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抜粋 あとがき

 この世に生を受けてから途切れることなく続く呼吸。
 数日前から意識もなく、寝てばかりいる状態。とうに意識を失った者を眺め、睡眠と死が違うことを判別し生きていると確認できるのは、そこに呼吸があるから。吸って吐いて吸って吐いての連続は、やがて徐々に緩慢になり、間隔がどんどん間延びしていく。それでも微かにまだ続くから「きっとまだこんな状態は続いていくのだろう」と思えてくる。何十年も続いてきたものが、いま目の前で終わることは考えにくい。
 しかし、Tある時点Uで、吸って吐いて…次の「吸って」が滞り、突然Tその時Uは訪れる。「もう少し待てば、もう一度次の吸気があるかもしれない」という僅かな望みは置き去りにされ、「それまであったものはそのまま引き続きそこにある」という日常は恒常性を失う。生き物のその瞬間とはそのようにして訪れ、生命は終焉する。
 その有り様は、哲学も宗教も医学すら入り込む余地のない、あまりに素っ気ない淡々とした瞬間。「死ぬ」ということはそういうことであり、「生きる」ということにだけ「意味」を求めても答えは虚ろでしかなく、ただただTその時Uまで「とにかくT生きるUを全うする」しかない。
 生まれる前は何もなく、死んだ後も何もなく、何もない間に挟まれたわずかな時間が「生」。だから「生」は愛しい。
 懸命であってもなくても、がむしゃらであってもなくても、現在(いま)、存在していることが尊い。

               この物語を亡き母に捧ぐ
                   2009年6月 びごーじょうじ

書評 讀売新聞 金沢・小松版 2009年9月23日

 命の意味問う動物物語

 本紙の「まんが週評」を担当している小松市在住のイラストレーター、びごーじょうじさん(52)が自身初の絵本「コーラの木の下で ライオンとゾウとハシビロコウの終の旅」を出版した。今月末から全国の書店の店頭に並ぶ。
                ◇
 死に場所を求めてさまよっていた年老いた3匹の動物が、捨て子のチンパンジーの赤ちゃんを育てながら、命の意味を問うシリアスな物語。最終章では「あなたが考えてください」と問いかけつつ、「とにかく生きるを全うするしかない」とする、びごーさんが考えた筋書きも添えられている。
 びごーさんは、昨年母を亡くした。「生と死をテーマに、看病・介護をしている人や、うつ病の人を対象とした小説を書くつもりだったが、出版社の勧めで、子供たちにも命を考えてもらう絵本になった」と言う。約1週間で原稿を書き上げた後、半年かけて初の推敲を重ね、約60点のカラーイラストが入った絵本が完成した。
 びごーさんは、第27回読売国際漫画大賞(2005年)で大賞を受賞。本業の薬局経営の知識一経験を生かした医療コラムも手がけるが、命の大切さを訴える初の絵本出版に際し、「達成感より、どんなふうに読まれるか不安です」と話している。

書評 薬局新聞 2009年10月7日

 薬剤師らしい視点交え
 絵本で命の大切さ伝え

 本紙で「薬用漫画コラム」を連載しているイラストレーターで薬剤師のびごーじようじさんが、絵本「コーラの木の下で〜ライオンとゾウとハシビロコウの終の旅〜」を出版した。3匹の動物たちがそれぞれの終わりを目指して旅に出かけるという内容で、薬剤師らしい視点も盛り込まれている。本の帯にもある「生と死を見つめ直す」という言葉からも察せられるとおり、ターミナル医療に取り組む総ての薬剤師や医療関係者に一読を薦めたい一冊だ。

書評 石川保険医新聞 2010年1月15日

 3匹の動物たちの「終の旅」を通して、
 生と死を見つめ直すカラーイラスト本!

 この本は、小松市在住の薬剤師で、イラストレ一夕ー・作家として活躍されているびご−じょうじ氏が書かれた絵本です。
絵本と言っても、そのストーリーは「生」と「死」について考えさせられるもので、子どもが見る絵本の内容とは違います。しかし、すべての漢字にルビが振られており、絵はとてもユーモアにあふれ、幼い子どもが見ても十分に楽しめる本になっています。
 さて、物語は、3匹の年老いた動物が、終の旅に行くための分岐点にさしかかった所から始まります。彼らは、生きている残りの時間を意味のあるものにしようと旅に出ることを決心したのです。ライオンは動物園へ、ゾウはサーカスへ、ハシビロコウは「死の谷」へと向かいます。
 しかし、実際に旅に出ると、そこには自分たちが考えていたものとはまったく違った現実があり、結局3匹は元の生活に戻ってきます。そして、彼らは「生きる理由」などまったく考えず、とにかく生きていきます。
 生きていくのに、本当に理由が必要なのか? 生きていく意味を考える必要があるのか? この本の中で、ライオンが「生きていくのに理由を求めているのは人間だけだ」と言っていますが、全体のストーリーを通して「生きること」「死ぬこと」について深く考えさせられる1冊です。ぜひ、読んでみてください。
                     (眼科医・牛村 繁)

書評 図書新聞 2010年2月6日(No.2952)

 種の違いを乗り越え、"相互性"のなかで
 生きることを全うする動物たちの物語

 絵本ではあるが、テーマの深遠さを考えれば子供向けというより大人向けの一冊
 
 絵本ではあるが、子供向けというよりは、テーマの深遠さを考えれば大人向けといっていいと思う。ここで描かれている「生」と「死」をめぐる寓話は、深い悲しみを湛えながらも、どこかで通路を開いていて読後、淡い感慨を湧き上がらせてくれている。ライオン、ゾウ、ハシビロコウというそれぞれが個性を際立たせているからであり、またイラスト化されたそれぞれの貌がなんとも親しみやすい、身近なものとして認知できるからでもある。それは同時に、この3匹の行末をわが事のように切実に感じられるということを意味している。
 ライオンは、「2年まえに脳梗塞を患い」、身体がだんだん不自由になってきたのだ。「自然界では身体が動かなくなれば餌を捕えられないし、身体が弱ればより強い者にやられてしま」い、「命とりにな」るから、自然界で生き抜いていくことより、人間の世界で棲息しようと考える。「野良猫は5〜6年で死ぬものもザラだというのに、飼い猫は10年も15年も生きるらしい」から、動物園で暮らそうと思い、旅立った。
 それぞれの目的を目指してサバンナの出口を探して歩いていた時、ゾウは、ライオンと出会い、人間の世界に身を置くと、自然界にいるよりは寿命が延びるという話を聞き、「やはり、人間の世界はユートピアなんだ」と思った。もともと障害を持って生きてきたこのゾウは、「このまま寂しく死んでいく」よりは、「死ぬ前に一度でいいから輝いてみたい」と考えていたからだ。サバンナ上空からセスナ機によって撒かれた、サーカス団員募集のチラシを見ていて、サーカス団に入ろうとさらなる決心をしていくことになる。
 「無愛想で無口。暗くて不気味な顔の鳥」ハシビロコウは、最近、「動体視力・反射神経・運動神経全般に衰えを感じ始め」、「野生動物の墓場 "死の谷" を目指してサバンナを歩いていた時、ライオンとゾウに巡り会って、そのまま同行していた。
 やがて、「それぞれの理想とする終末を探」すために、三方に別れた。しかし、老ライオンは、動物園にとって歓迎されざる存在であった。"安楽死" 処分される前に、なんとか動物園を抜け出したのだ。老ゾウも同じだ。サーカス団では結局、虐げられた役回りしか与えられず、このままでは死を早めるだけだと、逃げ出すことになる。ハシビロコウは、なかなか "死の谷" に辿り着けずにいた。長い距離を歩き続けたおかげで、少しずつ体力が快復してきたことに気がつき、思い返して、サバンナヘと戻ることにした。そして、また、ライオンとゾウと再会し、また3匹の "道行" が始まる。ところが、「大きなコーラの木の根元に、幼いチンパンジーがスヤスヤ眠ってい」るところに出会う。こうして、ライオンとゾウとハシビロコウ、親から見棄てられてしまったチンパンジーの幼子との奇妙な暮らしが始まっていくことになる。
 作者は、こんなふうに綴っていく。
 「いつの闇にか4匹の不思議な共同生活が流れていきました。この世に生まれた者は、『生きる理由』などあってもなくても、生き続けなければならない。ゾウとハシビロコウはいつしか、そう考えるようになっていました。『生』のためでも『死』のためでもなく、『とにかく』。(認知症となってしまった=引用書註)ライオンとチンパンジーは無意識に互いに互いの生命を必要としています。双方にとって双方の『生きる意味』は明らかなのかもしれません。」
 生きていく限り、そこには「生きる意味」というものは、必ず内在しているものなのだ。「生きていくことの意味」を見出せないから「死」へと向かうということは、転倒した考え方でしかない。"生きていく" ということは、"相互性" もしくは "関係性" なくしては、ありえないことなのだ。生き難くなってきた人間社会を戯画化しながら、種の違いを乗り越えて "相互性" のなかで生きることを全うしようとする、この動物たちの物語は、そのように、わたしたちに語りかけてくれているといっていい。
                  (フリーライター・山井 悟)

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     文学部国際文化学科リレーエッセイ

   書評:三匹の動物の終の旅
                          (水井雅子)