レビュー 婦人通信 02年6月 特集「読みたい本が手に入らない」

読みたくなる本がつくりたい
田悟(でんご)恒雄

「五月病」というのがある。受験戦争から解放されてホッとした新入生がおちいる虚脱状態のことである。この時分、出版人もそんな気分にさせられる。3〜4月に出荷した大学教科書のかなりの部分が、連休明けにゴッソリ返品されてくるのだ。教科書からしてからがそんな具合だから、あとは推して知るべしである。
「活字離れ」が言われて久しい。若者が本を読まなくなったというのは確かにそのとおりなのだが、いまさらそれを嘆いても仕方がない。またその罪を、社会や教育だけに押し着せるわけにも行かない。今日の出版界のあり様も大いに関与しているからだ。
「読みたい本がない」とも言われる。「売れ筋本」ばかりに目が行き、どこの書店も「金太郎飴」さながら同じような品揃えになっているというのが、その理由のひとつである。だが、それだけでもなさそうだ。われわれ本を出す側は、読者が読みたくなるような本を出していないのではないか?――しばしばそんな気に襲われる。思い当たるフシはある。
出版社の売上げは定価×部数が基礎になる。これまで出版社は、何回も版を重ねることによって利益を生み出してきた。それが近年、ままならない。しかし、本が売れなくなり増刷がきかなくなったからといって、定価の方はおいそれと上げられない。とどのつまりは出版点数を増やすことによって、総売上げの帳尻を合わせることになる。1日に200点以上の新刊書が世に出て行くというから、それは半端な数ではない。
編集者はますます多忙になり、読者が何を求めているかなどと、じっくり考えてはいられなくなる。企画のツメは甘くなり、「1点1点ていねいに」といった気風はどこかへ吹っ飛び、粗製乱造が横行する。こうしてつくられた本は、ますます売れなくなる。まるで「デフレ・スパイラル」のように、出版界は「ジリ貧へのラセン階段」を転げ落ちて行く。
さらに、出版界の活力を削いでいる要因として、新規参入を阻む閉鎖的な業界体質を指摘せざるをえない。この点については他の場(朝日新聞、1月28日、オピニオン欄)でも述べたので詳しくは論じないが、要は、新規出版社は始めから経営が成り立たないような取引上の差別を強いられるということである。
その昔、「出版社は机と電話があれば始められる」と言われた。事実、その多くは少ない資本で立ち上げられてきた。ところがいまでは、OA機器などさまざまな設備を必要とするのはもとより、流通上の差別構造に耐えうるだけの潤沢な資金を用意するか、「食わないでもやって行く」覚悟を持つか、いずれかの条件を満たさなければ、出版は続けられない。論より証拠、このところ新規開業の話はとんと聞かない。
流通上のカギを握るのは、出版社と書店を中立ちする取次店である。なかでもトーハン、日販の二大取次が、シェアを二分する。中小出版社にとって取次とは、流通の蛇口を握る閻魔大王のような存在である。まかり間違えれば「出版の自由」を侵しかねない、とても大事な部署なのだ。だが、そんな自負や自覚は、近年ますます薄れ、大手・しにせ出版社ばかりを優遇し、中小にはやりきれないほどの差別を強いている。
いま、既存の社会システムが随所でほころびを見せている。企業が社会的責任を忘れたときの恐ろしさを、あの雪印事件はまざまざと示してくれた。出版界はそのことを肝に銘じなければなるまい。
(リベルタ出版代表)