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抜粋 まえがき

豊かなはずなのに、充足感がない。
モノは収納しきれないくらいにありますし、次々と新商品が発売されています。こんなに豊かな社会は、古今東西を見回してみても、ちょっとありません。
日本の歴史においても、1980年代中頃までのテレビ映像や雑誌記事を見ると、「日本は貧しい」との表現がめずらしくありませんし、実際にその中身を見ると、今日と比べて、モノは少なく、また、アカ抜けていないと感じるでしょう。 年前と比べて、日本社会は質・量ともに格段に豊かになっています。
海外と比べても、現代の日本は豊かです。
高級ブランドが軒を並べているかと思えば、廉価な店も多数あります。そのバリエーションも豊富で、郊外には超大型店がありますし、いまや駅の構内にまで廉価な洋品店が店を構えています。いたるところにあるコンビニエンスストアは、 時間営業していて、生活に必要なものを買うことができます。
海外でももちろん、それぞれの街の個性に応じた店が並んでいますが、日本はその量と層の厚さに関しては圧倒的です。東京に限らず地方都市であっても、これだけ便利な店が充実しているのは、世界中探してもめずらしいでしょう。
情報も豊富です。テレビのチャンネルは多く、雑誌も豊富です。世界一の発行部数を誇る新聞もあります。事実上、世界言語の地位に上り詰めた英語を別とすれば、これほど多くのマスメディアを持つ言語はないでしょう。
こうしたメディアには多数の広告が掲載されています。街中や電車の中にも、ポスターや液晶モニタで広告が流れています。これだけ広告があふれている社会は、なかなかありません。ネオン看板の立ち並ぶ香港や、ニューヨークのタイムズスクエアのように、世界中の企業が競って広告を掲げる場所はありますが、そうしたスポットを少しはずれると、広告をほとんど目にすることがありません。
だから、外国人が日本に来ると、渋谷や秋葉原だけでなく、街のいたるところに広告があることに驚き、世界的な有名タレントが広告に出ていることが新鮮であり、商品の品揃えが豊富で、しかも店は深夜や週末でも開いていることや、 時間営業していて、コンパクトなサイズなのに生活に必要なものがそろっているコンビニエンスストアを見て、「便利だ」と感心するのです。
これほど商品と情報があふれている豊かな社会に暮らしているはずなのに、かつては理想とされていた「水道哲学」(「水道の蛇口をひねれば水があふれるように、商品がたくさんあることがお客様の幸せである」とする松下幸之助の信念)は実現したのに、日本人には豊かな生活の手応えがありません。むしろ、消費に疲れているくらいです。
それは、モノに限ったことではなく、チャンネルや番組は多いもののテレビは面白くなく、新聞や雑誌もあふれかえっていますが、読むところがないありさまです。
豊かさを確実な手応えとするように、マーケットは動いているはずなのです。商品の開発者も、宣伝担当も、ショップの売り子さんたちも、お客様の満足をめざしていますし、マスコミの人も、読者や視聴者に良いモノを届けたいと思っていますから。そして、マーケットは、「神の見えざる手」で、ほど良く調整されるのですから。
そうなっていないのは、マーケットがうまく稼働していないからです。その原理であるマーケティングが、時代遅れになっていて、現在の消費とかみ合わなくなっているのです。
生活の豊かさを手に入れ、モノを作る人や売る人が安心して働き続けることができ、マスコミも適正な社会の役割を果たし続けることができる。マーケティングをそのように組み替えてみたいと思います。

                2008年5月
                         谷村 智康

書評 しんぶん赤旗日曜版 2008年6月15日「本たて」欄

 「スポンサーがつきにくくなった」と嘆くテレビ界、躍進するネット。いま広告に何が? 広告マンの著者が「中学生にもわかる」ように、やさしく説きます。
 テレビCMの不振に、「広告の終えん」をみる著者。もはや、「知らせる」だけでは、商品は売れない。企業は、家電量販店のポイント還元に"広告費"を向けて消費を喚起し、「買いたい人」にじかに訴えるネット広告に躍起。でもネットには、個人のメールや閲覧履歴を"監視"される危険も−。
 賢い消費者となり、広告と付き合う道を模索する著者。知られざる広告界の内幕に驚かされます。

書評 出版ニュース 2008年8月上旬号

 〈これほど商品と情報があふれている豊かな社会に暮らしているはずなのに〉〈豊かな生活の手応えがありません。むしろ、消費に疲れているくらいです〉
 マーケティング・リテラシーとは何か。「商品やサービスを売って儲けるしくみ」に関わる広告・メディアの機能に対して、消費主体の側に求められているリテラシー(読み書き能力)を言う。本書は、高度成長からバブルを経て「広告の終焉」に入った社会状況を見据えながら、ポスト広告時代を展望し、消費者が主導するマーケティング、すなわち消費者が広告費を取り戻すための戦略を示す。ここでは、誰もが利用する「検索窓」としてのグーグルの構造を明らかにしたり、ビジネスとして破綻している地デジとテレビの失墜、消費のフェアトレードと消費者から見た広告コストと代償など、日頃、感じている疑問を解明しつつ、消費者から対抗し得る技法を、具体例をもって分かりやすく。

書評 週刊金曜日 2008年8月22日号(No.715)

 最近、広告を見て何か買いましたか

 これほどモノと情報が氾濫しているのに、豊かさを感じないのはなぜなんだろう。
 テレビを代表とするマスメディアやビル屋上の看板はもちろん、店でもらう領収書、送られてくるメール、通勤で通る自動改札機など、あらゆるものが広告媒体になり、売り込みをかけてくる。
 しかし、安価なお菓子や清涼飲料ならともかく、少々、値の張る携帯電話やクルマなどを広告だけで衝動買いする人はどれだけいるのだろう。著者は、まずいないと断言する。ドコモの広告史上に残る大キャンペーンの失敗を一例に、マスメディアを使った広告がもはや効かなくなっている現実を、広告マンにとって残酷なほど証明していく。
 その裏面で、まさかというものがマーケティング(広告や販売促進など)の道具となってきている実態も指摘する。量版店のポイント還元、コンビニエンスストアの隠された役割などは日からウロコだった。
 さて、肝心なのは結局、このような広告費や販売促進費はわたしたちが負担していることではないだろうか。この費用を上乗せされた分だけ高いカネを払って消費しているからだ。
 この豊かさを感じない経済からどうしたら脱出できるのか。本書のように企業や広告会社、メディァのだましを明らかにすればするほど、先方はますます巧妙な販売戦略を練ってくるのではないだろうか。
 だが著者はこのような企業主導のマーケティングはそもそも失敗だと指摘する。もっと消費者が望む仕組みを企業が実現するようなマーケティングに転換すれば、実は企業はもっと儲かると提案するのである。なかなか、したたかな書き手である。
                      (編集部・平井康嗣)

書評 ジャーナリスト 2008年8月25日(No.605)

 事実の俯瞰を基に、業界のマス広告依存を厳しく批判

 タイトルの「リテラシー」(literacy)という言葉は、元来「識字」と日本語訳されてきた言葉だが、ここでは「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」という意味なのだろう。
 著者は「多様な消費を生産者とうまく結びつけるにはどうすればいいか」という視点に立ち、旧来のマス広告に依存してきた業界の手法に厳しい批判を向ける。
「新しい広告」をテーマとした類書は多い。ほとんどが「新しい技術が世界を変える」という論調で、「黒船が来た」「狼がやってくる」の域を本書も超えてはいない。
 ただ、この本の良い点は「狼が来た」事実を俯瞰して、ちゃんと語っているところだ。マーケティング業界で働く現場の人たちが知っておいて損はない事実は確かに述べられている。
しかし肝心の、たぶん著者渾身の第4章(p.192)『プライバシーを売るという章が成功しているとは思えない。
 マーケティングの時代は終わり、Googleに代表される「検索広告」が浸透した後、消費者側から対価として要求されるのが個人のプライバシーだ、というのはちょっと腑に落ちない。
 面白いジョークがあって、クリエーティブの先輩が「狼少年の話の教訓は何だか分かるか?」と後輩に聞く。「嘘を言ってはいけない、ということだと思います」と答える。違うな、と先輩。「一番最初の嘘が最も効果的なんだよ」。
 広告を嘘だと言うつもりはない。しかし、広告はジャーナリズムと違い真実だけを伝えるものではない。
本書に足りないのは「新しい物語」であり「ファンタジー」だと思う。
                     (栗原 務=広告労協)

書評 ふぇみん 2008年10月5日(No.2870)

 日本の広告のコストは20兆円と言われ1人当たり年間約20万円の負担になる。広告代理店などに職歴を持つ著者が、広告の仕組みをあぶり出し、今後主流になる広告の形態や、消費者主導の広告の可能性を論じる。
 マスメディアを通じて大多数に向けて発信するよりも、見込みのある人にピンポイントで広告を出すのが今の流れ。そこで出てくるのがミクシィなどソーシャル・ネットワークサービスや、G00gleなど無料ソフトやメールが使えるサイト。心情や興味をつづったブログやメールがサーバー上に残り、それに基づいて広告を出すことができる。しかもサーバー上のプライバシーを守る規制がされていない。これが携帯電話などと連動したら…総務省の動きも合わせると一大監視社会の出来上がりだ。が、著者は楽観的。それよりも消費者が自分で情報を管理して売り、能動的に広告を探して見るシステムに転換することを提案する。一方、善意や署名を無にしないためにも、社会連動にこそビジネスのマーケティング手法を取り入れることも提案。え?と思う提案もあるが社会運動に求められている視点だと思った。 (登)