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抜粋 まえがき

2003年3月20日正午すぎ、英米軍がイラクに攻撃を開始した。共同通信を退社して大学へ転身することになった私が、社内で最後のあいさつ回りをしているさなかだった。開戦速報で慌ただしくなった編集局の様子を見つめているうちに、さまざまな感慨が濃い陰影をともなって胸中を去来した。
ジャーナリストとして歩んだ23年の道のりと、激変する地球メディア社会への複雑な思いと。
転身した理由はいくつかあった。IT革命の荒波を浴びてメディアを取り巻く環境が大きく変わったうえ、デスクになって取材の第一線から退いた。地球上の面白い出来事は十分に堪能したし、歴史的な現場に立ち会って書くべきことも書いた。メディアの世界を外から客観的に眺め、自由にものを書きたいという気持ちも強かった。
体験の世界から思索の世界へ。48歳。第二の人生へ踏み出すにはちょうど良い年代だったのかもしれない。
「ジャーナリストとして一番充実していた時期は?」
と問われたら、私はためらうことなく、
「ドイツ特派員時代」
と、答えるだろう。地球社会を読む旅のクライマックスだった。
20世紀は人類が遥か遠くまで駆け抜けた時代だった。戦争と革命が大きな影を落としたこの20世紀の最後を飾る10年 ―。東西ドイツが統一し、湾岸戦争が勃発し、ソ連が崩壊した。世界金融危機が発生し、ダイムラーとクライスラーが合併し、ユーロが誕生した。あんなに刺激的な時代はなかった。グローバリゼーションの流れが本格化し、地球社会が激動期に入ろうとするころだった。特派員として世界を飛び回らなかったら、グローバルな問題への関心は深まらなかっただろう。
グローバルな関心とは、地球市民としての自覚である。
地球上には、驚きの機会が無数にころがっている。未知の世界との出会いほど、心躍るものはない。日々刺激に満ち、単調さの苦痛を感じない仕事に打ち込めるというのは、幸せなことである。仕事柄、さまざまな職業の人と出会い、刺激を受けた。国際ジャーナリストという仕事は最も面白い職業の一つである。
人が旅にあこがれるのは、めくるめく驚きを体験したいからだ。
退屈な日常から抜け出して非日常の世界に触れる。自分が知らなかった世界に遭遇してハッとする。ハッとするとは自分の枠に気づくことである。古い殻を破り、新しい自分を発見する。遙かなる旅の途上で思いもよらぬ事件や人々と出会い、自分自身が変わり、成長していく。
世紀の発明、発見、政変、災害、テロ、戦争。非常こそがこの世の常である。ジャーナリストは生と死の谷間で繰り広げられるドラマのただ中に立ち、記録者としての客観性を保ちながら人間の業について思いをめぐらす。国際ジャーナリストとは何か、と自問するとき、思い浮かべる言葉がある。スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットの、
「生きるとは世界と交わること、世界に立ち向かうこと、世界の中で働き、世界に携わることである」
という名言である。これは『星の王子さま』で知られるフランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉と重なる。 
「人間であるということは、まさに責任を持つことだ。おのれにかかわりないと思われていたある悲惨さをまえにして、恥を知るということだ。…おのれの石を据えながら、世界の建設に奉仕していると感じることだ」
責任と自覚を持って世界の建設に参加し、真実を見いだし、自分の内面を再構築する。異質な世界の多様な姿に触発され、ものを書くという内省的な営為を通して思想遍歴する。そこにこそ国際ジャーナリストの醍醐味はある。
インターネットでどんなに多くの情報が得られようと、国際ジャーナリストはどこまでも、体験にもとづく一次情報にこだわる。現場へ足を運び、自分の目で直接、地球という書物を読む。それはわくわくするような面白さとぞくっとするような不安の谷間で現実を直視し、思考を深め、世界観を築き上げていく営みである。頭で思い描いていることと、実際に起きていることとの溝を埋める作業と言ってもいい。そういう虚と実との間で世界像を修正しながら、自分自身を高めていく。
地球社会の素顔をデッサンする旅は面白い反面、戦争やテロなど身の危険も多い。毎年、六、七十人のジャーナリストが取材活動中に犠牲になっている。危険を顧みずに現場へ向かうのは、「この世は生きるに値するというメッセージを同時代の人々へ、そして次世代の子どもたちへ伝えていこう」という使命感からである。
ジャーナリストの使命は情報やニュースを機械的に伝達することではない。権力と対峙して不正や虚構を暴き、人類の平和と幸福に寄与するところにある。報道や言論の自由としてのリベラリズムは、ヒューマニズムと一体になって真価を発揮する。
世紀の変わり目に世界は転換し、グローバルメディア時代が幕を開けた。それは取りも直さず、生き残りをかけた新旧メディアの攻防戦の幕開けだった。攻防の磁場からインターネットがいち早く抜け出し、メディア世界を制覇した。無数の光と影が生み出され、人間や地球社会は大きく変わりつつある。
冷戦終結を合図に、人類は自分の手に負えないパンドラの箱を開けたのである。
「人類はIT革命の波に乗って理想郷へ向かっている」「人類は科学技術の力を盲信し、自滅しようとしている」―楽観論から悲観論までの振幅の大きさはメディア社会の変化の激しさを物語っている。ウイルス散布による無差別攻撃、ネット中毒症や人格障害の蔓延、悪意の連鎖、権力による情報操作c。すでに一部ではカオス状況も出現している。進化のプロセスの中で自壊作用が生じているのだ。
不透明な時代を迎え、メディアの使命はますます重要になっている。だが、現実は逆の方向へ突き進んでいるように見える。冷戦後の10年余りの間に、ジャーナリズムは大きく変貌した。米国型市場経済という名の拝金主義が浸透する中、ジャーナリズム精神は窒息し始めている。権力に迎合したり、戦争を煽ったり、社内の派閥争いにうつつを抜かしたり、とマスコミ現場では目を覆いたくなるような事態が進行している。
地球社会に対する早期警戒システムとしてのジャーナリズムは、十分に機能していない。
情報のダムに埋没して、表現者としての自立的思惟を失う。グローバル社会の核心をえぐり出す努力を放棄し、売れる情報だけを右から左へ流す。権力や巨悪と対峙して真実を伝えようとする独立不羈の精神は形骸化する。これではもはやジャーナリストではなく、情報ブローカーである。思想なきメッセンジャーボーイと言ってもいい。
ジャーナリズムの理想は、グローバルな情報洪水に押し流されようとしている。理想を失ったものが滅びる運命にあるのは、歴史が証明している。このままだと、メディアの中核を成すジャーナリズムが死滅する日はそう遠くないかもしれない。それが健全に機能しているかどうかは、民主主義の存亡にかかわる問題である。
核兵器は言うに及ばず、人類は自滅できるだけの力を自らのうちに獲得した。
過去幾多にもわたる世代の中で、私たちはいま、この惑星に生存するすべての生命の運命を決めるよう迫られている。平和と協調のグローバル社会へ到達するための枠組みを創り出し、地球上における生命と精神の壮大な歩みを続けるのか? それとも、地球上における人類史の終焉への道を用意するのか? 
私たちが直面している挑戦は、私たち自身の運命を選び取る挑戦である。
グローバルな命題を考えるとき、メディアの問題は避けて通れない。メディアのゆくえは地球社会のゆくえを暗示している。地球メディア社会では、63億人の声が良くも悪くもグローバルに響き合う。パーソナルなものがすぐにマスメディア化するところに、21世紀メディア社会の光と影がある。光が強ければ強いほど、影は濃くなる。影を切って光を生かすことがメディアユーザーとしての地球市民の使命である。
地球メディア社会はどこからどこへ向かおうとしているのか?
激変するメディア社会の中で、私たち地球市民はどう生きるべきなのか?
本書では、面白さと危うさが同居する地球メディアの地平を、著者のジャーナリスト体験から浮き彫りにしたい。描こうとしているのはメディアを通して見た現代文明の素顔であり、現代文明の中で揺らめくメディアの実像である。地球時代に必要なのは、異質なものとの共生観をはぐくむコミュニケーションである。コミュニケーションとは心を伝え合うことであり、最も深い意味において「共に生きる」ことにほかならない。時代と向き合い、自分を高め、他者とのコミュニケーションを深めるための一助になれば、幸いである。

書評 図書新聞 2004年11月6日

生き生きとした哲学的ジャーナリズム論
「滅びゆくジャーナリズムの跫音」を聞く記者による総括

23年間共同通信社でジャーナリストとしてメディアの現場にいた著者は、2003年3月20日、つまり英米軍によるイラク攻撃の日に退社し大学教員へ転身した。本書はいわば、自身のジャーナリストとしての総括を込めて著したものだといってよい。
本書のキーワードは、「地球社会」だ。そして、メディアという視線から、「地球社会」をどう捉えて、どうあるべきかということを提示しようとしている。「地球社会」は、近年、進行していく「グローバル社会」と対置していく概念として著者は考える。それは、まさしく、「天空」から地球を鳥瞰する視線といいかえてもいい。サン=テグジュペリの『星の王子さま』が援用され、賢治の『銀河鉄道の夜』も引かれる本書は、柔らかな生き生きとした哲学的ジャーナリズム論といった形容を冠したくなるほど豊饒さに満ちている。
「地上の物欲に縛られている現代人を虚空へ引き上げ、よどんだ心を浄化し、こわばった頭に一撃を加えてくれるのが『星の王子さま』の効用である。人間の深層を宇宙の深層の中で読み直し、有為転変の世にあってなお健やかに息づく『永遠なるもの』に気づかせてくれるのが『星の王子さま』の魅力である。」(248P)
こう述べる著者は、現在というものに対して、「欲望のおもむくまま、消費と拡大の道を走り続け」(290P)て自壊へと向かっていると警告するのだ。そして、「地球社会に対する早期警戒システム」(13P)であるべきジャーナリズムがその機能を充分にはたしていないと断言する。著者の論究は、こうして、ジャーナリズムあるいは、メディアの「内」と「外」が抱えてしまっている問題を析出し、ありうべき「地球社会」のイメージへと接近していこうとするものである。著者の論点をいくつか凝縮していってみれば、ひとつは「グローバリズム」の問題だ。そして、そのことを推し進めていくITメディアの急激な拡大という暗渠。このふたつは、「外」の問題だ。そして、著者、23年のジャーナリズム体験から発せられる、「内」における内閉していく組織性という病巣の問題だ。
著者の鋭利な論及を引けばこうなる。
「グローバリゼーションの歴史はある意味において、人類の歴史と同様に古い。異文化コミュニケーションが古代からあったからこそ、経済、思想、文化、芸術、宗教は山や海を越えて世界中へ広がった。現代と決定的に違うのは、昔は何ごとも伝わるのに長い歳月を要したという点である。(略)厳密に言えば、グローバリゼーションとグローバリズムとは違う。
グローバリゼーションは地球が1つになる客観的な現象である。この流れは歴史的必然と言っていい。これに対し、グローバリズムというのは、強い者が腕力でグローバリゼーションの利点を利用するイデオロギーである。」(28〜33P)
「メディアはいまや『1つの地球』のインフラである。
ネット資本主義ともメディア資本主義とも呼ばれる現代のグローバル経済の流れは、パズルのように複雑になっている。
グローバル化時代の文法を読み解くのは容易ではない。プラスがマイナスに転じたかと思うと、マイナスがプラスになる。無数の要因が複雑に絡み合い、作用し合う。目の前にある現象や出来事を評価するのはそれだけ難しい。」(110〜111P)
著者のグローバル社会の分析は、多くのことを示唆している。グローバリゼーションとグローバリズムとの違いをこのように指摘することをわたしたちは、真剣に咀嚼するべきだ。ユーロのようにある意味、国家の枠組みや国境が無化していくことは、漸次して進行する人間社会の必然である。イデオロギー的に国家の枠組みをディスコンストラクションするのではなく、いわば人間社会の必然的なコミュニケーション(著者の考えにならっていえば、異質なものとの共生ということだ)が引き寄せた様態としてみれば、マイナスなことではない。だが、そこには、常に負の要素も内在していることを認識していかなければならないともいえる。これらの鋭い思考は著者が、ボン特派員時代、ベルリンの壁崩壊の取材を通し、フランクフルト支局時代、ユーロ生誕にジャーナリストとして立ち会ったことによると述べていることに、率直さの発露をわたしなら感じる。そしてこのことは、「記事を書くから記者と呼ぶ。」あるいは、「日々の出来事を記録するからジャーナリストと呼ぶ。」(151P)という信念が、著者にはあるからいえることなのだ。例えば、いつもその疑念に満ちているメディア用語として「客観報道」というのがあるが、ここでも著者は、真摯に自らのスタンスを表明していく。
「客観という言葉は誤解を生みやすい。ジャーナリストの仕事は本質的に主観的なものである。価値判断の究極の基準は個人の中にしかありえない。主観が悪いのではない。事実に鍛えられていない主観、思想的に洗練されていない主観が問題なのである。個人の理性を介する以外に真理には到達できない。個性の進化を通じて普遍化を目指す。」(117P)
ジャーナリズムのなかに管理主義が入り込み、「書かない記者」や「書けない記者」が管理者となってジャーナリズムの「内」を席巻していく。著者はそれを「滅びゆくジャーナリズムの跫音」と呼ぶ。記事を書かない管理者になっていくことを拒んで、著者は退社し大学へ転身することを48歳のときに選択した。そして、1年後、著者は長年のジャーナリスト生活の総括ともいうべき本書を著したのだ。
(評論家・皆川 勤)

書評 ジャーナリスト 04年11月25日

「この世は生きるに値する」という
メッセージこそジャーナリズムの使命

書名は論文ふうだが実は軽快なエッセイで、読み出すと魅きつけられる。「論」というよりも、語り部の楽しさと暖かみが感じられるからだ。
古今の天才の言葉が多く引用される。ダ・ヴィンチからルソー、アダム・スミス、チャップリン、宮沢賢冶…。単なる羅列だと煩わしいが、この著者の場合、名言集の糸が一つの作品に集束されてゆく。
サン=テグジュペリの「星の王子さま」である。あこがれて飛行士になり、天空から大地を、地上から宇宙を見渡しながら2つの大戦を経験したこの作家は、切実な希望や絶望を1つの童話に書き込んで虚空にかき消えた。
山本武信氏はそのメルヘンを原語のフランス語をはじめ、数カ国語で50回以上読み込んだという。
「人間の本質を見つめる視線の鋭さ、地球文明の行く末を見据える視点の高さ」「『星の王子さま』は…子どもにも楽しく読めるが、…かつて子どもだった大人が真剣に読まなければいけない」。彼は通信社特派員としてベルリンの壁崩壊から湾岸戦、ソ連解体、ユーロ誕生と、めくるめく10年の転換期を現地で体験した。経済のグローバリズム、9・11がアフガン、イラクヘの戦争につながる!
この、「非常こそがこの世の常」の時節に、現場を取材しながら彼は「星の王子さま」と対話し続けた。そして作家の言う、「人間であるということは、まさに責任を持つことだ。おのれにかかわりないと思われていたある悲惨さを前にして、恥を知ることだ」に呼応して、「この世は生きるに値する」というメッセージを伝えるのがジャーナリストの使命と確信する。
しかし、日本のメディアは彼を十分に活かすことはなかった。50歳を前に記者から教職に転じて、今はメディアを外から観察、分析している。彼は語学や哲学を学んだ人だが、資質は文学だろう。
けれど、この国のメディアは「文学」をあまり好きではないらしい。だから逆に、豊かな文学的感性こそが、歴史や哲学を包括する真のジャーナリズムを創造する資質ではないのかと、この本から私は読み取ったのだ。
(ジャーナリスト・亀井 淳)