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抜粋 まえがき

 新たなミレニアムを迎えたばかりのある日、ただの電子版図書目録といった趣のリベルタ出版ホームページ(http://www.liberta-s.com)に飽き足らず、ふとした思いつきから、タイトルページに日記風の駄文を掲載し始めました。ほどなくして、それが当時米国で流行りつつあった「ブログ」というようなものであることを知るのですが、そのうちある種の「依存症」とでもいうのでしょう、ドツボにはまって、これをせっせと更新するようになります。
 そして2003年春、決定的な転機が訪れました。 01年の9・11後、「対テロ戦争」を始めていた「藪から棒」大統領が、アフガニスタンに続きイラクへも戦火を拡げようと機を窺います。一方で「これから起こるかもしれない戦争」に反対する国際世論の高まりが、燎原の火のように広がります。大規模な反戦集会が地球を何周もしました。
 にもかかわらず3月20日、米英による侵略戦争が強行されます。「属国ニッポン」はすぐさまこれを支持し、ふがいないマスメディアもこれをズルズル追認するばかり。
 となると、「もう黙ってはいられない!」となるのがリベルタ子(筆者)のおかしな性分。これを機にホームページ冒頭のブログ「零細出版人の遠吠え」の毎日更新を決意、毎朝30分から1時間早く出社し、「ブッシュの敵」として日々思うところを綴るのが日課となりました。
 そんなことを長く続けていると、いろいろなことがあるものです。あるときは心ない者にサイトを荒らされ、バックアップともども目茶目茶にされてしまいました。毎度言いたい放題、吠えまくっているのですから、どこから鉄砲玉が飛んできても不思議ではありません。とはいえブログは再建不能。すっかり困り果てていたところへ、読者のひとりが何と、当方のブログのコピーをお送りくださったのには感謝感激でした。
 そうこうするうち、今度は何人かの読者から、これを「本にしては?」「本にしてほしい」といった声がちらほら届くようになります。なかには、「ひょっとして、アンタんとこでいちばん売れる本になるかもしれないよ」なんてけしかける人も出てくる始末。ついついその気になって、はしごの天辺に登り詰め、自作自演のアクロバットを演じるハメとなった次第です。

               *
 では、どんな本にするか? 古い書きものににざっと目を通してみました。毎日更新以後7年分だけでも、うんざりするほどの分量。結局、ここ4年くらいのあいだに書いたものを軸に取捨選択することにしました。それでも1000編を超えます。それをバッサバサふるい落としながら4部に分け、加筆・訂正、編集したのが、この本です。
 書名と同じタイトルの第1部は、筆者が長らく零細出版を続けながら考えてきたこと、その低い目線で見てきた昨今の出版界の出来事をエッセイ風に論じています。とりわけ09年の「グーグル騒動」から10年の「電子書籍フィーバー」へといたる動きには、特段の注意を払わざるをえませんでした。問題への深い洞察も反省もなく、ただ「バスに乗り遅れるな!」といったノリでてんでに走り出し、右往左往する出版界への醒めた視線を感じとっていただければ、と思います。
 蛇足ながらこのタイトルは、筆者がある晩の夢で見たとりとめもないストーリーのタイトルを流用したものです( 81ページ)。どこまでも「紙」にこだわり続けたいとの、「守旧派」と決めつけられるにちがいない信条表明ですから、本当は『「紙」と共に去らん』とすべきところでしょう。でもここは、マーガレット・ミッチェルに敬意を表し、このようにした次第です。
 しかし、この本をゲラ段階でモニタリングしていただいた方からは、「この書名だけで、美しい山の写真を見せられれば、一瞬、電子書籍に追われて中小零細の紙出版元は、もはや去るのみ、あとはゆっくり山の景色でも見て隠居するか、という本だと思われる」のではないか、との貴重なご意見を頂戴いたしております。
 まっ、それも半分当たっているといえなくもないのですが、正確を期すばかりにサブタイトルをつけて煩雑にしてしまうのもいかがなものかと考え、パッと見、印象に残りやすいと思われるこのタイトルで行くことにしました。
 次に第2部では、筆者がこの間読んだ中から何かしら注意を引かれた本についての、書評のような、そうではないようなことどもが書かれています。世間の書評によく採り上げられる本だけでなく、あまりそのような機会のない非売品の本や社史、小冊子などにも努めて光を当てるようにしました。ここでもまた、「グーグル問題」や「電子書籍問題」への筆者のこだわりを汲み取っていただければ、さいわいです。
 そして第3部。ここでは、もはやあらゆる弥縫策も尽き果てた自民党長期政権から、いつまでも「初心者マーク」を手放せない民主党政権への過渡期の日本政治のありようを厳しく問うとともに、すっかり批判精神を喪失してしまった日本のマスメディアのふがいなさを容赦なく批判しています。
 とりわけイラク戦争報道や普天間報道をめぐり、朝日新聞を槍玉に挙げて厳しい批判の矢を放っていますが、決してこの新聞がいちばん悪質だと決めつけているわけではありません。新聞も放送も、他のメインストリームメディアが揃いも揃ってふがいない報道を続けるなか、せめて朝日には背筋をピーンと伸ばしていただきたいとの、もの心ついて以来古くからの同紙読者の止むにやまれぬ思いである、とご理解いただきたいと思います。
 最後の第4部は、筆者の父と早世した息子を主題とした、きわめて個人的な話で恐縮です。当然、それまでの流れとは大きく乖離してしまいますので、その掲載にはいささか躊躇いがありました。しかし、先のブログに登載したとき、いずれもヒット件数が急上昇し、読者からいつになくたくさんのリアクションをいただいたりもしたものですから、それを外してしまうのはもったいないと考えるようになりました。内容的にも、必ずしも個人的な思いに終始するものではなく、一定の社会批判の意味も持ちうるということで、ご容赦ください。…

                2011年1月1日
                    著 者 でんご つねお 

書評 出版ニュース 2011年3月下旬号「情報区」

 リベルタ出版のホームページ冒頭のブログ "零細出版人の遠吠え" が、『「紙」と共に去りぬ』(B6判・238頁・1800円+税)として上梓された。
 このブログはリベルタ出版代表、でんごつねお氏が綴るもので−この7年は毎日更新−〈毎度言いたい放題、吠えまくっている…〉ことから、鉄砲玉も飛んできたが、一方、これを「本にしてほしい」といった熱心な読者もいた。
 本書は、ここ4年ほど書いたもの約1000編を軸に取捨選択し、4部に分け、加筆・訂正、編集したものである。
 書名と同じタイトルの第1部は、著者が長い間、〈零細出版を続けながら考えてきたこと、その低い目線で見てきた昨今の出版界の出来事をエッセイ風〉に論じている。
 とりわけ09年の「グーグル騒動」から10年の「電子書籍フィーバー」 へといたる動きに対しては、〈ただ「バスに乗り遅れるな!」といったノリでてんでに走り出し、右往左往する出版界への醒めた視線を感じとっていただければ〉と。
 著者は哲学者の黒崎政男氏が、新聞の読書面で「書籍の電子化」問題を論じた文章に共感。その結論部分は著者の考えるところとぴったり重なるという。〈もし紙の書籍がこの世から消えるとしたら、その時は、大方の文学や思想が同時に消え去っている時だろう。〉
 第2部は、書評風の「1冊の本から広がる世界」。非売品の本や社史、小冊子などもとりあげ光をあてている。こうした姿勢から著者の「グーグル問題」や「電子書籍問題」へのこだわりが読みとれる。
 第3部が、リベルタ出版のテーマの一つでもあるメディア論に関わる「メディア社会を読み解く」。権力も心配するジャーナリズムの危機、鳴呼、黄昏のマスメディア、朝日イラク戦争報道の独断的検証、メディア現場に見る「組織人」の悲しい運命など。
 第4部が著者の父と早世した子息を主題としたもの。ブログに登載したとき、いずれもヒット件数が急上昇し、読者のリアクシヨンも多数あったという。

書評 コガネムシのつぶやき:甲斐小泉のドけち指南部屋
     2011年3月4日

 自称「零細出版人」である著者が、リベルタ出版のホームページのタイトルページに掲載したコラムをまとめた本。

 タイトルが「紙」と共に去りぬ(「風と共に去りぬ」のもじりですね)で、帯に「紙の本をレッドデータブックの載せないために!」とありますので、出版をめぐる話が多いのですが、それ以外に強く感じるのは、リベルタ(Liberta)という出版名、およびリベルタ子という名乗りからして、リベラルな思考の持ち主と思われる著者が、日本の前途に危機感を抱いている様子が伝わって来ます。

 出版業界は売り上げ不振で、この10年ほどの間にも、かつての著名雑誌等が次々に休刊していますが、一方で、グーグルが片端、出版物をスキャンして事件となったのも、まだ古い記憶にはなっていません。飛ぶ鳥を落とす勢いといわれたグーグルのような世界企業がずさんなチェックの上、廃刊本をいつでも読めるようにというお題目の下、著作権無視の暴挙に対する怒りを表明する一方、本来、印刷製本までして出版する必要もないのではないかと思われる書籍の発行に対する疑問も呈しています。

 特に自らの出版社で、在庫を抱えきれなくなり、泣く泣く廃棄をしなくてはいけない事態があり、環境に対して決して良い事ではないという事実を、反省を交えての記述は、大手出版社の社員ならば(勿論、そういう内容の著作物の出版は有り得るでしょうけれど)、たとえ思っていても、クビを覚悟しない限り、決して公に表明してはならない事だろうと思います。そういう事を率直に述べることが出来るのも、中小出版社ならではと思います。

 私自身は、視力の問題も有りますし、いかに簡便とは言え、いったん電気が通じなくなったらお終いの電子書籍に対する疑問も有りますが、やはり良い読み物は製本されたものを手に取って読みたいという気持ちがあります。

 子どもの時、それまでは比較的軽装の絵本しか知りませんでしたが、初めて手にした「ナルニア国ものがたり」の装幀の美しさ、ページを捲るとほのかに通ったなんともいい香りは忘れがたいです。本を読む醍醐味のひとつはこの手触りは香りだと思った程です。

 なので、本書でも語られていますが、これからは書籍化される本というのは選ばれた本である、という方向性になって行くのではないかと思います。ぜいたく品に近い物となってしまうのかも知れませんが、製本された書籍が滅びることは無いと思っています。

 昨今の風潮が、戦前の体制と似通って来ている事に対する懸念も書かれており、昨年亡くなった祖母の「気付いたら、もう誰にも(戦争へ向かう流れを)とめられなくなっていた」という言葉を聞いていた身として、非常に共感出来ました。

 本の終盤は、著者の仕事を手伝ってくれるようになったご子息についての思い出が語られています。著者の環境に対する思いも、このご子息によって補強された面が大きいようですが、父親として、職業人としてかけがえのない存在を失った思いが伝わって来てほろりとしました。

 出版人の矜持とは何かを知らせてくれるコラム集でした。

書評 ジャーナリスト 2011年4月25日

 「零細出版人の遠吠え」こそ、
  深い洞察に満ちた賢人の声

 「野に遺賢あり」という。だがいまや「野にしか遺賢はいない」と言い直さなければならない。
 今回の原発事故の陰にうごめく学者と称する連中や政治屋どもの有様、大学や国会に賢人などまるでいないことが露呈した。
 だがここに賢人がいる。市井においてきちんと自らの仕事をこなし、そこから深い洞察と思想を紡ぎだす本物の賢人。この本の著者である。
 著者は「超零細出版社」(本人談)を経営する根っからの出版人である。誰にも媚びない小部数の良書を出し続ける傍ら、自らが営む「リベルタ出版」のHPにほぼ毎日、小さなコラムを書き続けてきた。キッカケは2003年の「ブッシュの戦争」だった。ブッシュへの怒りと「属国ニッポン」への歯軋りが、7年間に及ぶコラム「零細出版人の遠吠え」を続けさせた。
 そして、筆は社会への疑問や出版界そのものへの異議申し立てに及ぶ。その数、優に千篇を超える。その中から選んだものを4部に分け、加筆訂正をして出来上がったのが本書である。
 1部は電子書籍騒動などへの出版人としての思いの丈をストレートにぶつける「『紙』と共に去りぬ」、2部が硬派書評「1冊の本から広がる世界」、3部は時評「メディア社会を読み解く」、そして4部が「零細出版人の周辺」という構成だ。
 どのページをめくっても、著者の怒りと優しい人柄が溢れる。うんうんと、読みながら頷くことしきり。中でも評者がグスリッと鼻をすすったのは、著者の亡き息子丁君へのレクイエム。「野に遺賢あり」、まさにこの人のことだ。
                      鈴木 耕(編集者)

書評 ふぇみん 2011年5月5日号(No.2955)

 リベルタ出版の発行人が、2003年のイラク攻撃を契機に、自社のホームページに「零細出版人の遠吠え」なるブログを書き、毎日更新を始めて8年。読者の要望に応え、そのセレクト版が本になった。
 電子書籍化の波の中で「紙」の本にこだわり続ける編集者の気骨あふれる辛口時評。
 すっかり批判精神をなくしてしまった日本のマスメディアへの容赦ない批判は、「権力の(に対する)番犬」たるべきメディアが「権力の狛犬」になるな!という悲痛な叫びにも聞こえる。
 現在の出版界やメディア、社会の状況がよく分かると同時に、著者の琴線に触れた数多くの本が引用文とともに紹介されていて、優れた書評としても興味深い。
 そして、最後の第4章は、早世した息子への鎮魂歌。3章までの鋭さを残しつつもガラリと趣を変え、父としてのあふれる思いを押さえて綴る文章は、ブログの中でも最も反響が大きかったという。
                            (」0)

書評 図書新聞 2011年6月4日(No.3016)

 「紙の本」の豊餞な世界を求め
  現在の難所を分け入る

  危うい時代状況に切り込む「零細出版人」の明快な批判精神

 自らを「零細出版人」と称する著者が、自社のホームページ内のブログ「零細出版人の遠吠え」に発表した文章を構成して編集したものが本書である。出版界をめぐる発言、折々に読んだ本についての所感、メディア情況に対する苛烈な論及、そして私記的文章と、全体を4部に分けている。03年春、アメリカによるイラク攻撃を機に、ブログを開始し毎日更新したということだが、この間の膨大な文章から、ここ5年間(06・2〜10・12)のなかの1000編を収録したという。
 ブログ開始の契機となったのが、アメリカ・ブッシュ政権(本書では、ブッシュを、わざわざ「薮から棒」という言葉を当て嵌めているように、著者の文章にはウイットが富んでいる)の横暴に対する憤怒であることを思えば、著者の視線は、極めて明快に強大な権力の行使や制度・システムを特権化する潮流に対する「批判精神」に貫かれている。
 第1部「『紙』と共に去りぬ」では、出版流通の様々な矛盾を詳述しながら、その批判視線は、「紙」から「電子」へと蠢く巨大資本へと向かっていく。世界的なソフトウェア会社・グーグルの遵法な書籍のデータベース化問題、大日本印刷(DNP)による出版流通への参入、そして電子書籍化による出版形態の転換といったことを狙上に載せながら、次のように述べていく。
 「大手印刷資本が出版界に本格参入となると、指をくわえて座視しているわけに行かなくなるのが、出版流通の担い手を自負してきた大手取次資本です。(略)当然のことながら、この先、取次店とのあいだでコンフリクトが起こらざるをえません。しかし、かくもしたたかなDNPのことです。次はどこかの取次を手に入れよう、なんて考えてもおかしくありません。(略)
その触手が取次店の領分にまで及んだところで、こんにちの液状化しつつある出版界の再編は一応の完成を見ることになるのかもしれません。(略)少なくとも私ら小零細版元にとっては、今後ますます生きづらい世の中になることだけは、確かなようです。」
 96年の2兆6000億円をピークに、09年にはついに2兆円を21年ぶりに下回ったという出版産業だが、「任天堂1社の売上げぐらいしかないちっぽけなわが出版界」と著者がいうように、突出した企業のみが、売上げを寡占化していくこと自体、出版界そのものが、自縄自縛に陥っていくことになるのではないかといわざるをえない。わたし自身、パソコンやインターネットの利便性は充分に享受しているとはいえ、やはり、「紙の本」の存在を抜きにしては、何事も語れないと思っている。パソコンや携帯のメールがコミュニケーションツールとして楽ではあっても、関係性の親和を醸成するのは、紙の手紙であり、直接的な会話であると信じたい。その限りにおいて、著者が強調する「紙の本」こそ「出版の原点」であるという考え方は、けっして遅れた保守的思考というわけではない。いうなれば、ごく当たり前の、まぎれもなく普遍性をもったものだと、わたしはいいたい気がする。
 ところで、こうした著者の「批判精神」は、著者自身の立ち位置が率直に反映されたものである。つまり、父親が、戦前、1930年代中頃に大学で反戦活動していたという"血筋"の著者は、15年戦争への揺るぎない認識を持っているのだ。戦争体験者や被爆者に思いを馳せながら、「年々、『戦争のできる国』へと向かって行く『世論』の動向」というものに、楔を打っていく。昭和天皇が71年に「原爆投下について記者団から問われ」て、「遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思ってます」という発言を引き、07年当時、防衛大臣だった久間が、「あれ[原爆]で戦争が終ったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」といった問題発言とは、「おんなじこと言っでるんじゃないの? 同じことを言っても、キューマさんは『世論』の猛反発を浴びたのに、天皇の場合は何ら問題にされない」という「菊タブー」を断罪する(第2部「メディア社会を読み解く」)。
 著者は、このような「日本社会の『イデオロギー的地軸の傾き』」に疑念を抱き、グラムシの「知的・道徳的改革」というものを対置しようと、亡き息子への"語りかけ"のなかで、表明している。父親と息子への思いを連結させて、「零細出版人」の著者は、「紙の本」という豊餞な世界を求めながら、現在という難所を分け入って行こうとしているのだ。
                       皆川 勤(評論家)