back number 2017-07(July)

信州の路傍で(17.06)

07/31 経産省が先週末、高レベル放射性廃棄物の最終処分に関する「科学的特性マップ」を発表したのを承けて、けさの朝日新聞社説はこの問題を取り上げています(「核のごみ処分 『トイレなき原発』直視を」)─。

すでに大量に溜め込んでしまった高レベル放射性廃棄物の最終処分については、原発への立場如何を問わず、誰しもが認めるところ。もう「いつまでも先送りはできない」。
ところが政府は、「いまの原子力政策の維持・継続を前提に、最終処分地問題を進めようとしている」。
つまり「原発を守るために最終処分地を確保するというのでは、国民の理解は得られまい」というわけ。

まさにおっしゃるとおり。では、私たちには、いま何が問われているのか? 倉澤治雄さんの原発ゴミはどこへ行く?は、私たち一人ひとりに鋭いドスを突き付けます─。

「『原発ゴミ』はどこへ行くのか? たとえ地の底に埋めてしまおうと、いずれは私たち人間の世界に帰ってくる。それが『原発ゴミ』の宿命なのである。
 あたかも東電福島第一原発事故などなかったかのように、『再稼働』の議論が進んでいる。…しかし原発の運転を続けることは、『原発ゴミ』をこれからも積み上げるということだ。果たして私たちは、本当に原発を続けていく覚悟があるのだろうか?
 『事故のリスク』に晒され続ける覚悟、大量の『原発ゴミ』とほぼ永遠に共存する覚悟、費用負担を続ける覚悟、そしておそらくは100年以上にわたって、憂うつな『廃炉の季節』を過ごす覚悟。『覚悟』なき『再稼働』は、間違いなく、ツケを次の世代に回すことになる。その意味で問われているのは、私たちの良心なのである。」(pp. 253-254)

07/28 数々の軽いノリの問題発言がアダとなって、長らく「国民的不人気」を託ってきた稲田朋美防衛相が、やっと「辞意」を表明してくれました。
あまりに遅すぎた「辞任」です。これで南スーダン国連PKO部隊日報隠蔽問題をはじめ、数々の疑惑が帳消しになると思っているなら、大間違い。そんなお粗末閣僚を最後までかばい続けたアベ首相の任命責任を含め、徹底的に追及されなければなりません。
最も喜ばしいのは、これで毎日毎日「ナルシストのご尊顔」を見させられなくて済むようになるだろうことです。
そんなことをつらつら考えていたら、今度は民進党の蓮舫代表も辞任するという。
「オウンゴール」さながら。「アベ1強政治」が断末魔の叫びを上げているそのときに、それに代わろうとすべき者がこの体たらくでは、また「他に代わるべき人がいない」なんて言って、あの「腐敗政治」がいつまでも続くことになるのでしょう。
せめてこれを機に民進党は、「自分たちはいったい何をしたいのか」よーく考え、明確なビジョンを打ち出して、出直しを図っていただきたいものです。それができなきゃ、もうやめるしかありません。

07/27 だいぶ前に『平気でうそをつく人たち』という本が評判になったことがあります。アベ首相以下、先だっての衆参両院閉会中審査で政府側に立って口裏合わせた面々は、そんな類いの人たちってわけでしょう。
その前頭筆頭アベノ強シンゾー氏なぞ、「獣医学部新設の提案者は今治市であり、加計学園ではない。事業主体が誰か、今治市から説明はなかった」などとして、加計学園の獣医学部新設計画を先刻承知だったことを隠蔽しようと、涙ぐましいあがきを見せています。
だいたい当の今治市の議会議事録には、菅良二市長のこんな発言が出てくるそうじゃないですか(日刊ゲンダイDIGITAL)? しかもコレ、今年の「1月20日」なんて話じゃありません。何と、その半年も前のことなのです(2016年6月)。

「昨年〔2015年〕、構造改革特区と国家戦略特区の提案が一本化されたため、6月に国家戦略特区として、国際水準の獣医学教育特区の提案を愛媛県と共同で行い(略)本年1月、正式に国家戦略特区の指定と区域方針が決定された」「国家戦略特区に関しましては、安倍総理の強いリーダーシップにより進められており、今治市が指定を受けたことは非常に意義がある」

ではアベ氏は何で、そんな「バレバレのウソ」をついてまで、「1月20日」を死守しようとするのでしょう? 元東京地検特捜部の弁護士・郷原信郎 さんが「首相のよんどころない事情」について、こう解説してくれます─。

「昨年9月9日の国家戦略特区諮問会議の時点で、安倍首相が、加計学園の特区申請を認識していたとすると、そこでの議長の安倍首相の指示が、加計学園の獣医学部新設に便宜を図ったものであることを、事実上認めざるを得なくなるからだ」

そうです(「郷原信郎が斬る」7月25日)。
郷原さんはこのことを「"危険な賭け"に出たことで『詰将棋』に陥った安倍首相」と説いています。なーるほど。
ってことは、この「賭け」(=加計)に敗れたところで「詰みっ!」(「万事休す」)ってわけですね?

07/26 きのうの参院予算委員会閉会中審査で、早くも、おとといの「1月20日のウソ」が露呈してしまいました。この間の首相答弁をなぞってみると─、

 03.13「15年間、特区は申請され続けてきた。諦めずにやってきたところがあったのは事実。それが加計学園だった」(参院予算委)
 06.05「安倍政権になってから、国家戦略特区に申請を今治市とともに出された段階で承知した」(参院決算委)
 06.16「構造改革特区で申請されたことについては私は承知していた」(参院予算委)

どう見ても、アベ首相が加計の特区申請を知っていたことは、疑いようがありません。なのにそれが、おとといになって急転直下、

 07.24「加計学園の申請が正式に認められた(1月20日の)国家戦略特区諮問会議で知るに至った」(衆院予算委閉会中審査)
 07.25「1月20日は重ねて申し上げておきたい」(参院予算委閉会中審査)

ということで、以前の答弁を「修正」。辻褄合わせのために、涙ぐましい努力を重ねておられるようです。まっ、そんなウソは、いずれは「倍返し」となってバレることになるのでしょうが…。

きのうの質疑でもいやになるほど、見え見えのウソを聞かされました。なかでも「猿回しのお猿さん」のような役目を演じたのが、経産省出身の元首相秘書官・柳瀬唯夫氏でした。
このお方、「獣医師養成系大学の設置に関する協議」のために上京した今治市担当者と面会したことは、とっくに割れているというのに、そのことを何度問われても、「私の記憶を辿る限り…」という余計なフレーズをつけて否定し続けたのでした。
ひょっとして、これぞ「官僚の鑑」なのかもしれません。「森友」答弁で論功行賞を得た佐川宣寿・財務省前理財局長の故事に倣って、「いずれは事務次官に…」なぞと、つまらぬ出世を心待ちにして滑稽な役回りを演じきったのでしょう。

07/25 これまで駄々こねて出席を拒んできたアベ首相を迎えての、きのうの衆院予算委員会閉会中審査。
つい先だってまでは野党議員の追及に、「責任を取れるのか!」などと居直り、キレまくっていた男が、急に物分かりがよくなったかのように振る舞う気色悪さ。質問に立った共産党議員に対し、「さきほどのご下問ですが…」などとへりくだったのには、失笑・苦笑あるのみ。かえって「露骨なウソ臭さ」を印象づけました。
いくら仲間内での口裏合わせを徹底し、表面だけをソフトに取り繕ったところで、所詮、中身はウソのままなのですから、そんなものは「リベルタの第2仮説」(Cf.07/20)に従って、早晩バレるのは必至。
数あまたちりばめられたウソのなかでも、「白眉」はここ─。

 民進党・大串博志氏「加計理事長が獣医学部新設の特区申請をしていると知ったのはいつ?」
 アベ首相「申請が正式に認められた(1月20日の)特区諮問会議で私が知るところに至った」(!!??)

「加計理事長と頻繁に会食やゴルフに繰り出し、加計学園が運営する千葉県銚子市の千葉科学大の開学10周年イベントに遠路はるばる参加し、奇しくも国家戦略特区に今治市が指定された9日後の2015年12月15日には仲良く乾杯するかのようにグラスを傾けている、昭恵夫人いわく『男たちの悪巧み』写真まで公になっているにもかかわらず、“大学の学部・学科新設の話はいままでしたことがないから、総理のご意向は入りようもない”とシラを切ったのだ。…これが嘘であることを示す証拠も数々ある。…それを国家戦略特区の議長という最高責任者の立場にある安倍首相が知らなかったというのは、あまりに無理がある」(「リテラ」)。

それにしても、前川氏を除くすべての参考人が、揃いも揃って「記憶がない」「記録もない」を連発するのには呆れるばかり。
この国は、その程度の政治家と高級官僚によって動かされている、ってことなんですね?

07/24 自民党惨敗の東京都議選に続き、政令指定都市・仙台の市長選挙でも野党共闘候補が当選。「自民凋落の勢い」は、どうにも止まらないようです。
それもそのはず、毎日新聞がこの22-23日に実施した全国世論調査では、安倍内閣支持率はとうとう26%にまで落ち込んでしまいました。

「ある党幹部は『支持率は下がる。選挙には勝てない。トップを代えなくちゃ次の衆院選は戦えない』、中堅議員は『強引な政権運営のつけが出ている。内閣改造しても駄目だ』と手詰まり感を口にした。参院幹部は『経済で結果を出し、疑問は丁寧に説明していくしかない』と語った」そう(朝日新聞)。

そうなりゃ後は、自己保全本能に長けた「陣笠ネズミ」諸君の「大脱走」が相次ぐことになるのでしょう。
「1強の驕り」なんて、日々足元(権力基盤)を掘り崩しているようなもので、そういつまでも続くものではありません。ある限界点を越えれば、あれよあれよという間に自壊・自滅してしまうものなのかもしれません。

07/21 「猿は引っ掻くもの、政治家はウソをつくもの」とは、以前から承知してはいたものの、PKO日報問題をめぐる稲田朋美防衛相のウソ、加計学園獣医学部新設問題での山本幸三地方創生担当相のウソには、呆れて涙が出るくらいでした。
通常の市民感覚からすれば、どうにもウソとしか思えない言い草で、ウソを取り繕おうとする。つまりは「ウソの上塗り」。
「鋭意、なるべく早く」出すという「特別防衛監察」の結果にしたって、稲田大臣が3月にこれを指示したときには、「防衛省、自衛隊に改めるべき隠蔽体質があれば、私の責任で改善していきたい」なんて胸を張っていたのに、当の稲田氏が実は組織的隠蔽工作の中心にいた、なんて話が明るみに出つつあります。これも、後見人の流儀に忠実に従った、「アベ流」そのもの!
一方、厚かましさにかけてはこれに引けを取らない山本氏の方は、朝には「〔同席の〕秘書官がメモ書きみたいに書いていた。…それは確認した」と言っておきながら、夕方には「メモ自体はもうない。内容は覚えている」などと「発言を後退させた」そう(朝日新聞)。
まるで「朝令暮改」を地で行くような話ですが、そんな子どもじみた言い訳、いったい誰が信じるでしょう。
これも「政権末期症状」のひとつなのでしょうが、この内閣、どこをつついても、出てくるのはゴミとボロばかり。これをまとめて近畿財務局に持ち込めば、8億(!)にはなるのかもしれません。

そこで、きのうに続いて、「リベルタの第3仮説」と行きましょう─。

「集団や組織のレベルは、その頂点の高さによって規定される。すなわち、その頂点がどれだけ低くても、決して構成員がこれを凌駕することはない。」

「それじゃあ、第1仮説って何なんだ?」との声もおありかもしれません。ご関心の向きは、「紙」と共に去りぬ所収の以下の小論をご参照ください─。

 「ビーバ、プリントメディア!」(pp.18-21)
 「『リベルタの仮説』再論」(pp.83-86)

07/20 いったんついたウソは、辻褄を合わせるために別のウソを必要とし、それらのウソとウソが積もり積もって、最終的には破綻する─。
稲田防衛相の「南スーダンPKO日報隠蔽疑惑」は、そんな「リベルタの第2仮説」を地で行くような展開になってきました。
稲田氏をめぐるその顛末を、朝日新聞デジタルの記事などに拠ってフォローしてみると…、

'16.07   「ジュバで戦闘」と現地の日報に記載。
'16.09    フリージャーナリストが7月の日報の情報公開請求。
'16.12.02 日報を「陸自は廃棄済み」として防衛省が不開示決定
      (第1のウソ)
'16.12.26 統合幕僚監部に電子データが残っていたことが判明。
'17.01    陸自でも日報の電子データを確認。
       稲田氏に統合幕僚監部内での日報発見を報告。
'17.02   「統幕内でみつかったデータ」として日報を公表。
       陸自内でみつかったデータの対応を協議する幹部会
       議(「隊員個人が収集したデータ」とし、陸自に保
       管されていた事実は非公表を決定=組織的隠蔽
       に稲田氏も出席。
'17.03    衆院委員会で稲田氏、陸自内でデータが見つかった
       との「報告はされなかった」と答弁(第2のウソ)
       「1月に陸自内で日報がみつかっていた」などの報
       道を受け、稲田氏が特別防衛監察を指示。
'17.07.18 自身が「非公表」を了承したかどうかについては、
       「ご指摘のような事実はない」
      (そのウソ、ホント?)

まっ、このお方、これまでもあまりに平然とウソをつくことが多かったので、そんな「狼大臣」の言うことをまともに受けとる人なぞ、おそらく「絶滅が危惧される」ほどでしょう。
公募2カ月前に早々と獣医師会に対して「加計ありき」を伝えていた山本幸三地方創生相のウソについては、紙幅がなくなってしまいました。

07/19 意識的に論点をずらし、質問にはまともに答えない。木で鼻を括ったような答弁を繰り返す─。記者会見や国会答弁などで見慣れた光景ですが、昨今、「政治家や官僚の言語的頽廃」には、目に余るものがあります。
このように虚偽答弁を常套的に振り撒いてきたのは何も、間もなく解任必至の稲田朋美防衛相や、むしろ「フェイク答弁ぶり」が高く評価されて国税庁長官にご栄転あそばされた佐川宣寿・財務省前理財局長だけではありません。
アベ首相やスガ官房長官以下、政権トップの座にある人々が、一強権力に胡座をかいてやってきた基本的な政治姿勢が、そのままストレートに下へ伝わってきただけのことでしょう。
けさの朝日新聞オピニオン欄〈耕論〉が、「アカウンタビリティー(説明責任)」の視角から、この問題を取り上げています。
なかでも早大公共経営大学院教授・片山善博さんのお話は、県知事や閣僚を経験してきただけに、重みを感じます─。

 「…最近の国会審議では、官僚が『資料がありません』『でも、ちゃんとやっています』という意味の答弁をしています。そんなことを堂々と言うようになったのは初めてです。
 私が大臣ならば『待て、そんな話じゃ済まない』と説諭して部下にあんな答弁は絶対させません。しかし、現政権はむしろ説明責任を放棄した官僚答弁を歓迎している節があります。表面上は官僚の堕落ですが、この政権の下だからこういう事態が起こっているのではないでしょうか。」

07/18 亡くなった劉暁波さんが2009年12月、裁判審理に向けて記した陳述書「私には敵はいない:私の最後の陳述」を読みました(HuffPost Japan)。
これは2010年12月、主役不在のまま行なわれたノーベル平和賞授賞式でも代読されたそうで、読む者の心を深く打つ文章です。
「私には敵はおらず、憎しみの気持ちもない」と言って、彼を監視、逮捕し、尋問した警察官、起訴した検察官、判決を下した裁判官に対しても、その職業と人格を尊重する姿勢には、ある種、宗教的な神々しさすら感じました。
そして、「高い塀を越え、鉄格子を貫く太陽の光」たる妻・劉霞さんとの変わることのない愛もさることながら、祖国・中国が「表現の自由がある場所となることを。全ての国民の発言が同等に扱われるようになることを」強く希う劉暁波さんの以下の文章には、ファシズム監獄に囚われながら、「知のペシミスト」であり「意思のオプティミスト」であったアントニオ・グラムシを思い起こさせるものがあります─。

 「…そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、平和的に共存できる。多数意見と少数意見が平等に保障され、特に権力者と異なる政治的見解も、十分に尊重され、保護される。ここではあらゆる政治的見解が太陽の光の下で民衆に選ばれ、全ての国民が何も恐れず、政治的意見を発表し、異なる見解によって迫害を受けたりしない。
 私は望んでいる。私が中国で綿々と続いてきた「文字の獄〔言論弾圧のこと〕」の最後の犠牲者となることを。そして今後、言論を理由に罪に問われる人が二度と現れないことを。
 表現の自由は人権の基礎であり、人間性の根源、真理の母である。言論の自由を封殺することは、人権を踏みにじり、人間らしさを閉じ込め、真理を抑圧することなのだ。
 憲法によって付与された言論の自由を実践するためには、公民としての社会的責任を果たさねばならない。私がしてきたあらゆることは罪ではない。たとえ罪に問われても、恨みはない。
皆さんに感謝を。」

07/14 中国のノーベル平和賞作家で人権活動家の劉暁波さんが、囚われの身のまま肝臓がんで亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
1989年7月初め、ウランバートルでのジャーナリスト国際会議に参加するのに、当初は北京経由の列車で行くつもりでしたが、出発直前に「天安門事件」が勃発、やむなく成田からはるばる空路モスクワ経由を余儀なくされたことが思い出されます。
あれから28年、中国民主化のため不屈にたたかい続けた劉暁波さんの強靱な意思に、心から敬意を捧げたいと思います。

さて、そんな素晴らしい人物のことを思い浮かべた後で、話題にするのも憚られるのですが、このところ私らの国では、あまりに不誠実な政治屋が次から次へと出てきます。
この連中は一様に「暴言」「失言」を重ねては人々の顰蹙を買い、そのつど一様に、「"誤解" という便利な言葉」を使って、事もあろうに、自分の罪を聞く側のせいにしてしまおうと企みます。まったくもって「卑怯千万な輩」なのですが、いまそんな政治屋が永田町界隈に急増殖しているのです。
けさの朝日新聞、田玉恵美さんの記事「政治家、なぜ『誤解』連発 二重の意味で不誠実、批判も」は、この手の政治屋の代表格・稲田朋美防衛相をケーススタディに、興味深い見方を紹介しています─。

「〔政治家が『誤解』という言葉を使う場合〕本来の意味とは離れ、詭弁になっていることがあるので、だまされないよう注意が必要だ」(東大教授・西成活裕さん)。

「〔稲田氏のケースは〕本音をうっかり口にしたら怒られたので、誤解という言葉で取り繕おうとしたのではないか。でも、論理をごまかしていると事態の収束は難しくなるのです」(同)。

「失言したうえに『誤解』と言い募ることは、二重の意味で有権者に対し不誠実だ」(国語辞典編纂者・飯間浩明さん)。

なお、このテーマについて詳しく知りたい方には、シルバーブラットさんのメディア・リテラシーの方法をお薦めいたします。

07/13 きょうはいつもとはガラッと趣を変え、この秋に日本出版者協議会(出版協)が開催するブックフェアのご案内─。

         出版協ブックフェス

 
と き: 9月9日(土)10時〜19時
 ところ: 在日本韓国YMCAアジア青少年センター
     (千代田区神田猿楽町2-5-5)
      JR水道橋駅東口より徒歩5分
      メトロ神保町駅A5出口より徒歩7分
 
          キャッチコピー

「空気なんか、読まなくていいじゃない。本を読もうよ。」

 
自由な、批判的な、個性的な、表現・言論のしにくい空気が漂っている今、そうした空気などをあえて読み飛ばし、多様な表現を守り、世に送り出し続けている出版社は、実はたくさんあります。
 また、世の流行とは無縁に、コツコツと次代に繋ぐ専門書を刊行している出版社もあります。出版協の会員社の多くが、そうした特徴のある出版を続けています。
 このような出版の多様性を、この機会に広く知っていただきたい。そして、空気なんて読まず、自由に生きていけるような社会を一緒につくっていこうよ、というメッセージを伝えたい。そんな想いが、このコピーには込められています。

 開催までの準備の様子につきましては、日々刻々、ツイッターにてご報告いたします。

なお、そこでのリベルタ出版の「出展者紹介」から─。

「リベルタ出版は、『Liberta』(自由、気まま)を旨とする究極の零細出版者。メディア、環境、原発を中心に「空気を読ま(め)ない」本ばかりを出版しています。http://liberta-s.com」
「リベルタ出版のイチオシ本は何と言っても『メデイア・リテラシー:マスメディアを読み解く』です。日本のメディア教育の礎を築いた「古典的名著」で、もうかれこれ4半世紀も売り続けています。」

ってな具合。ときどき「そーっと覗いて見て」ください。

07/12 政治家の「外遊」という言葉には前々から違和感を抱いていたのですが、今回の首相訪欧の顛末を見て、「ああやっぱり "外遊" ってアリなんだぁ」と考え直しました。
今月7-8日にハンブルクで開かれたG20サミットの後、我らが宰相は、九州北部豪雨での激甚被害をしり目に、いまとくに喫緊の課題があるわけでもない北欧3カ国、スウェーデン、フィンランド、デンマークへと涼みに(?)行っていました。これぞ「れっきとした外遊」と言うべきか、いえいえ「バカのバカンス」と言った方がよろしいかもしれません。
ところが世間様から批判が高まり始めた9日夜になって急遽、最後のエストニア訪問を取りやめ、11日に帰国すると発表しました。
「九州北部豪雨で被害が出ているため」なんて言っていましたが、もしも本気で被災地の心配をしているのなら、G20閉幕の8日に出発し、9日には日本に帰っていることもできたはず。だけど、そうはしませんでした。そうはできない、よんどころない事情があったのでしょう。
何せ、どこまでも姑息な男の考えること。誰しも思いつくように、9日に帰ってしまえば、せっかく開催日をぶつけて、まんまと逃げ出した10日の国会閉会中審査に出なければならなくなってしまうからです。そこで、閉会中審査の終わった「11日に帰国」という線が出てきたわけ。
飛んだとばっちりを受けたのが小国エストニアです。同国駐日大使館の公式ツイッターが、首相の前倒し帰国を報じるNHKニュースについて以下のようにツイートした一般ユーザーを、異例のリツイートしたそうです(「リテラ」)─。

「NHK『安倍が被災地思い予定繰り上げ帰国』 9日夜7時・8時45分報じる  3か国中、最後のエストニアだけ削るという 北欧2国も削っちゃうと、閉会中審査出られない理由がなくなる」

2001年、ゴルフ場でハワイ沖での「えひめ丸事故」の報を受けながらプレイを続け、世論の猛批判を浴びて辞任を余儀なくされた森喜朗(シンキロー)元首相の故事を、ついつい思い出してしまいました。
「外交で失点回復」の目論見どころか、これでまた支持率が、支持率が…、あーあ。

07/11 世論の強い批判を受け、しぶしぶ開催した衆参両院の閉会中審査は、当然のことながら、疑惑をとことん詰め切ることはできませんでした。
自民党の竹下国会対策委員長は、「同じ質疑の繰り返しで、何度やっても同じだから、これでおしまい」などと言って逃げましたが、そんなことになってしまうのも、和泉洋人首相補佐官、木曽功元内閣官房参与、藤原豊元内閣府審議官ら「疑惑のキーマン」たちの出席を、与党側が拒んだからじゃないですか。
だから、いくら前川さんが和泉補佐官から「獣医学部の早期開設」を何度も迫られたと証言しても、毎度の不誠実答弁をウリにする、あの菅官房長官が、「和泉氏からそんな指示はしていないという報告を受けている」で、否定したことにされてしまう。
おまけに山本幸三地方創生相に至っては、官僚が書いた長い長い作文を棒読みし続け、審議時間を無駄にしてしまう。
与党や準与党(維新)の質問はと言えば、前川さんへの個人攻撃(これぞ「正真正銘の印象操作」!)に終始します。
なかでも自民党・青山繁晴議員の質問は、最悪・サイテー。「既存の学校を守ろうとする姿勢と天下り問題は密接に繋がっている。日本の闇だ」などと気勢を上げたものの、前川さんからこう返されて、返り血を浴びる始末─。

「今治市における獣医学部新設と天下り問題を結びつけて議論するのはおかしい。…仮に結びつけるのであればですね、具体的な事例は木曽理事の問題です。木曽理事はたしかに私の先輩で、内閣官房参与の身分をもったまま加計学園の理事になっておられまして、そのふたつの肩書きをもった状態で私のもとにおいでになり、加計学園の獣医学部新設に向けて働きかけをされたと。こういうOBによる現役に対する働きかけこそ、いわゆる天下り問題の、弊害のひとつの端的な例だと思っておりますが、私は木曽理事の働きかけをもって何らかの政策判断に影響させるというようなことはいたしませんでした」

「どだい役者が違う」ってことです、青山サン。いよいよ「祇園精舎の鐘の音」が鳴り響きます。

07/10 この土日に行われた朝日新聞世論調査(電話)によると、安倍内閣の支持率は33%と、1週間で何と5%も下落したそうです。
そんな中、申し訳ばかりに開催された国会の閉会中審査が目下、進行中。しかしこれには、昨年、前川氏を呼びつけ、「総理は自分の口から言えないから、私が代わりに言う」と発言したとされる和泉洋人・首相補佐官が呼ばれていないというのは、どう考えてもおかしい。
いえいえ、何よりかにより「疑惑の頂点にあらっしゃるお方」が、海外出張を理由にそこにいないのが致命的です(もっとも、「夫妻してどこまでも逃げ回る鬼のいぬ間」にわざわざぶつけた、というのが真相でしょう)。
それでも、隠し事をしない前川喜平・前事務次官が参考人として招致されているのは、大きな意味があるだろうと思います。国会での審議の様子については、「HUFFPOST」がテキスト中継してくれているので、興味津々。
たとえば、福島伸享氏(民進)の質問では、こんな具合─。

「Q:10月7日の段階で、加計で決まっていると萩生田氏は発言している。
 前川A:担当は内閣府で、内閣官房あるいは総理官邸が直接担当ではないが、私が9月上旬、10月にも和泉総理補佐官を訪ねたことがある。今問題になっている10月7日の日付入りのもの、文科省としては、萩生田氏と相談したいということで、獣医師の需給の見通しを建てるためには、農水省・厚労省の参画が必要、そのための調整をしていただきたいというのが文科省のスタンスだった。
 結局、10月21日付けの「ご発言概要」資料でわかるとおり、萩生田氏は、関係省庁の早く手続きを進めるようにと。内閣府がこの仕事を進めるにあたってはその背景に官邸の動きがあったと思っている。和泉補佐官が様々な動きをしていた。

07/07 けさの朝日新聞〈耕論〉は、今年の流行語大賞の有力候補「忖度」に焦点を当て、ユニークなお三方にインタビューしています(「暴走する忖度」)。
なかでも強く共感を覚えたのは、国際基督教大学のドイツ人政治学者ヴィルヘルム・フォッセさんのお話でした(「先回りした服従、悲劇生む」)。
よく「忖度」というのは外国語に訳しにくいと言われますが、フォッセさんは、似たようなドイツ語に "vorauseilender Geholsam" (「先回りした服従」)という言葉がある、と指摘します。
ドイツでは、「周囲に波風を立てないよい隣人で、異議を唱えようとしない態度が、結果として非人道的な悲劇を生む土壌になった」というヒトラー時代の苦い教訓から、「疑問を公的に発する成熟した市民になることが重要だという考えが共有され」るようになった、と言うのです。しかも、そのような意識転換が1968年の世界的な「若者の叛乱」をきっかけとしていたというのは、それ自体とても興味深いことです。
しかし、その頃同様の社会的体験を経ているこの国では、その後も「先回りした服従」が執拗に生き続けてきたというのは、なぜなのでしょう?
いささか古めかしくはなりますが、市民社会とメディアの中で、原寿雄さんが興味深いデータを紹介しています─。

「1997年11月のNHK世論調査『放送の役割』は、人々の公共性意識について『生活信条』を庶民的、市民的、私民的の三つに分類して調査しているが、『市民的意識』を持つものは回答者2543人中の2割弱にとどまっている。『庶民的意識』は『周囲の人たちとなごやかな生活を送り、世間に迷惑をかけないことや義理人情を大切にするように心がけている』で57.1%、『市民的意識』は『社会はこうあるべきだという自分なりの考え方を持ち、みんなと話し合いながら、世の中をよくするように心がけている』で17.7%、『私民的意識』は『自分の生活や楽しみを充実させることを第1に考え、他の人の生活や考え方に深く立ち入らないように心がけている』で22.0%となっている(『放送研究と調査』1998年5月号)」(同書、p. 33)。

この国の人々の意識は、おそらくその後もあまり変わっていないのかもしれません。「個の確立」のできない日本社会は、依然として「あるべき市民社会の入口に立って戸惑っている」(同、p. 30)のです。

07/06 きのうの東京新聞「筆洗」は、都議選最終盤の秋葉原駅頭でのアベ首相演説(Cf. 07/04)を、言葉の意味論から説いていて、とても面白く読めました─。

「指示語のこれ、あれ、それ、どれ。なにかを指し示しているだけでそこには判断も感情も含まれないのだが、形容動詞の『こんな』『そんな』『あんな』になると話はやや違ってくる/
『こんなことも分からないのか』『そんなばかな』。『こんな女に誰がした』(『星の流れに』)。なぜか、否定の評価や嫌い、気に入らぬという意味や感情が強くなる/
批判に腹が立ったか。それでもすべての国民を守るべき首相が反対派であろうと国民に向かい、悪意のこもる『こんな人たち』を使った。それが寂しい」

つい先だって(06/30)「売り言葉に買い言葉、私の姿勢にも問題があった。深く反省している」と珍しく「反省」を口にしたばかりの、その同じ口から飛びだした言葉とは、とうてい思えません。
そして、もひとつおまけに、この一件について、あの東国原英夫さんがフジテレビの番組の中で語った言葉が、なかなかに突っ込み鋭い(ハフポスト)─。

「あの言葉っていうのは、今までの不祥事の全部合わせたぐらいの、本当は言ってはいけない言葉。国民に一国の総理がですよ、反対だからと言って批判しているからって、こんな人たちには負けるわけにはいかないって言ったんですね。この言葉が大問題にならないことがおかしい。あれで僕は、自民党、惨敗だなと。最終的に決定しましたね」

我らが押し戴く宰相には、そこんところがからきしお分かりいただけない、ということなのでしょう。

07/05 官僚のポストなぞ、当の役人業界以外、ふだんは誰も関心を抱かないものですが、今度ばかりはチト違います。
森友疑惑をめぐる国会論戦で、政府側答弁者として毎度毎度人を食ったような答弁を繰り返してきた、あの佐川宣寿・財務省理財局長が、本日付で国税庁長官にご栄転あそばされたそう。
「国民の財産」国有地の8億円からの大幅値引き払い下げの経緯を問われれば、ドヤ顔して「適正に売却した」を繰り返し、見え見えのウソを重ねては、事実確認も交渉記録の提出も拒み続けてきた、「真相糾明妨害のA級戦犯」
こんな人物を、何よりも「公平・公正」と「説明責任」を求められる国税の元締めに任命するなど、およそ考えられない話。しかも、それがこの間の「森友疑惑隠しの論功行賞」だとすれば、この国の将来に大きな禍根を残しかねません。
麻生太郎財務相はきのう、「〔佐川氏は〕丁寧な説明に努めてきた。特に瑕疵があるわけでもない」としたうえ、「適材だ」と持ち上げたそうですが、冗談言っちゃいけません。
おおっぴらにこんな人事が認められれば、官僚たちはいよいよ「ヒラメ化」し、ますます「行政が歪められる」(前文科次官・前川喜平さん)ことになるでしょう。

07/04 選挙民からあれだけ厳しい審判を下されながら、自らの疑惑をよそに、「深刻に受け止め」とか、「謙虚に丁寧に」とか、「しっかり、丁寧に」とか、他人事のように「うわべだけの反省」を口にできるというのは、それはそれで「人並み外れた能力」なのかもしれません─。

「自民党に対する、厳しい叱咤と深刻に受け止め、深く反省しなければならない」

そんな言葉をにわかに信じてしまう人は、よほどのお人好しか、おっちょこちょいでしかありません。
猿でもすると言われる「反省!」ですが、そんなことも絶対にできないという人類もいるのです。それが、我らが戴く宰相です。
都議選最終盤の秋葉原駅頭で「アベ辞めろ!」を叫ぶ聴衆に激高したこの方が叫んだ言葉は、ご当人がなぜ「反省のできない人」なのかをよーく物語っていました─。

「こんな人たちに負けるわけにはいかないっ!」

自分への批判は絶対に許さない。楯突く者にはどこまでも攻撃的に、おべんちゃらを言いながらすり寄ってくる人(「オトモダチ」)にはどこまでも面倒見よく振る舞うのです。
こうしていつの間にか、まわりは「おべっか使い」ばかりになってしまいます。「1強の正体」とは、そんなものなのでしょう。
そういえばきのう、記者会見で秋葉原の一件を「有権者軽視では?」と問われた官房長官氏が、相も変わらぬ調子でこう答えていましたっけ─。

「全く問題ありません。きわめて常識的な発言じゃないですか」

07/03 けさの各紙には、「自民が歴史的大敗」とか「歴史的惨敗」といった見出しが踊っています。何せそれまでの都議会57議席を一挙23議席にまで減らしたのですから、「歴史的」を冠されて当然。
開票結果が明らかになって即刻辞任した自民党都連会長・下村博文氏は、「予想以上に厳しい結果だ」なんて言っていましたが、何をおっしゃるウサギさん、それこそ、この党が国民をいかに愚弄してきたかの証左じゃありませんか!?
「国政の問題が都議選に直結した」─。そうおっしゃるご自身の「加計200万円献金疑惑」を始め、「いろんな失言などが影響した」ことは、明々白々。
「もり、かけ疑惑」、それが発覚してからの一連の恥ずべき隠蔽工作、決定的な証拠文書や証言を突き付けられながらも、追及に対しては、「知らぬ、存ぜぬ」の不誠実な対応と、こちらが恥ずかしくなるほどあからさまなウソで逃げまくる。
さらに、これと並行しての強引な国会運営によって、問題だらけの「共謀罪」法案を、審議不十分のまま「火事場泥棒」のように通してしまう。そして、「日替わりメニュー」さながら、止まることなく出てくる暴言、失言、果ては「暴行」の数々…。
そう思い返してくると、「歴史的大敗」の前には「歴史的頽廃」があった、と言えるのではないでしょうか?
で、以上に関しては、今回の都議選でうまく立ち回って「勝利した」国政与党・公明党も同罪であることを、付記しておかなければなりません。