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抜粋 あとがき

 本書のタイトルは、リベルタ出版の田悟恒雄さんがつけてくださいました。「旅する蝶」とは、タテハチョウ科の蝶、アサギマダラのことです。この蝶の名は、広く知られているわけではありません(私も知りませんでした)。
 タイトルをご提示いただいた当初は、怪訝な思いがしたことでした。私が書いたことは、優雅な蝶のイメージからほど遠い内容だったからです。ただ、関連書を読み進めるうちに、この不思議な蝶に関心を抱くようになりました。
 アサギマダラの魅力は、独特の色合いをした翅にあります。浅黄色のマダラ模様は、日光にかざすと、ステンドグラスのように透きとおって見えます。
 ところが、その可憐な体には、幼虫時代から食べるガガイモ科の毒が蓄積されています。アサギマダラは、体内に毒を貯めることで、防御に利用しているのです。
 この蝶はまた、はるばる海を渡り、2000kmを超える旅をします。福島県の山中でマーキングされたアサギマダラが、与那国島や台湾などで見つかっています。
 「私はよく山登りをしてきたのですが、標高2000m辺りからこの蝶に出会うことが多く、疲れを癒されたものです。たいていは風の力をうまく利用して、フワーリフワリと翔ぶのがすばらしいと思っています。蝶のイメージと、コトちゃんの絵によって、物語の重苦しさを和らげる効果が期待できるかもしれません」(田悟さん談)。
 複雑な気象を読み、台風をしのぎ、風の流れに乗って海を渡るアサギマダラ。体重0・5gにも満たない蝶が、途方もない飛行距離を維持できるのは、必要以上にエネルギーを使わず、最大限に風力を利用しているためです。こうした特徴は、本書の内容にふさわしい、と田悟さんは言います。
 地べたを這うように震災後の時間をやり過ごしてきた私には過分の誉め言葉ですが、ありがたく頂戴することにしました。
         *
 本書のもとになったのは、2011年秋から16年冬にかけて、「マガジン9」(http://www.magazine9. jp/)で連載されたコラム「原発震災後の半難民生活――宇都宮沖縄間右往左往」(全19 回)です。刊行にあたり、全面的に手を入れました。
 5年以上も辛抱強く連載を見守ってくださった「マガジン9」編集部の塚田壽子さんと仲藤里美さん、私が書いたことの事実関係を確認してくださったS先生とW先生、懇切で魅力的な帯文を寄せてくださった文芸評論家の木村朗子先生、書籍化を即決してくださった田悟恒雄さんに感謝いたします。
 連載中、「私小説なんか発表して何の意味がある?」と冷笑する知人もいました。私は同情がほしくて個人的な体験を語ったのではありません。そのような体験を産み落とした社会的事件を、共有可能なものにしたかっただけです。原発事故後に起きた出来事の大半が「なかったこと」にされている今日、それだけはさせまい、という一心でした。
 いまだに語られていない原発避難の物語は、本書の 万倍に及びます。避難の中で命を落とした人、避難したくてもできなかった人、避難したけれども帰還した人の物語の全体は、その数倍にのぼるかもしれません。この事実の重みが、冷笑家ではない読者の想像力に働きかけることを望んでいます。書きたいことを書いた私の証言は、書きたくても書けない人々の沈黙の前では、広大な砂丘をなす一粒の砂に過ぎないからです。
 本書を、コトちゃん、タツくん、天国のゴンちゃん、そして 年後の妻に捧げます。妻は3章に、コトちゃんはその他の章に、イラストを寄せてくれました。君たちに宛てたこの長い詫び状が、君たち自身の手で開かれる日を夢見つつ。
                    2017年3月末日
                         岩真 千 

推薦 木村朗子氏推薦文

《それが正しかったかどうかなんて誰にもわからない》

2011年3月、放射能雲に追われて沖縄へと妻子を連れて脱出する。単身栃木に戻ってからの5年半に及ぶ別居生活でみえてくる避難をめぐる軋轢、いじめ、そして沖縄問題。自主避難の理不尽が胸に迫るドキュメント。
                   (文芸評論家 木村朗子氏評)

紹介 Art Center Sakamoto 栃木文化社ビオス編集室
     
「とっておきの一冊」から

著者コメント】

 この一、二年で、原発避難(特に母子避難)に関する本が、脚光を浴びるようになりました。しかし、当事者が自分の言葉で体験を語った本は多くありませんし、何より父親の視点から率直に避難体験を語った本は、ゼロに等しい状況です。
 この事実は、日本社会の家族の在り方をよく示している、と私は思います。一見、男性優位に見えるこの国ですが、男=父親が弱音を吐いたり、くよくよと悩んだりすることは、実質上許されていません。地方に入れば入るほど、この暗黙の了解は、過酷です。
 本書を書き終えた今にして思います。これは一人の凡庸な父親が、「男らしさ」から遠く離れて、家族と向き合おうとした物語だったのだ、と。

書評 下野新聞 2017年6月5日 生活欄

 本県在住の男性が手記
 原発事故後の離散生活つづる

 2011年の東京電力福島第1原発事故後、本県から沖縄県へ身重の妻と長女を避難させた男性の手記「『旅する蝶』のように ある原発離散家族の物語」がリベルタ出版から発刊された。離散生活での出来事やその時々に感じたことを記した5年半にわたる記録。家族と離れて暮らす寂しさ、避難に対する葛藤や迷い、原発事故への怒り、やるせなさ―心の中にあったさまざまな思いがつづられている。
 著者は本県在住の大学教員岩真千さん。妻と3歳の長女と暮らしていたが、原発事故発生直後の11年3月15日、放射能の影響を考え、母が暮らす沖縄県内へ家族で避難した。その後自分は仕事のため本県に戻り、離れ離れの生活が始まった。
 家族で過ごしてきたぬくもりが消え去った部屋で暮らす虚脱感、避難したことで周囲から投げ掛けられた心ない言葉、家族に沖縄にいてほしい岩真さんと本県に戻りたい妻との言い合いやすれ違い…。岩真さんは「恨みを書きたかったわけではない。自分を見つめ直すというか、たまらない気持ちで必死になって書いた」と振り返る。
 加えて、沖縄で過ごす中で感じた米軍基地の問題などにもページを割いた。本県から「逃げた」自分、そして沖縄にとって「部外者」の自分が書くことで、福島や沖縄で暮らす人たちがどう感じるかという不安もあった。「彼らの心の深い部分に触れる痛みになりかねない」と考えながら、書いては消してを繰り返したという。
後書きには「原発事故後に起きた出来事の大半が『なかったこと』にされている今日、それだけはさせまい、という一心でした」と記されている。
                         (田中えり)

書評 週刊新潮 2017年6月15日号「Bookworm」欄

 見たくないものを、
 見ずにいられなくする書

                東京大学准教授・評論家 武田将明

 2011年3月15日、福島の原発事故が不安と疑念を掻き立てるなか、宇都宮に住む大学教員の「私」は、身重の妻と幼い娘を連れて東日本を脱出する。彼ら家族は沖縄に飛び、母とその再婚相手(義父)の家に転がりこむ。
 しかし沖縄は決して安住の地ではない。環境の変化に戸惑い、心身を磨り減らす妻子。国道を我が物顔で行く米軍の装甲車は、沖縄に浸透する暴力を見せつけ、「本土」から来た自分も加害者ではないか、と「私」は思い悩む。米軍基地で働くアメリカ人の義父との関係も屈折したものとなる。
 妻子を沖縄に残し、ひとり宇都宮で仕事を再開した彼は近所の冷笑を浴び、知人や親戚の多くも彼の行動を自己本位だと非難する。どこも針のむしろであるならば、いっそ家族を呼び戻したくなりそうだし、他ならぬ妻も繰り返し帰宅を訴えるのだが、夫婦関係に深い亀裂を生んでさえも、彼は離散生活を継続する。
 どうしてそこまで? と思う人もいるだろう。「私」自身、自主避難の必要性を訴えながらも、迷いを払拭できずにいる。しかしおそらく、彼には放射能の毒も沖縄の苦悶も、形をとって見えてしまうのだ。ゆえに本書は、客観的に自主避難の正当性を論証する記録というより、鋭敏な感性が自他を傷つけてつかんだものを赤裸々に示す私小説である。
 本書のリアリズムは、ときに意図せざるユーモアに転じる。ある親族が「セシウム測定済」という証書を同封した福島県産の桃を、毎年段ボール一杯沖縄に送りつけてくる。「私」はそこに執拗な悪意を感じつつも、証書を念入りに確認した上で、妻と一緒に桃をおいしく食べてしまう。
 不都合な事実から目を背け、かりそめの「現実」に安住する人の多い現代にこそ、本書は読まれるべきだろう。見えないもの、見たくないものを、見ずにはいられなくする書物だ。

マガジン9 2017年6月14日 「こちら編集部」

 「原発震災後の半難民生活」が本になりました!

 マガジン9で、2011年10月から2016年末まで、5年あまりにわたって連載された「原発震災後の半難民生活」が『「旅する蝶」のように ある原発離散家族の物語』のタイトルで書籍化されました(リベルタ出版より)。
 タイトルにあるように、描かれているのは2011年3月の東日本大震災による福島第一原発事故の後、北関東と沖縄に「離散」して暮らすことになったある家族の物語です。
 著者の岩真千さんは、栃木県宇都宮市にある大学の教員。震災時は妻と3歳の娘との3人暮らしで、数カ月後には2人目の子どもが生まれる予定でした。原発事故発生から数日後に、放射能の影響を危惧し、母とその再婚相手を頼って沖縄へと避難。しかし、「帰っても安全」との確証は持てないまま時間が過ぎ、1カ月後には仕事のため家族を残して宇都宮へ戻るという選択をすることになります。自宅に1人暮らし、連休を利用して沖縄の家族に会いに行く、「離散生活」のはじまりでした。 放射能の影響に対する考え方の違い、出産を控え知らない土地に暮らす妻のストレス、地元で親しくしていたはずの知人たちから投げかけられる、「避難した」ことへの心ない言葉…。そうした状況に心身をすり減らす夫婦の間には、次第に激しい言い争いが繰り返されるようになります。
 並行して、著者が目を向けるようになったのは、沖縄での滞在中、あちこちに見え隠れする「戦争」の影でした。祖母が問わず語りに口にする戦争の記憶、道路を我が物顔に走る米軍の装甲車や戦闘ヘリの爆音、元米軍基地勤務の義父の何気ない言葉…。かつては自分とは無関係のように見えていたそうした光景を生々しく感じ取りながら、著者は「この国は、昔から今までずっと『戦争中』だったのではないか」とつぶやくのです。
 もちろん連載中には毎回読んでいたのですが、書籍としてまとまった形で読むことで、時間の流れ──事故直後の混乱と不安、長引く「離散」への迷いや苛立ち──が、改めてはっきりと感じられました。同時に、東京にいた自分もほんの一端とはいえ経験していたはずの、不安で叫び出しそうだったあの震災直後の空気が、いかに心の中で遠いものになっていたかにも気付かされます。
 後書きにはこうあります。_〈原発事故後に起きた出来事の大半が「なかったこと」にされている今日、それだけはさせまい、という一心でした〉_ 先日も茨城県の原子力施設で作業員が被曝する事故がありましたが、ひたすら原子力推進の方向に突き進む政治を見ていると、事故後に起きた出来事どころか、あの事故そのものを「なかったこと」にしようとしているかのようにも思えます。
 本書は「ある原発離散家族の物語」ですが、あの事故で同じように「離散」を経験しなくてはならなかった人たち、「離散」を避けるために避難をあきらめた人たちは、いったいどのくらいいたことか。「離散」にはいたらなくても、さまざまな理由で故郷を離れたまま暮らしている人たちも、まだまだ大勢いることは言うまでもありません。そしてそのそれぞれに、当人たちにしか分からない「物語」があることでしょう。
 そうした事実を「なかったこと」にさせないために。本書のページをめくりながら、今はまだ語られていない無数の物語にも、思いを馳せたいと思います。
                         (西村リユ)

東京新聞/中日新聞 2017年7月16日 「書く人」

 
オロオロし、見えた現実
  『「旅する蝶」のように ある原発離散家族の物語』
  大学教員・岩真千さん(43)

 福島の原発事故後、沖縄に妻子を逃がし、家族が離ればなれになった五年半を記録したノンフィクション。というと、大仰に聞こえるが、本書はひたすらオロオロしていた(いる)、ひとりの人間の記録である。
 「僕の偏ったフィルターを通した記録です。でも、個人の体験を赤裸々に書いたら、もしかして日本社会が見えてくるんじゃないかと」。そう語る岩真千さんは、宇都宮の大学でフランス語を教える教員だ。
 原発事故時、娘は三歳。妻は出産を2カ月後に控えていた。放射能汚染から子どもを守りたい一心で、宇都宮からの避難を決意。岩真さんの母親が再婚して住んでいる沖縄に向かった。
 1カ月後、妻子を沖縄に残し、岩真さんは仕事に戻る。短期の避難だと思っていた妻は驚き、友人や親戚から「逃げた」と言われ傷つく。見知らぬ土地、義父母宅での居候暮らし、一人で子育てするストレスでボロボロになっていく。「早く帰りたい」と夫に訴えても、「赤ん坊のため」「放射能汚染を避けるため」と説くばかり。限界に達した妻は「きれいごとばっか言いやがって」「ホーシャノーヤローめ! ご都合主義者め!」と夫に叫ぶ。
 岩真さんは、原発事故で「為政者は国民を守らない」と思い知り、憤りに身を震わせる。その怒りが正義感の押しつけにならないのは、妻の非難の言葉が克明に記されることで分かるように、常に自分の立ち位置を相対化して、「オロオロ」しているからだ。たとえば原発事故の危険性を授業で熱弁した後、被災地出身の教え子が来て、「放射能汚染がひどい実家が心配で…」と泣いた。それを見て「自分はなんと思い上がっていたのか」と悔やむ。
 「自分は被害者だ」という意識も、沖縄の現実を知って変わる。運転中のバックミラーに黒々と迫る米軍の巨大な装甲車、オスプレイの電波障害で歪(ゆが)むパソコン画面、「日本軍よりも米軍の方が優しかった」という近所のオバアの言葉…。「本土の人間はみな加害者ではないか」と痛感する。「今はつらいけど20年後なら読めると言っている妻へのわび状でもあります」
 この本のページをめくると、日常に流され、薄らぎかけていた原発事故当時の記憶が次々によみがえってくる。オロオロしながら、やっぱり現実から目をそらしてはいけない、と思う。
                         (出田阿生)

出版ニュース 2017年7月下旬号

 〈携帯電話の向こうから、すすり泣きが聞こえてくる〉〈私は、妻を孤立無援の状態に追いやってきたのは自分ではないか、と思うようになりました〉原発事故による放射能汚染を避けるため、宇都宮から妊娠中の妻と幼児を連れて沖縄へ脱出した著者が綴った家族のドキュメント。〈ほんとうにそこまで危険なの? わたしの知り合いでそんなことを言っている人は、一人もいないのよ〉と問い詰める妻に、不安とジレンマを抱えながら「単身赴任」状態で宇都宮に戻り葛藤の日々が続く。5年の歳月を経ての決断のラストまで、自主避難の現実とさまざまな軋轢、風化と忘却、そして沖縄の現実が見えてくる。

ジャーナリスト 2017年7月25日

 原発の恐ろしさと沖縄の哀しみ
 ―ふたつを背負って苦闘する家族の重い記録

                     鈴木耕(編集者)

 ウェブサイト「マガジン9」に連載のコラムを、書籍化した一冊。こうしてまとまり精読するにつれ、そのインパクトの強さに圧倒される。
 サブタイトルに「ある原発離散家族の物語」とあるように、福島原発事故の放射能汚染を避けようと、勤務地の宇都宮を離れ沖縄に逃れた家族の話だ。とにかく子どもを放射能から守りたいという一念。だが、著者は大学教員の仕事を継続するため妻子を残して勤務地へ戻り、一家は離散家族となる。
 そこからが切ない。沖縄には著者の母と義理の父(米人)が暮らしている。ともあれ、一家はそこへ身を寄せる。しかし、妻はなかなか沖縄の地になじめない。そこから生じる夫婦間の軋轢。読むのが辛くなる部分だ。
 私は原発にこだわり、本も書いた。沖縄を何度も訪ね沖縄本も上梓した。だから、原発の恐ろしさも沖縄の悲しみも、自分なりに受け止めているつもりだ。だがそれは、あくまでも自分の選択。ところが著者は、原発事故により、そのふたつの切なさを、自己の責任とは関係なく背負わされることになってしまった。過酷な運命というしかない。
 宇都宮で、いつしか壊れていった人間関係。それを補えるほどの他人との関わりを、残念ながら沖縄では持つことができない。
 住まいというより、他者との関わりを失っていくことの疎外感。そこから必然的に生まれる夫婦関係の崩壊。間で苦しむ子どもへの愛惜。沖縄という米軍が居座る島の現実に怯む。ひとりの人間が背負うには重すぎる現実を、著者は必死に切り抜けようと、ひたすら記録する。
 本書は記録文学の輝かしい到達点だと思う。

とちぎ暮らしネットワーク 2017年夏号

 この本には、栃木県内に住んでいたある大学教員が、福島原発事故による放射能から子供を守るため、妻と子供を避難させた体験が書かれています。「避難区域」に指定されていない関東地域からも実は放射能避難している方がおりますが、そうしたご家族のことは話題にすらなりません。放射能被害は、家族で解決しなければならないこととして多種多様に、潜在化しているのが実態で、事故がもたらす不条理を知る上でも貴重な本であると思いました。

 放射能が関東方面まで大量に放出された2011年3月15日に栃木県から沖縄まで避難し、その後夫だけが戻り、2016年冬までの、実に5年以上にものぼる夫婦別離による家庭の変遷が綴られています。読んでいるうちに、家庭のリアルが非常に生々しいため、辛くなってくる時があるかもしれません。
 でも、避難生活中の他人の家庭を知ることで、自分だけではなかったという、安堵感や共感が湧き上がってくると思いました。想像を絶するほど過酷な日々だったと思いますが、「大学教員」である夫が放射能を危険視して、妻子を避難させたという事実が、夫から理解を得られないで母子避難している母を勇気づけるものだと思いました。
                    (栃木避難者母の会)

ふぇみん 2017年8月5日号(No.3162)

 2011年の東日本大震災当時、栃木県宇都宮市で暮らしていた著者は、原発事故による放射能汚染から逃れるため、3歳の娘と身重の妻を連れて家を出た。原発周辺住民が避難を始めた3月15日のことだ。避難先は沖縄の著者の両親の家。著者だけ仕事のために栃木に戻り、5年半に及ぶ別居生活が続いた。本書はその記録だ。
 家族を被ばくから守らねばという著者の決断は当然ともいえる。しかし、事故から1カ月もたつと、「冷静になれ」「風評被害だ」という声が大きくなり、自主避難者は町を捨てた人間として疎まれるようになる。一方、沖縄にあるのは基地と隣り合わせの厳しい現実。妻からは、子育ても介護もしない夫への罵詈雑言が続く。そんな中で、子どもたち(5年の間に2人になる)の成長は希望だ。
 とはいえ、私たちはいまだ壮大な人体実験にさらされている。何が、誰が、正しいのか。それぞれが最善の選択をしていくしかないことを教えられた。(矢)