう。自然豊かなこの地に高度な医療施設をつくって、世界のVIPも招へいし、たくさんお金を使ってもらおうというのである。井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」をヒントにしたというこの構想を、著者は「妄想」と断っているが、折しも「医療ツーリズム」が関心を集めている現在、「妄想」が「先見性」へ転じないとも限らない。旧関東村のいまを知った私たちは、米軍基地なき沖縄のイメージを具体的に思い描けるのである。
 「第7章 沖縄を読む」ではお勧めの沖縄に関する本が紹介される。学術書、小説、ルポルタージュ、エッセイとジャンルは幅広く、文献渉猟、フィールドワーク、インタビューなど、様々なアプローチで、沖縄のいまに迫ろうとする著者の姿勢を思わせる。ただし、本書が問う相手は、問題を沖縄に任せきりにしてきた私たち本土の人間である。著者がこれほどまでに沖縄に拘るのは、それが日本全体の問題であると認識しているからだ。                  (芳地隆之)

          (http://www.magazine9.jp/rev/100811)

書評 ジャーナリスト 2010年8月25日(第629号)

 自分の目と足を駆使して語る
 沖縄の〈風土・歴史・未来〉

 一連の沖縄報道でいつも疑問に思うことがある。これを書いた人は、沖縄に足を運んでいるのだろうか。沖縄の人たちと本音で話し合ったことがあるのだろうか。
 なかでも去年から続いている、普天間基地関連は特にそうだ。本当のことが見えてこない。官僚や政治家の思惑に沿って情報が操作されているとしか思えない。
 本書は、大手出版社を定年退職した名編集者の長年の想いが結実したものだ。つまり、そうした“しがらみ”から解き放たれたところから始まっている。
普天間基地はなぜ“移設“ではなく”返還“でなければいけないのか。”沖縄の怒り“とは何なのか。太田昌秀元沖縄県知事や、伊波洋一宜野湾市長、琉球朝日放送のキャスター、居酒屋経営者などをはじめとする、幅広い関係者へのインタビューは、東京のメデイアが取り上げない痛切な言葉が並んでいる。
 沖縄戦の真実、戦後の米軍占領下から祖国復帰闘争に踏み出す経緯。今だからこそ語られなければいけないことだろう。
 政治的な党派性ではなく、沖縄の風土や文化にまで触れつつ解きほぐしてくれる語り口には、沖縄への愛情がにじんでいる。“歩く・訊く・創る”と題された章の“創る”で披露されている“沖縄医療特区”構想は説得力がある。
 僕らは本当のことを知らされていない。沖縄で今、何が起きているのか、沖縄の未来はどこにあるのか。そして、国家とは誰のためにあるのか。大手メディアが垂れ流す官製情報に惑わされてはいけない。
                    (音楽評論家・田家秀樹)

書評 出版ニュース 2010年9月下旬号

〈沖縄に通い始めてから、ほぼ30年になる。最初は、南の島への単純な憧憬だった〉〈沖縄が揺れている。いや、沖縄が自ら望んで揺れているのではない。日米両政府や米軍の思惑の中で否応無く翻弄され続けているのである〉〈戦後65年を経てなお存在し続ける感情の距離は、いまだ縮まっていない〉著者は、出版社に就職後、数々の雑誌や新書の編集、編集長に携わる一方で、沖縄を訪れ、沖縄に関わってきた。本書は、沖縄を歩き、沖縄に訊き(元県知事から沖縄そば店の店長さんまで)、地元メディアの報道、「沖縄医療特区」構想、そして沖縄を読む書物の紹介まで、素朴な好奇心とダイレクトな問題意識で、沖縄を知る・学ぷ入門書としても好適なガイドに。

書評 通販生活 2010秋冬号「通販生活おすすめの本」

 米軍基地なき島々の
 素敵なイメージが湧いてくる。

 本書の特徴は、沖縄が戦中戦後から現在に至るまで強いられてきた不条理を告発するだけでなく、米軍撤退後の島々がどう生きるかを提唱するところにあります。その名も沖縄医療特区構想。世界有数のリゾートたりうる沖縄で、老若男女、貧困層からセレブまでを受け入れる医療ツーリズムの勧めです。これを著者は「妄想」と言いますが、読み終えた後、沖縄の自然や町が織りなす色彩をアレンジした装幀をもう一度見直すと、あながち不可能ではないかもと思えくる。そんな不思議な力が本書にはあります。

書評 週刊新潮 2010年10月28日号「BOOK」欄

著者は出版社出身のフリー編集者&ライター。この30年間沖縄を丹念に歩き、当事者に話を聞き、問題の本質を探っている。中でも米軍基地の中に村役場を造った読谷村の事例が興味深い。また著者が "妄想" として提案する「沖縄医療特区」構想も十分傾聴に値する。

書評 図書新聞 2010年11月06日号(No.2988)

 「沖縄差別」、「屈辱」の日々への
 怒りの声をリアルに伝える

 基地跡地に構想する「医療特別区」をユートピアに終わらせないために
 皆川 勤

 普天間基地移設問題で揺れる沖縄を訪れ、沖縄の人たちの戦時下から現在へと至る「沖縄差別」、「屈辱」の日々の実態を怒りの声をもってリアルに伝える本書は、「沖縄と本土との温度差」を埋めるべく出されたものだ。
 アジア太平洋戦争時、対米戦最前線の戦地として唯一、米軍が上陸し、多くの無辜の死を発生せしめた場所が沖縄であることを、わたしたちは忘れてはならないにもかかわらず、列島の辺境という空間的差別意識によって、沖縄は置き去りにされてきたといっていい。そもそも、琉球・沖縄は、江戸期に薩摩藩の横暴なる軍事力によってその支配下に置かれ、やがて強引に日本国に帰属された歴史を持っている。そして薩摩、長州の勢力が明治近代体制を構築し、現在まで続く官僚権力の淵源であることを思えば、負の機縁、負の連鎖とでもいうべきものを想起せざるをえない。だが、柳田國男の『海上の道』、吉本隆明の一連の『南島論』といわれている講演群や、島尾敏雄のヤポネシア論に喚起されたわたしは、沖縄(島嶼)から本土(列島)を見通す視線こそ、列島国家の基層を相対化しうることを知り、列島の存在性の過小さと、島嶼の存在性の重大さを理解したといえる。その時、わたしの中では、「沖縄と本土との温度差」というものはまったく転倒したことになる。だから例えば、一人当たりの県民所得額という統計的数字によって、沖縄県が全国最下位であることを流布することにどんな意味があるのかと、わたしたちは、疑念を抱くべきである。数字のレトリックは、米軍基地がなければ沖縄県民の生活は困窮するという錯誤した結語に誘導されていくだけだ。そのようなことを考えていけば、「沖縄と本土との温度差」ということは、「沖縄差別」と同じことで、本土中心の思考の中で高見から沖縄を捉えていくということに他ならない。だから、この温度差を埋めるためには、本書がそうであるように、あくまでも「沖縄」から、「本土」の現実的な問題を見通していくということでなければならない。そこで著者は、沖縄のジャーナリスト・謝花尚の次のような発言を紹介している。
 「僕らは沖縄にいるから、沖縄の視点で物事を捉えます。報道は公正中立に、というのは確かにそのとおりですが、それは量的にバランスを取るということとは違うと思うんです。/沖縄と日本(本土という意味ですが)というスケールで考えれば、沖縄が5だとすれば日本は500じゃないですか。その中間をとって中立ということをしたら、必然的に大きいほうへ寄っていってしまう。そこで公正中立なんてことが果たして成り立つのか。」
 本土を敢えて、日本といわざるをえないところに、謝花の痛切なる思いが伝わってくる。この間の普天間問題のマス・メディアの報道の仕方は、明らかに意図的なものが透けて見えるというのが、わたしの考えである。民主党が普天間問題をマニフェストに掲げ、解決に踏み出そうとした時、明らかに、それを潰しにかかったのは、わが国のマス・メディアだといっていい。
自公政権時ははとんど報道することがなかったにもかかわらず、狂奔的報道ともいえるかたちで鳩山政権にプレッシャーを与え続けていった。県内移設に舵をきりそうになると、今度は必死に沖縄県民の反対の声を報道し、鳩山政権を批判する。マス・メディアのほとんどは日米安保体制を是認しているからなのだが、それにしても、本土にいる人たちの普天間問題(米軍基地問題)への声をいっさい拾おうとせず、意図的に沖縄の反対の声だけを報じるという、ある意味、謝花の思いを逆説的なかたちで反映させたのが、この間のマス・メディアの様態だ。
 「沖縄では、またしても『沖縄独立論』が現実感を持って語られ始めているという。(略)『沖縄に基地が押しつけられるのは、一億三千万の国民の利益の前に、百三十九万の県民の利益が犠牲になるという数式の問題だ。変えるには沖縄が独立し、国と沖縄を一対一の対等な関係にするしかない』」と紹介しながら、著者は、「沖縄独立」ということに「立ち止まってしまう」という。わたしなら、「沖縄独立」の方が明快な立ち位置になると思うのだが、著者は、独立論の前に、まず返還された基地の跡地に、長寿の島・沖縄を象徴させるうえでも、「医療特別区」のようなものができないかと夢想する。いずれは(けっして悠長な意味でいうのではない)、グァムへの全面移転がなされれば、基地以後のことは急務のことになる。基地反対という現実問題は切実なものであることには変わりはないが、基地以後のことをしっかり見据えることも、現実間額への対時として重要なことだといえるかもしれない。著者の夢想する「医療特別区」を、沖縄の未来に向けたたんなるユートピアに終わらせないためにも、わたしたち本土の人びとは、この六十五年間の代償を真摯に考えていくべき段階に差し掛かっていると思う。
                           (評論家)

書評 沖縄オルタナティブメディア 2010年11月22日

 http://oam0.blog75.fc2.com/blog-entry-481.html

 本書は2010年4月25日に読谷村で開催された「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・海外移設を求める県民大会」に参加した著者が、そこに集まった沖縄県民のただならぬ言葉「沖縄差別」「沖縄の屈辱」を受け留め、ヤマトーンチュとして「とっても、辛く、切なく、そして厳しい言葉だ」としぼり出すように言葉を吐くところから始まる。既に30年近く沖縄へ通い続けている著者としては、沖縄の尋常でない怒りがもっともだと思う。しかし大多数の日本国民はその怒りの迸りを恐らく理解できないだろうこともまた、著者には想像できる。だからこそ、そのような日本人に向けて沖縄への理解を求めようという動機から本書は生まれたのだ、と私は推測する。
 「歩く、訊く、創る」とある通り、著者は激動の2010年の沖縄を歩き回り、大田昌秀元沖縄県知事、山内徳信参議院議員、伊波洋一元宜野湾市長など革新系の要人、あるいはジャーナリスト精神を失わない琉球朝日放送のキャスター、あるいは市井のシマンチュへ話を訊きまわる。これらはみな、日本人に向けて沖縄理解の手助けになるだろう。
 しかし沖縄在住の私にとって、それらよりもむしろ「第1章 沖縄を思う」の、著者が住む東京府中市近辺の散策から始まる冒頭が印象的だ。この周辺はかつて「関東村」と呼ばれ、広大なアメリカ軍基地があった地域であり、その規模は調布市、三鷹市と三市にまたがる。現在の「東京都調布飛行場」は太平洋戦争中、旧日本軍の「帝都防衛拠点」であった。その西側には1964年の東京オリンピックを機に代々木にあった米軍将校用居住地が移転される。フェンスに囲まれた豊かなアメリカという沖縄では既視の風景が、かつて東京多摩地区にも存在したのだ。
 関東村は1973年全面的に日本へ返還される。その後の基地跡地利用計画により、現在では武蔵野の森公園、多数の少年野球場にサッカー場、味の素スタジアム、東京外語大学、警察大学校、榊原記念病院、高齢者介護・養護施設、障碍者施設、養護学校などが立ち並ぶ。著者はこれら整備された憩いの街並みを散歩しつつ、「沖縄がこうなっていけないわけがない」とつぶやき、返還後の普天間飛行場跡地を想像する。「第6章 沖縄に創る」で提示される「沖縄医療特区構想」なるオリジナルアイデアも、この散策から生まれたものかとの推測が成り立つ。
 この描写は、基地返還跡地といえば北谷町美浜や那覇新都心などの商業地域をまずは連想してしまう沖縄の人々にとって示唆的である。散歩する沖縄、新型路面電車がスローに通り過ぎる沖縄、高齢者や子どもにやさしい街並みなどを自由に連想してみる。将来の沖縄をデザインするヒントがここにあるような気がする。
                         (西脇尚人)