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抜粋 まえがき

こういう本を世に出すからには、やはり最初にいくらか説明をしておく必要があるだろう。何しろテーマがテーマだけに無用な誤解を招く恐れがないとは言えないし、誤解以前に厳しい批判を受けることも予想されるからだ。もとより、批判についてはある程度覚悟しなければならないところであろうが、読者に対する責務として、まずは書き記す。
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この本は1999年の8月から12月にかけて、群馬県藤岡市の通称「宮本町」地区にて展開されたオウム真理教(現在では団体名を「アレフ」と改称)信者の転入をめぐる騒動の経過、およびその後日譚を描いたドキュメントである。語り部となっているのは、当時現場で自発的な監視活動にあたった地元住民たちと、そこに転入してきた現役のオウム信者たちだ。フリーライターとしてこの騒動の取材にあたった岩本太郎がコーディネーターとなり、住民・信者双方の声を当人たちの手記やインタビューにより収録。さらに補足的なレポートや解説記事などもまじえつつ、一連の騒動の流れをなるべく時系列的に並べる形で構成した。
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オウム真理教をめぐっては、現在もなお一般市民と信者とのトラブルの話題が絶えない。1999年4月に茨城県三和町が初めて信者の転入届を不受理として以来、本書の舞台である藤岡を含めて同様の措置や方針を打ち出す自治体が続出。先頃には元信者の子どもの就学拒否という、また別の悩ましい問題も生じた。信者らが転入した住居の周辺では、地元自治会などで組織する住民団体が昼夜の監視活動や抗議デモを精力的に展開するといった状況が依然として続いている。
そうした中にあって、なぜ住民と信者の共著などというものが可能になったのか?
と、いぶかる向きはおそらく大勢いらっしゃることだろう。あるいは「これはオウムの奴らが仕掛けたプロパガンダじゃないか?」「信者の受け入れを主張する人権派の差し金か?」などと勘繰る人もいるかもしれない。
だからこそ説明が必要になってくるのだが、この本の企画はあくまで当時の藤岡市宮本町の騒動の現場にいた住民の一部有志と信者との話し合いから生まれたものであり、オウム教団を含めて他のいかなる組織・団体ともいっさい無関係であることをお断りしておく。ライターの岩本も教団とは取材活動を通じて3年近くの付き合いを持っているが、それ以前にオウムとの接点はなく、彼らの思想や過去に犯した所業については取材を始めた当初から反対する立場をとっている。
ただ、文中に登場する現役のオウム信者・天沢一と美濃浩司の2人がこの本で執筆を行なうことについては、当人たちや岩本のほうから教団に対して許可を申し入れている。その是非はともかく、組織構成員である彼ら2人は上層部の許可を得ず勝手にメディアに露出できないという事情があるからだ。
また、住民側・信者側とも手記やインタビューの内容は互いに事前の段階で確認しあうこととした。共著という体裁をとる以上は当然とも言えるが、これについても疑問を感じる向きがあろうかとも思う。批判は甘んじて受けよう。もっとも、教団上層部の意向を受けたと思しき修正案が信者を通じて寄せられることはなかった。
唯一、後半部分に出てくる教団幹部・野田成人と住民との対話の様子については天沢より「これはちょっと上に聞いていただかないと……」との申し出があったため、岩本が教団広報部に当該部分の原稿コピーを渡して検討を依頼したが、結果的にはまったく修正されることなく掲載OKの回答が返ってきた。さらに、この交渉の過程で、騒動の最中に何度か藤岡までやってきて住民側の手記にも登場することになる伊藤精和(現在アレフ広報部副部長)も執筆してくれることになったが、彼には前記の対話部分以外の原稿は見せていない。
ちなみに文中に登場する信者や住民の名前については、当人たちのプライバシーに配慮しつつ原則として仮名を充てている。ただし教団幹部の野田や、住民側でも藤岡市議会議員という公職にある三好徹明や茂木光雄などは実名とした。岩本も本名での参加である。
以上の点については読者に対する公正を期すうえでもここであらかじめご報告しておきたいと思う。なお、本書の印税収入のうち信者の取り分については、当人たちより、全額を一連のオウム事件の被害者救済にあてていただきたいとの申し出があった。

書評 上毛新聞 01年7月15日

町にオウムがやって来た/藤岡の信者転入騒動/住民有志が実録本

2年前、藤岡市を揺るがしたオウム真理教(アレフと改称)の信者転入問題で、当時、信者の監視活助などにあたっていた地元有志が、一連の騒動をまとめたドキュメント「町にオウムがやって来た」を出版した。住民の視点でオウム騒動を振り返ったほか、転入してきた現役の信者たちが寄せた手記も掲載されている。
著者は、オウム施設のあった同市藤岡の宮本町地区で、監視活動や信者との対話を試みた有志数人で組繊する「藤岡オウム騒動を記録する会」。当時現場で起きたオウム関連の出来事を中心に時系列に沿ってまとめ、住民の活動や信者の動き、双方の心情の変化などを描いた。オウム騒動を取材していたフリーライターの岩本太郎さんによる住民や信者のインタビューも収録されている。
同会は、2年前の騒動を正しく伝えようと昨年春ごろから、新聞やメモなどを頼りに、当時の状況の再現に努めた。元社長宅で生活していた信者にも原稿を依頼、信者は藤岡での暮らしや住民の印象をつづった手記を寄せている。
文章をまとめた男性の1人は、「決してオウムを賛美する内容ではない。事実を知ってもらいたいと思った」と出版の動機を説明。別の男性は「公的機関でなく、市民が作った貴重な記録」と話している。
騒動は1999年8月中旬、同市下栗須の印刷工場跡地と、同市藤岡の宮本町地区にある印刷会社の元社長宅にオウム信者が転入。一時は、百人以上の信者が集まる全国最大の拠点となった。同年12月、法的手続きにより信者の退去が決定、2000年1月に全ての信者が退去した。この間、住民は監視活動を行ったり、信者との対話を試みるなど、問題解決に向け、さまざまな努力を続けていた。
同会のメンバー中には、現在も信者と電話やメールでやり取りをする人もいる。ある男性は「オウムという組織を変えてやりたいという思いで対話を続けている」と話している。

書評 下村健一の眼のツケドコロ TBSラジオ 01年7月21日

中村:今朝の眼のツケドコロは?
下村:はい。今までですね、オウム真理教関連の本というのはたくさん出てますけども、先週末ですね、「今までで1番すごい!」と私が思う本が出たんです。もう、目を見張る本です。なんとですね、現役の信者と周辺の反対住民たちが共著したという、一緒に出したという、信じられない本なんですよ。
中村:えっ!? そんなのあり得るの?
下村:でしょ!? 思うでしょ!? これがその本なんですけどね。
中村:「町にオウムがやって来た」。リベルタ出版から。本体価格2400円プラス税ということで。帯にも書いてますよ。「あれ!? 俺たち敵対関係なんだよな」って。
下村:はい。これは驚くべき本なんですけど、今日はですね、この本の取りまとめ役になられたフリーライターの岩本太郎さんをお招きしました。(略)
下村:でまあ、そういう思いからコトの顛末をずーっと時間的順序でね、に沿って、住民と信者と、そしてときに第三者の岩本さんが交互に執筆記録して1冊の本になったという構成なんですけども。あのー、読んできますとね、ほんとに最初はどこの地区よりも激しい反発なんですよ。もう、やって来たオウムの車をね、強制的にタイヤの空気抜いちゃったりとかですね、鍵を引っこ抜いて放り投げちゃったりとか、もうなんちゅうか、犯罪すれすれっていうか。
岩本:そうですね。まあここにも書かなかったんですけど、追い出すためにどういう風にしようかっていうんで、例えばレンジャー部隊を組織しようとかですね、オウムが来たんで花火大会が中止になっちゃったんで余った花火をぶち込んでやろうとかそういう話が…。
下村:完全に感情的なスタートなんですわ。それが、いつしかですね、対立からまさに対話へ変わっていくんですけども。ちょっと一節読んでみますね。もう何ヶ月かしてからの様子ですけども、天沢という信者に対して周りの監視所みたいな所から住民たちが声を掛けるシーンです。
「『天沢ぁ。ピーナッツ食うか?』焚き火の前から声が飛ぶ。『いらなーい』歩きながら天沢が答える。『おかしいなあ。ここ、オウムと市民社会が激しく対立する最前線のはずなんだけどなあ』と、私、岩本はピーナッツをぽりぽりとかじる。『出てったら寂しくなるよなあ。2人とはせっかく仲良くなったのにねえ』と主婦がいう」。2人中にいたんですよ、対立している信者がね。「『群馬県人は情が厚いからなあ』と中年の男性。『もし出てったら引越し先にみんなで遊びに行こうかなんて話もしてるんですよ』と先ほどの主婦が笑いながら言う」。こういう空気にね、劇的に変わっちゃう。
中村:そんな、花火打ち込もうかって言ってたいうところから、また全然寂しくなっちゃうねって変わったっていう…。
下村:この変わっていくダイナミックなプロセスがこの間にずーっと綴られてるわけなんですけどもね。(略)
下村:たまたまこの対立の現場になったところは小さな個人宅でね、入ってきた信者が2人だけだったんで、まあ、その後、この2人を先頭にどんどん増やすんじゃないかっていう警戒感があったわけですけども、その、現実に対峙しているのが、2人対住民だったから、お互いに顔の見える関係を作りやすかったっていうのも1つの要素ですけどね。ただそういう大きな変化にいちばん戸惑って対応できなかったのが、やっぱりメディアだったという感じがありますね。あの、先ほど朗読したのは岩本さんの文章ですけど、今度は天沢という「ピーナッツ食うか」と言われた信者の書いている文章をちょっと読んでみますね。「一部の住民の方々とは毎日接しているうちにお互いに仲間意識というかフレンドリーな感覚が芽生えていった。地元の記者もそのような交流を毎日のように見ていたし、ときには私たちの輪に加わっていっしょに談笑もしていたのだが、住
民と信者のそのような感情の移り変わりについてはどの記者も報じることはなかった。『ちゃんとあるがままを報じてよ。みんなマスコミの情報をそのまま鵜呑み
にするのだから。執拗に住民の不安を煽ってばかりいないで、本当のことを報じなよ』私は、毎日のように訪れる地元の記者に何度かこのような話をした。しかし、返事はみな同じだった。どの新聞社も社の方針があって、記者の見たままを報じることができないという」。つまり、結構記者たちは「実はちょっと様子が変わってるぞ」というのを社に上げたんだけど、「ダメ。対立の構図で」と却下され続けたと。(略)
下村:やっぱりね、こういうことって、彼らを行く先々で「出てけ出てけ」ってね、ただつまはじきにしていくばっかりでも、「出てけ」ったって、出て行ったら結局またどっかに行かなきゃならないわけだから、解決になんないわけですよね。で、むしろ、そういうことを重ねれば重ねるほど追い詰めてって、その社会防衛上も決していい選択ではないと思うんですよ、わたしは。だから、こういう話を聞いて、ホントにああこういうケースってちゃんとあるんだなと思って、「へえっ!?」と思ったんですけど。よく教団がこれ許したなとかも思ったんですけどね。(略)
中村:だけど、当然ね、これ、オウム側に立ったもんじゃないかっていう風なことだって、批判ていうのはこれからまた出てくる可能性ありますわね。
岩本:まあ、むしろ、そこまでの批判が出てくれると、逆に影響力があったのかなという風な感じには私はとってみます…。
下村:議論を呼べるということですね。ホントにそうですね。今まで、議論しちゃいけないタブーだったようなところに踏み込んだっていうというところに1番価値があると。まあこれ、結局この本あえて出して、岩本さんが1番発したいメッセージは何ですか?
岩本:そうですね。その読み上げていただきました表紙の文章ですね、そこにも込めたんですが、確かに「被害者の方々のことを考えろ」というのも非常に正しいことですし、地域の方々が本気でオウムが来たことに対して嫌悪感を持ったり反対されているというそのお気持ちも当然だと思うんですね。ただ、「オウムの人権を守れ」、一方で「被害者のことを考えろ」っていう、それを遠巻きにぶつけ合っているだけでは、やはり何も議論というのは先に行かない、やっぱり現場にそこにいる人たちの気持ち、営み、異なる両者が向き合ったときにどんな風なお互い印象を持つか、どんな思いが沸き起こったかということをですね、やはりみんなオウム問題を論じるうえできちんと見ていく必要があるんじゃないか、そこが抜けると、やっぱり議論としても行き詰まっちゃうし、また、非常に一方にダダダーッてなだれ込んでいくようなそんなことにならないといいなという風に思ってますね。
下村:そうですね。本当にね、21世紀に持ち越してしまったこのオウム問題をね、抜本的に解決していくにはどっかで話し合いを始めなきゃしょうがないんで、その第1歩という点で、私、この本、すごく評価してます。(略)

書評 朝日新聞 01年7月28日

「オウムと反対」過激だった住民運動/対話の道/信徒と共著

各地で地域住民との紛争が頻発するオウム真理教(アレフに改称)。だが2年前に進出した群馬県藤岡市では、当初、過激な行動に走った一部住民が、撤退までの5カ月半で信徒と対話を重ねるまでになった。何が変化したのか。
信徒と住民がそれぞれの立場から体験を振り返った手記が1冊の本にまとめられ、今月、『町にオウムがやって来た』(リベルタ出版)として出版された。
教団信徒が藤岡市に転入届を提出したのは99年8月。市内の2施設に最大で約130人が移り住んだといわれる。
不安を抱いた一部の住民は「ボランティア」と称してテントを設営し、自治会の監視小屋と並んで独自に監視を始めた。活動は先鋭化し、9月には施設への投石や、教団幹部の乗る車のタイヤの空気を抜く事件も起きた。
本の中で信徒は「おっかないところに来てしまったな、とは思ったが、『外に出ないで家にこもりっぱなしで修行しよう。個室修行になる』とも思った」と振り返る。
信徒と住民の対話が始まったのは、こんな時期だった。住民の1人に声をかけられた信徒が、出家の経緯や脱会しない理由を問われ、真剣に答えたのが発端だ。
信徒転入問題の先行きは不明で、「対話」は自治会の方針にも反していた。それでも、施設の塀越しなどで対話は続き、声をかける住民も徐々に増えた。
住民の1人は今、「激しくぶつかってみて、初めて恐怖感が消えた。話してみると青くさい若者たちだった」と語る。
結局、施設所有者が破産宣告を受けたことで、教団は撤退した。住民は「元気でな」と声をかけて見送った。共に手記をまとめるという試みは、この時に生ま
れた。
同書で、信徒は藤岡市での体験について「自分の世界観が狭かったのを知った」「とても激しくかつ寛容だった。対話してくださった皆さんに感謝します」とい
う思いを表している。
住民たちは「本をまとめる中で改めて意見の対立もあったが、結果的に対話が深まってよかった」「僕らと話した信徒は自分の言葉で話せるやつだった。互いの立場や組織でなく、本音で話し合うことの大切さを感じた」と感慨深げだ。
両者の間で編集を担ったフリーライター岩本太郎さん(37)は「教団の主張する『人権』と、地域住民の不安の間には大きな溝があり、衝突しても解決策は見いだせない。その溝を埋めるきっかけが、藤岡での人間同士の対話にはあると思う」と話す。

書評 産経新聞 01年8月22日

藤岡の“オウム騒動”正確に後世に伝えたい 住民が実録本出版
“激動”5カ月のドキュメント

2年前に藤岡市にオウム真理教の信者が転入してきた際に起きた一連の“オウム騒動”をまとめた実録本「町にオウムがやってきた」がこのほど出版された。著者は同市藤岡のオウム信者が数人生活していた元印刷会社社長宅周辺で信者の監視活動にあたっていた住民有志からなる「藤岡オウム騒動を記録する会」のメンバーら。編集に中心的にかかわった自営業の男性は「いろいろなしがらみのある街で、オウムが来たことによって自由な意見交換の場ができたことは大きな成果だったし、行政の不まじめな姿勢も浮き彫りになったことを、後世に伝えたかった」と出版の動機を話している。
オウム信者が藤岡市に転入しているのが発覚したのは平成11年の8月中旬。信者は同市下栗須の元印刷会社工場跡地と同市藤岡の元同社社長宅とに入居した。特に工場跡地には一時、100人を越える信者が居住し、教団の全国最大の拠点となった。
双方の施設で住民による監視活動が始められたが、小学校に隣接し市街地に位置する元社長宅では活動が激化。施設への投石騒ぎや、教団トラックのタイヤの空気が抜かれる騒ぎも起こった。そんな中で施設の塀越しに、地元住民と信者との対話が始まるようになった。住民のリーダー格だった男性は「対話を続けることによって信者の考えもある程度、変えられることを示せたと思う。彼らが脱会して、藤岡に遊びに来てくれるような日が来ることを願っている」と話す。
同年12月に法的手続きによって信者の退去が決まり、翌12年1月末には信者は藤岡から完全に撤退した。その直後から「一連の騒動をドキュメントとして、なるべく正確に後世に伝えたい」と、住民有志による実録本の出版に向けた動きが始まった。「住民側の視点だけでは足りない」と元社長宅に住んでいた信者にも話を持ち掛けたところ、信者の手記も寄せられて、1年半を経て実録本が出版されることになった。

書評 出版ニュース 01年8月

99年の8月から12月にかけて、群馬県藤岡市のある地区で展開されたオウム真理教信者の転入をめぐる騒動の顛末を描いたドキュメント。フリーライターとしてこの事態を取材した著者の立場は、「オウム追放」の大合唱にも「信者の人権を守れ」の主張にも寄り添うのではなく、住民側とオウム側それぞれに丹念なインタビューを試み、さらに双方の手記を掲載することで、問題の所在を明らかにしようというものだ。なかでも、住民の排外的な感情や行動のプロセスを細かくフォローしたところは、類を見ない。さらに本書が画期的なところは、本書そのものが敵対関係にある住民側の有志と信者の話し合いをもとに、共著として成立していることだ。ともすれば、教団のプロパガンダにも受け取られかねない危うさをはらみながら、「正論の空中戦」で黙殺されがちな双方の心の内と、問題解決の糸口を指し示している。

書評 週刊金曜日 01年8月24日

上州・藤岡のオウム騒動の顛末

「何じゃそれ!?」と人は言うに違いない。オウム真理教(現アレフ)信者の転入に反対した地域住民と「反対された」信者たち。この両者がなぜか共著を出したというのだから。群馬県藤岡市。2年前の夏、ここでは他のどの地域よりも過激な反オウム運動が展開された。信者帰宅阻止、投石事件、信者の車への襲撃事件…。その過激な住民たちがいつしか信者と打ち解け合い、施設の前で仲良く記念撮影に興じ、彼らが去っていった後も教団に仕事の斡旋を申し出たりしているというこの現実を、われわれはいったいどう受けとめたらよいのだろう? ただし、すべてのオウム問題を解決する答えがここにあるなどと言う気はない。いや、逆に「オウム」というフィルターを通じて初めて露見した地域社会の問題点の何と多いことか。むろん、それに答えを出すのは「あなた」の役割なのだ。建て前ばかりを振りかざす、不毛な“正論の空中戦”には終止符を打つべきだ。(岩本太郎・フリージャーナリスト)

書評 読売新聞 01年8月24日

オウム騒動“てん末記” 監視活動の藤岡市民編さん

オウム真理教の信者が藤岡市へ転入し、市民と信者との葛藤を記録した冊子「町にオウムがやって来た」が出版された。
藤岡市のオウム騒動は1999年8月、信者が同市の印刷工場敷地と同市宮本町の印刷会社社長宅の2か所に転入して来たのが発端。この動きに危機感を抱いた市民はオウム施設前でテントを張って監視活動を続け、市も対策本部を設置。市民総ぐるみの阻止活動に、オウムは同年12月、市からの無条件撤退に応じた。
冊子は、オウム進出から撤退までの一連の騒動の中で、監視活動を続けた市民の「藤岡オウム騒動を記録する会」が編さん。「八月の焦燥、緊張、そして苛立ち」「ドタバタ劇の始まり」など6章で構成され、敵対関係にあった時点での市民と信者の心情、両者が徐々に軟化していく過程などが描かれている。

書評 GALAC 01年10月

1999年9月、「オウム真理教」の施設が移転してきてから、住民の強硬な阻止活動の果て、翌年1月に信者たちが完全撤退するまでをドキュメントした。この本、なんと当事者たる住民と信者の合作によって生まれたものだという。
この教団の進出に対しては各地で問題が起きている。マスコミの目線は体制側と同じゆえ、騒動の渦中にある市井の人びとの心には食い込めない。そんな中、ごく一般的信者だからこそ語れる正直な心と、一般的市民の正直な心。それぞれの葛藤が綴られる。極めて深刻な問題だが、思わずクスッと笑えるのは軽妙な筆致ゆえだろう。しかし、その背後にあるものはやはり重い。まるで哲学書を学んだかのような崇高さだ。
一般的なマスコミからはうかがい知れない、真実に近い転入阻止運動の姿が垣間見える貴重な1冊といっていいだろう。

書評 本の雑誌 01年11月

異文化、異教徒など知らないものを受け入れることは、なかなか難しいものだ。ましてや「殺人集団」が来るともなれば、町は大騒ぎになる。藤岡オウム騒動を記録する会編『町にオウムがやって来た』は日本中あちらこちらで起こっているオウム信者排斥の記録である。ただし最初のうちだけは。
群馬県藤岡市の工場とその社長宅にオウムが入居するという噂が駆け巡り、住民たちの反対運動が始まる。特に社長宅は小学校の真裏の住宅地にあるため、家の前の空き地には監視小屋が築かれた。この問題とは別に、市長派と反市長派の争いも激化しており、オウム監視も市長派・その他と分裂し、もうひとつの監視テントが張られる。オウム側も信者特有の頑なさで住民を無視する、というニュースでもよく見られる展開となった。ここに、天沢と美濃という気のいい信者が住み着いた。テントの責任者、元校長の上野が会話を試みると、結構しゃべるではないか。それを機に徐々に対話が始まり、お互いを理解しようという雰囲気になっていく。もちろん住民側の過激派が石を投げたり、車から引き摺り下ろしたりという事件はあったが、お互いが好きになっていく過程が微笑ましい。直接被害に遭われた方にとっては「とんでもない」と怒りを買うことになろうが、このまま排斥しつづけても何の解決にもならないだろう。オウム側も少しずつ対応が変わっていくだろう。元々社会生活が苦手で出家するような人たちだ。それでも生活をしていくために、せめて近所の人たちとだけでも話をしたり、施設を公開したりしてほしい。「オウムは出て行って欲しいけど、天沢君や美濃君のところには遊びに行く」というおばさんの言葉がとても印象的だった。

hon-karasu 01年4月

「本の雑誌」の東えりか親分に教えてもらったこの本、取り寄せに3ヶ月以上かかった。なにやっとんじゃーーー取次はーーと普通はなるところなんだろうけど、今回は違う。書店によると、リベルタ出版は鈴木書店と取引していた会社らしく、鈴木書店の破綻のため物流がストップしていたそうだ。それでもなんとか取り寄せようとしているので待ってくれと言われたら断れない。そんなわけでやっと読めた。
これは1999年群馬県藤岡市にやってきたオウム施設、通称「社長宅」にいた2人のオウム信者と、この施設を監視していた市民との抗争を描いたノンフィクション。著者はオウム反対運動をしていた市民と反対運動に対峙していたオウム信者、それからことの始終を見ていたジャーナリストの合作。帯のキャッチコピーは「あれっ?俺たち敵対関係だったよな」である。なんでこんなおいしそーな本が話題にならないんだ?
始まりは夏。藤岡市に2ヶ所のオウム施設ができた。1つは工場跡他に多いときは100人以上、もう1つは以前社長が住んでいたため「社長宅」と呼ばれた信者2人だけが住む住宅だ。舞台は小さいほうの社長宅。これも面白い事件になった理由かもしれない。
ここには地域の自治会が監視所を置いたが、それとは別に怪しげな市民が監視テントを張った。市民と言っても、この怪しげな人たちがこの本の主人公だ。
テント組は、藤岡市にオウム施設ができたと聞いて、いても立ってもいられなくなって自発的に参加した人たち。藤岡市も藤岡市民も、どちらかといえば手をつけたがらなかったオウムにこのグループが敢然と立ち向かった! その勢いは、ほとんど過激派。広報部の荒木氏を乗せた車を高速道出口で捕まえ、タイヤをパンクさせ車のキーを奪う。社長宅に投石してガラスを割って知らんふり。オウム側は何もしないのに市民がムチャをやるということで、警察は市民の行き過ぎを監視するのが主業務となったんだから、どっちが凶悪なのかわからない(笑)
対するオウム信者の方は、とにかく行けと言われたから藤岡市に来たものの、それまで修業に忙しくて世情に疎くなっている。抵抗運動があるとは聞いてはいたが、まさか人権無視の嫌がらせがあるとは思っていない。実際に市民の抵抗を受けてみて、えらいところに来てしまったと思っても、もう遅い。上に相談しようにも、上は上で本部の立ち退きを要求されていて、次の本部をどこに置くのかすら決められない状態。自分たちでどうにかするしかない状況に追いつめられた。
しかし、凶悪市民グループは、同時にひどく好奇心の強い人たちだった。あれやこれやと2人の信者に声をかけて、脱会しろだの、親を安心させるためいったん実家に帰れ(戻ってきたら入れるもんか!)など言う人もいれば、宗教に関心があって、君もぼくと同じ思いでオウムに入ったんじゃないかと真剣に心の対話をしようとした人もいた。そして信者も次第に心を開いていく。
が、その過程もムチャクチャだ。住民が「行くなら俺を轢いて行け!」なんて過激行動に出るかと思えば、信者がヘッドギアについて説明すると、「それは受験勉強にもいいのか、そんなにいいもんなら広めたほうがいい。おれにもくれ」なんて言いだす人が何人もいたりする。オイオイ、おまえら漫才してんのか(^_^;)
過激市民は、オウムとの接触を嫌う周辺住民からも疎んじられる。オウムがあぶり出す行政の暗部。表立って動くとまずいと、偽装して反対運動に活躍する市議。オウム運動のため集まった寄付金が全く現場に下りてこないと思ったら、行政側反対運動の中に、騒動で一もうけしようとする輩がいる。これにまた過激市民はブチ切れる。いつの間にか敵はオウムから行政機構に巣くう虫退治に……現場はかくも面白い事件がてんこ盛りだったのか!
いやー、それにしても思うのは、過激派住民も信者も、事件が起こるときに何を考えていたかがリアル。傑作なのは、あまりに社長宅内部が明け透けに見えるのを嫌って信者が目隠しのシートを貼ろうとするのだが、住民が「幹部が来るのか」と警戒するので、意味なくソファなど家具を移動させて住民サービスをする信者。ころ合いを見計らって「大掃除を中止します」と言いに行くと、「幹部来訪阻止成功」と住民は喜ぶ。当初は不安で押しつぶされそうだった信者も、たいしたタマに成長した。
最初はマスコミも無視した住民と信者の交流も、最終局面になってくると報道もされるようになってきた。最終局面で彼らが見たものは……
結局オウムは撤退するのだけど、その過程のドタバタは、これが小説だったら絶対信用してもらえないだろうなと思う出来だと思う。本の構成は本文の上にエピソードが満載されていて、はっきり言うと読みにくい。もうちよっと読みやすくして欲しかったなとは思うけど、この小さなエピソードの積み重ねがあるから面白さが増すのも確か。ささくれ立った対立と、ボケとツッコミが両方楽しめるお買い得本。ぜひご一読を。