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抜粋 新版まえがき

 2011年3月11日の東日本大震災は、地震・津波による犠牲者およそ2万人、ほぼ東日本全域に及ぶ原発放射能汚染、さらに首都圏での大規模な液状化災害、515万人に及ぶ帰宅困難者と、多岐にわたる甚大な複合災害をもたらした。
 マグニチュード9・0の地震による巨大津波は、東北から千葉・房総と列島の太平洋沿岸を襲い、04年22万人余りと未曾有の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の、遠い外国での出来事とテレビで見ていたような衝撃的な情景を、まさに目の当たりにさせた。テレビばかりではない。インターネットのユーチューブにも襲い来る津波の動画映像が溢れ、世界中で見ることができた。しかし 年前の阪神・淡路大震災のとき、ネット上にはスチール画像がわずかに流れたにすぎない。当時は死亡者名簿がネットを通じて海外にも伝わり話題になったが、今回は国内で隠された放射能汚染の実態が、逆に海外からのネットでわかるようになっていた。
 安否情報は阪神・淡路大震災のときには、NHKが教育テレビとFM放送で延べ320時間にもわたって流し続けたが、放送できたのは5万4000件のうち3万件足らずだった。東日本大震災では、NTTの災害用伝言ダイヤルや携帯各社の災害用伝言板で延べ1000万件を超える伝言がやり取りされ、マスコミや自治体から提供を受けたグーグルのパーソンファインダーにも 万件を超える情報が寄せられた。安否確認や避難情報もはるかに大量に、簡単に伝わるようになっていた。
 言葉の不自由な外国人に向けては、阪神・淡路大震災の最中に無許可で始まったFM放送局が多言語災害情報を流したが、東日本大震災ではインターネットを介して外国語に翻訳された災害情報が、早くから各地のコミュニティFM、臨時災害FM局から流れ、また聴覚障害者に対しては、阪神・淡路をきっかけに始まった「目で聴くテレビ」が当初から独自の番組を流した。
 こうしたいくつかの例からも明らかなように、マルチメディア時代の入り口で遭遇した阪神・淡路大震災が、今日に続く災害情報の原点になっていることがわかる。
 災害情報をめぐるメディア環境はこの 年間ですっかり変わった。初版発行の2000年はインターネットや携帯iモードが急激に普及する時期、第2版の出た05年はブロードバンド化が進みブログが普及し始めた時期だった。そして2011年東日本大震災はスマートフォンの普及が始まり、放送・新聞と並んでネットメディア、ツイッターなどのソーシャルメディアが大きな位置を占める、まさにデジタルメディアの時代に起きた災害であり、これまでのマスコミ中心の報道とは異なった情報流通の世界を現出させ、災害情報をめぐってメディアと社会の間に新しい状況が生まれていた。
 情報はメディアを通じて人々に、社会に伝えられる。災害情報は生命と財産にかかわる根源的で重要な情報であり、しかも災害時には多種多様で大量の情報が必要とされ、多様なメディアを通じて多形態に流れる。したがって自然の災害情報でも伝えるメディア、取捨選択・編集、発表といった内容や方法が大きな社会的影響力を持ち、自然科学でありながら同時に社会科学の側面を持つ。原子力発電所事故による放射能災害のような人災に至ってはなおさらのことである。
 災害の情報は気象学や地球科学あるいは放射線学といった科学上の新たな知見が増えるにつれ変わってきたし、メディアも新聞・放送、電話が中心だった時代からインターネット、モバイル、デジタル放送などデジタル時代へと大きく変わってきた。社会も過去の歴史や体験が伝承される共同体社会から、マスコミが大きな影響力を持つ大衆社会、そしてネットでつながるグローバル化・多元化・細分化した社会へと変わり、都市化、石油コンビナートや原子力発電等の高度産業化、高齢化、そして生活の多様化が、新しい災害形態と災害情報へのニーズを生み出すようになった。情報、メディア、社会、それぞれが時代とともに大きく変わってきたのである。
 災害情報は情報論、コミュニケーション論を論じるうえで、きわめて具体的で典型的なモデルである。情報、メディア、社会がそれぞれ変数となる動的な関係にあって、災害情報が自然科学の知の状況、メディアの特性、その長所や短所、コミュニケーションの可能性と限界、あるいは時代や社会の実相を鋭く抉り出すからである。
 阪神・淡路大震災はボランティア元年でもあったが、東日本大震災、3・11 はさらに日本社会のあり方、人々の生き方を根本から問い直し、見つめなおす契機、時代・社会の変わり目でもあった。このような状況を見据え、今回の新版では第2部を除いて構成を大幅に変更、加筆修正し、今日のデジタルメディア時代の災害情報の構図を、阪神・淡路大震災以来の数々の災害事例をたどりながら明らかにするとともに、さらにその今後を展望するよう努めた。
 第1部では東日本大震災、新潟県中越地震における災害情報とメディア環境の特徴を押さえたうえで、象徴的事例として有珠山噴火における火砕流報道に焦点を当て、災害情報とメディア全体にわたる問題を提起する。そのうえで災害報道の歴史を、地球科学の進歩や観測態勢の整備、メディアの変化との関連でたどり、東海地震をはじめとする地震の予知・予測にまで話を進める。
 第2部では、地震予知の揺籠期、1973年に起きた全国的規模の流言騒動に光をあて、当時の、あたかもパンドラの箱が開いたかのように洪水となって流れ出た新聞・テレビ・雑誌などマスコミの地震報道との関連、および石油ショック、モノ不足と転換期にあった時代状況との関連で分析する。
 第3部では、阪神・淡路大震災を例に、災害情報の特徴・構造・内容種類、それを伝える各種メディアの特性を分析・考察したうえで、その後、東日本大震災までの地震・噴火災害で情報の発信・伝達が具体的に各種メディアでどのように展開し、機能したかを考察する。
 東日本大震災の放射能汚染災害では、放射線量のグレー性が身近な問題としてクローズアップされ、その後長く続くこととなった。第4部では災害時に社会的混乱のもととなりやすい情報の信憑性、放射能汚染や地震予知・予測など災害情報自体の内包する情報のグレー性に焦点をあてて考察し、デジタルメディア時代の災害情報、さらに広く高度情報社会の抱える課題を考える。
                  2012年1月
                      著者 平塚 千尋

出版ニュース 2012年6月下旬号

 大地震が起きるという予言に対し、科学的データが乏しいとして否定しつつも、「ともあれご用心を」と記事を結んだことで、流言飛語の類を煽ることとなった和歌山の地震津波流言騒動や有珠山の火砕流報道、そして東日本大震災までの災害情報の伝達のされ方を辿り、デジタルメディア時代の災害情報を考える。結論からいえば、今は1対NのマスコミとN対Nのソーシャルメディアが併存し、人々は溢れる情報を取捨選択する時代になったが、その情報はグレーであるという前提にたち、それを受け入れ許容し、冷静に対応する柔軟でしなやかな発想が求められる時代になったと締めくくる。

総合ジャーナリズム研究 2012年夏号(No.221)

 過去の自然災害における情報伝達・報道を検証、メディアの長所と短所、コミュニケーションの可能性と限界を明らかにする。
 阪神・淡路大震災から東日本大震災までの16年間にデジタルメディア、インターネットは大きく成長し、専門家や一般市民、被災者など個人が情報を発信できる時代となつた。原発事故ではマスコミが安全・安心に偏った報道を続けた一方で、ネット上には異なった情報が流れた。著者は個人から発信される膨大な情報の正確さ、信憑性の問題を指摘した上で「風評やパニックを恐れてデータや情報を操作したり、隠すのではなく、数字やデータをすべて出し、その曖昧さと重大さの程度」をはっきりと知らせることが大事で、「それが噂や風評の拡大やパニックをおさえることにつながる」とする。

新聞研究 2012年5月号(No.730)

著者はNHK放送文化研究所主任研究員などを経て、現在は大学で教鞭を執る2000年に刊行され版を重ねた同書の新版は、東日本大震災を踏まえて大幅に改稿し、デジタルメディア時代の災害情報のあり方と今後の展望を盛り込んだ。東電福島第一原発事故による放射能汚染災害で、放射線量のグレー性が身近な問題として注目されたことを受け「情報のグレー性」に焦点を当てた章もある。著者は災害時において「風評やパニックを恐れてデータや情報を操作したり、隠すのではなく、数字やデータをすべて出し、そのあいまいさと重大さの程度、グレーの程度をはっきりと知らせることが大事」だと主張。さらに進んで、災害情報に限らずほとんどの情報がグレーであることを前提とした高度情報化社会では、情報のグレー性を受け入れ、許容し、冷静に対応する発想、生活や文化が求られると説く