ホーム
サイト内検索

抜粋 プロローグ

いまから31年前のことである。
その年(1972年)の8月、私は旧ソ連の首都モスクワに滞在していた。そして滞在中のある日、両親らとともに、あるピアニストのアパートを訪れた。そのピアニストとは、20世紀最大のピアニストの1人である、スヴャトスラフ・リヒテル(1914〜97年)氏であった。当時、私はまだ高校生だったが、私の家族がリヒテル夫妻と親交があったため、その日の訪問となったのであった。
その日、リヒテル氏自身は演奏のため外国に旅行中で不在であったが、私たちは迎えてくれたリヒテル夫人(故人)のもてなしを受けながら、午後のひとときを過ごしたのであった。
8月の終わりのモスクワは涼しく、気候は快適であった。私たちが歓待を受けたその部屋にはグランドピアノがあり、その上に、西側で出されたリヒテル氏のLPレコードが無造作に置かれていたのを覚えている。そこは質素だが、広々とした、気持ちのよい、いかにもリヒテル氏の住まいらしい場所であった。
私たちは1時間ほどそのアパートに滞在した。そして、楽しいひとときが終わり、夫人に礼を述べて帰ろうとしたときのことである。
アパートを訪れたときから、私は、入り口近くの壁に掛けられてある1枚の絵が気になっていた。それは美しい水彩画で、一見してリヒテル氏の若き日の肖像とわかる絵であったが、帰りぎわ、私は夫人にこう尋ねた。
「この絵はリヒテルさんですね?」
在ソ朝鮮人である通訳の許さん(後述)が私の質問をロシア語に訳すと、夫人は、よくぞ聞いてくれた、という表情で答えた。
「そうです。素敵でしょう? 若い頃、彼はこんなに素敵だったのですよ」
夫人は、若い頃を思い出したかのように顔をほころばせていた。そして、その絵についてこう語ったのである。
「この絵は、彼(リヒテル氏)の親しい友人であった画家が、昔描いた絵です。とても才能のある、素晴らしい人でしたが、厳しい時代を生き残ることができなかったのです」
私は、このとき夫人の顔に幽かな翳りが浮かんだことを覚えている。そして、夫人のこの言葉を訳した許氏の顔に、悲しげな微笑が浮かんだことも、よく覚えている。
夫人が口にした「厳しい時代」とは、もちろんスターリン時代のことと思われた。だが、リヒテル夫人の口から、その絵について、予想もしていなかった逸話を聞いた私たちは、夫人のその言葉については何も言わず、間もなくそのアパートを後にしたのであった。
その後、私はリヒテル氏のこのアパートを訪れることはなかった。そして、この絵の前にふたたび立つ機会は得ていない。
だが最近、この絵のことをよく思い出す。
そして、この絵とこの絵の前でリヒテル夫人が語ったことを思い出すたびに、かつてソ連という国家が存在した時代、いったいどれだけ多くの人々が、この画家と同じ苦しみを味わったのだろうと思わずにはいられないのである。
時は、流れた。ソ連は崩壊し、リヒテル氏も、リヒテル夫人も、この世を去った。だが、その時代に生きた人々のことを、私は忘れることができない。
この本は、その画家と同じ時代を生きた、1人の芸術家についての思い出の断片である。

書評 教育新聞 03年12月18日

「人間にとって音楽はどうしても必要なものではない。だが、音楽がないのは不幸なことだ」。
これは、ロシアが生んだ偉大な指揮者であるムラヴィンスキーの言葉。
1903年、貴族の家庭に生まれたムラヴィンスキーは、1917年に起きたロシア革命によって家が没落し、家計のために働かざるを得なくなり、劇場でパントマイムの仕事をしながら、35歳にして指揮者として初めて認められた。
著者は、クラシック音楽のマネジャーである父親を通して、ムラヴィンスキーと交流の機会をもち、彼の音楽に惚れ込み本書を書くに至った。
聴衆にこびない音楽家として名声をはせた彼だが、本書では人なつっこい一面なども紹介されており、その人柄を知るうえでも貴重だ。