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抜粋 まえがき

「ニューメディアの幕開け」が語られたのは1984年のことだった。新聞をはじめとする当時のメディアは、「情報化」「衛星」「デジタル」といった次世代性をまぶした言葉とともに、夢に満ちた数々の未来予測を伝えた。INS(高度情報通信システム)、ISDN(総合デジタル通信網)、キャプテンシステム(文字図形情報ネットワークシステム)、テレポート構想、テレトピア構想などの地域情報化政策、CS(通信衛星)デジタル放送、CATV(ケーブルテレビ)、ハイビジョン……。官庁が音頭を取り、企業もバスに乗り遅れてはまずいと横並びで参画する、という構図が繰り返されてきた。それから20年余り。夢物語のような未来を描いたプロジェクトは、現実にどのような道をたどったのだろうか。
華々しく登場しながらその多くはシナリオが崩れ、実を結ぶこともなく消えていった。だが、幻想に終わったニューメディアの失敗の実態について追及する動きは鈍く、そのうちに忘れ去られていった。中央省庁の縦割りの弊害を反映した、税金の無駄づかいと思われる事業も見過ごされたままだった。
その一方で、誰もが予想していなかった速さで普及した新しいメディアもあった。代表例はインターネットである。NHKのBS(衛星放送)も、既存の地上波とは違う切り口に活路を見いだした。ただ、その発展の道のりについても記録に残されていない部分があった。
そこで、それぞれのプロジェクトが「失敗」に終わった理由や「成功」に至った要因について、当事者の証言にもとづいて解明する作業を試みようと考えた。
官庁や既存マスメディアのコントロールが利かないインターネットが定着し、これまでの構造が一変しようとしている。揺れ動く放送と通信の境界はどこに設けられるのか。あるいは消えていくのか。法制面から見直す機運も高まりつつある。
その波をかぶる象徴がNHKである。日本でラジオ放送が始まったのは1925年、テレビ放送がスタートしたのは53年、衛星放送の本放送は89年からだった。いずれも先陣を切ったのはNHKあるいはその前身だった。放送の先駆的な取り組みをNHKがまず手がけるのが当然視されてきた。この暗黙の了解のもと、NHKはハイビジョンに代表される新規技術の開発に乗り出し、衛星放送など前例のない試みに積極的に参画した。白黒からカラーへ、地上波に加え衛星波もという「拡大」路線を歩んできた。
しかし、NHKの受信料収入は04年度に初めてマイナスに転じた。04年7月に発覚した「紅白歌合戦」プロデューサーによる制作費流用に端を発した不祥事の続出は、不払いにともなう罰則がないにもかかわらず高率の受信料納付率を誇っていた美しい神話を崩壊させるとともに、財政上の見直しを迫り、公共放送のあり方や存在意義まで問い直す事態となった。05年9月、NHKは「新生プラン」を発表したさい、不祥事にともなう支払い拒否・保留が約130万件と急増するなどして、契約対象世帯の3割にあたる1357万件が不払いになっていることを初めて公表するに至った。受信料収入の減少は05年度も続いた。
小泉純一郎政権の総務相だった竹中平蔵が06年1月に設けた私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」は、NHKのチャンネル数を8から5へ減らし、娯楽・スポーツ制作部門を本体から分離すべきだとした報告書を六月にまとめた。規制緩和と新たな競争政策を柱とする新自由主義経済の観点による公共放送見直し論だった。翌〇七年二月には後任の総務相・菅義偉が「NHK受信料は二割の値下げが可能だ」と発言、放送法改正による受信料義務化を打ち出し、受信料値下げ議論が加速された。
07年9月に発表される見通しだったNHKの5カ年経営計画(08〜12年度)は、受信料を月額約7%値下げすることなどを盛り込んだ執行部案が経営委員会に承認されなかった。08年9月までに再提案されることになったが、これまで値上げされることはあっても引き下げられたことはなかった受信料について、NHK自身がこれまでの膨張志向から決別し、縮小の意向を明示したのは初めてだった。
NHKだけでなく、民放も視聴率の低下とCM売り上げの頭打ちという難局に直面している。「世界に冠たる」と形容されてきた公共放送と民放の「二元体制」は、行き詰まりを見せてきている。
NHKのあり方への問いかけは政府からだけ起こされているのではない。メディアプロデューサーの村木良彦は「複数の新しい公共放送局を立ち上げることも、選択肢のひとつとして考える時を迎えているのかもしれない」(『総合ジャーナリズム研究』2006年秋号)と、公共放送が2つあるドイツのようなありようを提示している。「NHKの組織形態を見直すべきか」という設問で日本経済新聞が05年1月に実施したインターネット調査によると、63%が「民営化して、受信料制度も廃止すべきだ」と回答、「現在のままでよい」は7%にとどまった。朝日新聞が07年2月に実施した全国世論調査では、受信料について「高い」が65%に達し、「支払い義務化」への賛成(47%)は反対(44%)をやや上回った。放送界の中核に位置してきたNHKのあり方を根幹から問い直す議論が盛んになったこと自体、メディアの転換期を示している。
さまざまな試行錯誤を経て世の中に定着した新しいメディアは、多くの偶然と紆余曲折を経験した末でのことであり、想定されない経緯をたどっていった。例えば、一般家庭に普及したハイビジョンは、開発したNHKが想定した形態のアナログ方式とは異なるデジタル方式の受像機だった。ハイビジョンを伝送するテレビとして当初から考えられていた「アナログ衛星放送」のハイビジョンチャンネルは、07年9月30日に終了した。
機能の優位性にせよ、低価格にせよ、理由のいかんを問わず、世の中に普及する流れが変わると、一瞬のうちに形勢が逆転する。世の中を席巻するメディアには、カギとなる新しい技術がある。これが、ニューメディアの雌雄を決する鉄則といえるかもしれない。その象徴がインターネットだろう。10年前、マスメディアを揺り動かす存在として、ネットを予想する人は皆無だったのも、たしかな事実である。言い換えれば、10年後のメディア状況を確実に予測するのは不可能に近いということを意味する。その爆発的な普及の経緯をたどると、インターネットに取り組んだ人々の出会い、善意、決断が今日の姿に至らしめたことがわかる。
これまであまたあったニューメディアの「誤算」の歴史をひもとけば、成功の方程式を探り当てられないにせよ、失敗を避ける方策のヒントを得られるにちがいない。

                     2007年10月
                         川本 裕司 

書評 放送レポート 08年1月号 「話題の本から」

1984年、INS(高度情報通信システム)構想から始まった日本の「ニューメディアの幕開け」は、これまで幾多の夢に満ちた次世代メディアを構想し、実用化・事業化が図られてきたが、20年後、その多くは実を結ぶことなく消えていった。インターネットの出現、通信と放送の融合など、依然として続く技術の進歩と社会の変化は、メディアの未来図をさらに複雑にしている。
 川本裕司著『ニューメディア「誤算」の構造』は、「華々しく登場しながらその多くはシナリオが崩れ、…幻想に終わったニューメディアの失敗」がきちんと総括されず、また「成功」事例についても記録が残されていない現状に対し、当事者約230人への取材をもとにそれらの要因を明らかにしようと試みたものである。「失敗」のニューメディアは、放送分野では衛星放送、ハイビジョン、ケーブルテレビ、CSデジタル放送、衛星ラジオ、通信系ではINSとキャプテン、これらをベースにした「地域情報化政策」など。反対に「成功」事例にはインターネットが挙げられている。
 筆者がまとめる「失敗」の共通点は何か。「官庁主導のプロジェクトはほぼ不発に終わった。技術が優先されて機器や利用料が高いものは成功への垣根も高かった。根拠が希薄のうえ大ざっばなくくり方で出す普及予測はことごとくはずれた」といった点だ。本書から読み取れる「誤算」を誘引した要因は何だろう。ニューメディアに群がった政策官庁は省益しか考えず、海外・国内の参入資本は利益中心の経営戦略を押しっけ、志を持った挑戦者の多くはそれらの権力に翻弄され、技術的可能性を開花する間もなく去っていった。
 新自由主義経済の観点がいっそう強まっている現在、メディアの未来が「誤算」で描かれる余地は大きい。それを回避するには、「希望的観測とつじつま合わせの足し算にすぎなかった」過去の「メディア計画」を官民ともに脱却し、「利用者の視点を欠いたままの作られたブームを繰り返さないことにある」。(須藤春夫)

書評 総合ジャーナリズム研究 08年冬号(No.203)

 「バスに乗り遅れるな」と、あらゆる業界が群がった。銀行が、商社が、機器メーカーが先を急いで参入する。新しい電気通信メディアの「ばら色の未来」に向かって。官も民も、猫も杓子もである。とりわけ官は、高度情報化推進を旗印に、地方を巻き込む形で引っばった。煽った。
 80年代半ばから、そのニューメディア・ブームは、今から思えば不思議な喧騒を巻き起こしている。しかし、事のてん末(その多くが蹉跌している)を、時代を俯瞰するかたちで、描かれたことはなかった。
 本書は、朝日新聞記者の筆者が、かつての騒動の跡を丹念に調べ、関係者に取材し、足で書いた検証記録。そこから学ぶべきものはいまも、うんとある。

書評 A'dash(朝日新聞社内報) 08年1月

 「ところで、あの問題はどうなりましたか」。話が一段落しかけると、首をかしげて、時に脈絡もなく新たな質問を繰り出す。読みながら、20年ほど前に旧家庭面で一緒に働いた時の著者の取材の様子を思い浮かべた。
 「あとがき」に約230人のインタビューをしたとある。執拗に食い下がる著者の粘り強さが結晶した本である。
 84年に「ニューメディア幕開け」が語られ、「INS」「キャプテンシステム」「テレトピア構想」など次々と登場した構想の「その後」を検証する。
 著者は書く。「当初の注目の大きさと裏腹に、失敗した理由や経緯を突き詰めた記録はほとんど残されていなかった。素朴な疑問がわき起こり、釈然としない実態を目の前にして、取材にとりかかった」
 例えば、NTTの「キャプテンシステム」は84年に商用化された。81年入社の私にも、国・郵政省、電電公社が「新時代」と派手に宣伝したことは鮮明に記憶に残る。しかし、02年にインターネットの急速な普及に押されて廃止された、という。著者の取材に関係者は「墓を掘り起こすことに何の意味があるのか」と言ったそうだ。
 著者はテレビ、放送、通信などメディアの領域の編集委員である。しかし、本書の良さは、著者の足場が専門家や関係者の側にあるのではなく、あくまで読者と同じ視線から、"素朴な"問いを発していること。一市民としての"釈然としない"思いが根底にあるのだ。
 専門的な記述はさすがに細かいが、記者として納得できる答えを求めようとする姿勢が、読者を引っ張る。批判も事実に裏打ちされている。「官庁主導のプロジェクトははぽ不発に終わった」とし、「利用者である市民の視点を欠いたままの作られたブームを繰り返さない」という結論に説得力がある。
(編集委員 川上泰徳)

書評 朝日新聞 08年1月27日

 当事者に語らせ、斬り込む

 1980年代、中央官庁がこぞって発表した地域情報政策は、ニューメディアブームを加速させた。キャプテン、CATV、BS・CS放送、地上デジタル放送、そして、現在、注目の「通信と放送」の融合サービスなど、この20年間に登場した「ニューメディア」は、はたして私たちに何をもたらしたのか。
 本書は、この手の本にありがちな、結論先にありきのメディア批判や擁護論ではない。筆者は、新聞記者らしく、政策担当者や技術者など当事者に語らせることで、ニューメディアに込められた夢と眩惑に斬り込んでいく。
 そこで提示されるニューメディアの開発・普及に関わった当事者たちの回顧には、自己弁護も含まれてはいるものの、現場に立ち会った者しか知り得ない苦悩や決断が垣間見え、説得力ある内容だ。それらを紡ぐことで、日本の政策決定のメカニズム、そして、メディア資本の持つ問題性まで見えてくるのが、本書の魅力でもある。
 ただし、日本のメディア史を振り返ればわかるように、新規メディアの登場にあたっては、必ず大手新聞資本が関わってきた。この20年、新聞は何をしたのか。この点に踏み込めていなかったのは惜しい。
                   音 好宏(上智大学教授)

書評 出版ニュース 08年2月上旬号

 今から20年ほど前、日本では「ニューメディアの夜明け」が叫ばれ、官庁はINS(高度情報通信システム)やキャプテンシステム(文字図形情報ネットワークシステム)、CS(通信衛星)デジタル放送などの普及に力を入れたが、その多くは実を結ぶことなく消えていった。
 例えば、地域密着をめぎしたケーブルテレビの普及率は予想されたほどではなく、インターネットと電話サービスを売り物にしないと契約世帯を増やすことが出来ない状況にあり、NHKが世界に初めて開発したミューズ方式によるハイビジョン放送もハイビジョンの世界統一規格になることなく消えていった。著者はこれらの不発例を分析し、これらが官庁主導であったため各省庁がバラバラに動き、これを束ねるシステムが作られなかったこと、技術を優先したため機器や利用料が高くついたという共通点を見つけ、ここに今後の失敗を避けるヒントがあるという。