back number 2016-09(September)

山道脇にひっそり咲くフシグロセンノウ(16.08)

09/30  立命館大・東山篤規教授らによる「股のぞきの研究」が、今年の「イグ・ノーベル賞」を受賞しました。股のぞきをすると、距離感がつかみにくくなり、遠くの物が実際よりも小さく、平面的に見えることを実験的に確かめた、実に画期的な研究です。
これに引っ掛け、けさの琉球新報コラム「金口木舌」「股のぞきの政権」と、痛快な政権批判を展開しています−。

「▼安倍政権も沖縄を股のぞきで見ているのだろうか。辺野古、高江の新基地は要らないという沖縄の民意を小さく捉え、選挙で何度も示された強固な反対も平面的にしか見ない。永田町と沖縄の心の距離は遠い」

そして返す刀で、石井国土交通相が翁長県知事を訴えた(!)「辺野古違法確認訴訟」への福岡高裁那覇支部判決を撫で斬りにします−。

「▼沖縄にいながら逆さにしか見ないご仁もいる。辺野古訴訟の高裁判決は『新基地反対の民意には沿わなくても、基地負担減を求める民意には反しない』と国に都合よく解釈した
 ▼司法の公正、公平から離れ『在沖米海兵隊は県外に移転できない』『辺野古しかない』と決め付けた。防衛省幹部が『言わなくてもいいこと』と勇み足を認めるほどの『うゎーばーぐとぅ(余計なこと)』だった。司法の良心がかすんで見える
 ▼各地に残る伝承では、股のぞきは幽霊や妖怪の正体を見破る方法でもある。この国の行政も司法も、沖縄にとってはマジムン(魔物)のようだ。股のぞきをするまでもなく判別できるのが悲しい。」

いえいえ、それは「沖縄にとって」だけのことじゃありません。近頃この国は、どっちを向いても「伏魔殿」。いっそのこと「ウチュクシイ国」のシンボルは、「白地に赤く股のぞきの図」とでもしてはいかが?

09/29  内閣府がこのほど「南海トラフ巨大地震、首都直下地震の被害と対策に係る映像資料」を作成、同省HPで公開しています。
近い将来に予想される2つの「巨大災害」では、どのような被害が想定されるのか、また、どうすればこれを軽減できるのか、CG映像でシミュレーションしています。
ちなみに「南海トラフ巨大地震編」では、震度6弱から7の強震が襲い、伊豆半島から九州にかけての沿岸部には最大23メートルもの巨大津波が押し寄せると予想されています。
こうして、死者は32.3万人(東日本大震災の17倍)、倒壊消失家屋は23.6万棟(同18倍)に上るだろう、と。
時折、3・11リアル映像を交えてのCGシミュレーションも、迫真力は「シン・ゴジラ」並み(?)。
「お化け屋敷」の木戸を出たときのように、さんざん脅されたあと、ふと頭に浮かんだ素朴な疑問−。

 「ところで、原発はどこへ行っちゃたんだろう?」

あれだけ広範囲に及ぶ長周期振動と、3・11をはるかに凌ぐ巨大津波が襲ってくると言いながら、原発の存在をネグってしまう「防災情報」とは、いったい何なんでしょう?

09/28  やっぱりそうだったのか!? おとといの衆院でのスタンディングオベーションの裏には、「陰の指示」があったらしいことが明らかになってきました。
けさの朝日新聞によると、事の真相は次のようなものだったらしい−。

「演説前の26日午前、萩生田光一官房副長官が、自民の竹下亘・国会対策委員長ら幹部に、「(海上保安庁などのくだりで)演説をもり立ててほしい」と依頼。…
 午後、首相の演説が始まると、自民国対メンバーが本会議場の前の方に座る若手議員に萩生田氏の依頼を一斉に伝えた。当該のくだりで『拍手してほしい』と伝えられた若手もいれば、『立って拍手してほしい』と聞いた若手もいた。」

だとすれば、「同調圧力」(「天声人語」)で説明しきれるものではないし、ましてや「自然発生的だった」なんていえるものでもありません。事態はすでに「異常」を通り越して、「異様」なものとなっているのです。
政治学者・五十嵐仁さんの次の指摘(「まるで北朝鮮 安倍首相所信表明に自民“総立ち拍手”の異様」『日刊ゲンダイ Digital』9月27日)と思いを共有する次第です−。

「独裁は歓呼と歓声の中から生まれます。…ただでさえ社会がキナ臭くなっているのに、今回、自衛隊をたたえた後、起きている。非常に危険な構図です」

09/27  きのうの「内閣法制局文書ずさん記載」問題ですが、他紙に出し抜かれてしまったせいなのか、たとえばけさの朝日新聞の報道は、たった数行の、あまりにそっけない伝え方でした。おまけにその見出しは、こうでした−。

 「安保法決裁日は『5月0日』/内閣法制局、文書に誤記」

きのう法制局の担当者が民進党の会合で「大変申し訳ない。ミスとしか言いようがない」と陳謝したそうですが、そんな姑息なやり方を深く追及しないばかりか、「文書に誤記」なんて、まるで「事務的なミス」を追認するかの見出しには愕然。
先ごろ101歳で大往生された大ジャーナリスト・むのたけじさんも、草葉の陰でさぞかしお嘆きのことでしょう。
折も折、きのうの衆院本会議では、アベ首相が所信表明演説の中で、「今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が、任務に当たっています」と訴え、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼び掛けて自ら拍手を先導、これに自民党議員も追従して、スタンディングオベーション。
生活の党の共同代表・小沢一郎氏が「北朝鮮か中国共産党大会みたいだ」と語った(共同通信)そうですが、テレビ報道を視て、零細出版人もまったく同様の衝撃を受けました。
何だか、目の前で日本の民主主義がズタズタにされ、忌むべき「独裁体制」が打ち立てられていく瞬間を現認しているかの気分にとらわれてしまいました。

09/26  けさの毎日新聞デジタル版速報「内閣法制局 安保法決裁「5月0日」/文書ずさん記載」(日下部聡記者)には、呆れ返るやら、「お上のずさんとセコさ」に妙な納得をするやら…。ああ、やっぱり!
槍玉に挙がったのは「公文件名簿」とかいう公文書。法案の受付日、決裁日、審査した後に内閣に送付した進達日、閣議にかけられた日などを記録したもので、30年間保存を求められるほど重要な公文書です。
昨年9月、強行成立されたばかりの「戦争法」(安全保障関連法)の審査過程を知りたくて情報公開請求をした富山市の女性のもとに、翌月届いた昨年分の「公文件名簿」−。
そこには不思議なことに、「安保関連法案」の部分だけ、「▽受付日が空欄 ▽決裁日は「5月0日」▽進達日は空欄」となっていて、しかも「法律」なのに「政令」にマルがついていました。
不審に思って問い合わせをした女性に、法制局は「担当者のミス」とだけ答えたそう。
これを知った毎日新聞が今年5月、同じ文書の開示請求すると、今度は「受付、決裁、進達は法案が閣議決定された『5月14日』とするなど記載はいずれも修正されていた」んですって!?
ですが、法案の受付、決裁、進達がすべて同じ日に行なわれ、その日のうちに閣議決定まで済ませてしまったなんて、常識的にはとうてい考えられません。
だいたい、従来の憲法解釈をひっくり返してしまうといった重大な変更について、法制局内での検討過程を公文書に残していませんでした。おまけに、そのことを国会で追及された横畠裕介長官は、「局内で議論したが反対意見はなかった」などと、きわめて粗雑な答弁で済ませています。この件をめぐっては、不可解なことばかり。
「法の番人」ともいえる内閣法制局 がこの体たらくです。それでもこの国は「法治国家」といえるのでしょうか?

09/23 「燃やせば燃やすほどリサイクル燃料が増える」という触れ込みの高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が、このほどようやく決まりました。
1995年8月の本稼働からわずか4カ月にしてナトリウム漏れ事故を起こし、以来21年間も、まるでどこかの零細出版社のように「鳴かず飛ばずの "悪夢の原子炉"」に、年間200億円もつぎ込んできたというから、いまどき実に気前のいい話です。
しかも、その内訳は?と問えば、冷却材のナトリウムを温めて循環させておくのに、なんと月々1億円もの「電気代」を払いつづけてきたとのこと。「馬鹿」を通り越して、ほとんど「ブラックユーモア」の世界じゃないですか?
でも、今回の「遅すぎた廃炉決定」、おちょくってばかりもいられません。きのうの毎日新聞社説にはこうありました−。

「核燃料サイクルの実現には、技術面や経済性、安全保障の観点からいくつもの課題がある。青森県六ケ所村に建設中の再処理工場も、トラブルなどで完成時期の延期を繰り返してきた。そこで目くらましとして中核施設のもんじゅを廃炉にし、破綻しているサイクル政策の延命を図るのが本当の狙いではないのか」と。

ウーム、慧眼! 政府・電事連っていうのは、事ほどさように、転んでも決してタダでは起きない「懲りない面々」であることを、返す返すもお忘れなく。

09/21 ここ10日間ほど、魑魅魍魎の棲息する豊洲の地下空間ばかりに、目が向きがちでした。で、きょうは、こちらも魑魅魍魎の暗躍する「原発」にまつわる話。
けさの東京新聞によると、経産省は、大手電力会社の保有する原発などの「廃炉費用」を、すべての電力利用者に負担させる方向で調整に入った、とのことです。
この4月に営業開始した「新電力」とて大手電力会社の送電網に頼らざるをえないわけですが、その維持管理経費を「託送料金」というかたちで電力料金に上乗せしているそう。このさいこいつに、福島第一原発の廃炉、除染、賠償の費用や他の原発の廃炉費用までも上乗せしてしちまえ、というのが経産省の目論見。
これに、「ぼくは廃炉費用を負担したくない!」と噛みついたのが、「苦虫を噛み潰しながら、酷暑を耐えた」鈴木耕さん。「ああ、鬱陶しい夏だったなあ…」なんてボヤキながら…

「ぼくもこの4月から東京電力を解約、新電力に移った。そんなぼくでも、廃炉費用を負担しなければいけなくなる? んなバカな話があるか。
 某食品会社の商品が大きな食中毒事件を引き起こした。膨大な処理費用がかかった。同じ食品業界の他社も、その費用を負担すべきだ。そう言われて同意する会社があると思うのか! 財界のおじいさんたちは、原発費用だからみんなで負担しましょうね、というつもりか。
 それほど『原発廃炉』という後処理には、巨額のカネがかかるということの証拠である。そんなにカネがかかるのなら、もう止めたらいいものを、それでもまだ再稼働と騒いでいる。ぼくにはわけが分からない。」

まったくです。そんなわけは、騒いでいる当人たちにもホントはよくわかっていないのでは?

09/20 豊洲市場問題をめぐって、このところにわかに脚光を浴びる石原慎太郎氏、支離滅裂な発言を乱発した末、記者から問題についての感想を求められ、何を思ったのか、「東京は伏魔殿だ」と気色ばんだそうです(東京新聞、9月20日付)。
そもそもこの「地下空間」案という発想の出どころを辿っていくと、どうやら石原知事による担当局長への「検討指示」(08年5月)へと行き着きます。

「コンクリートを埋め込むことで、ずっと安くて早く終わるんじゃないか」と。

そんな発想が形を変え、ときには「目的」すら変えて、問題の地下空間と相成った、といえます。東京新聞によると、その目的は、「地下のターレ置き場」→「浄化作業ができる空間」→「配管や配線を維持管理する作業スペース」と、都の説明は二転三転しました。
ところで『日刊ゲンダイ』も、「石原元知事が『盛り土』ケチった事情」について、説得力のある解説をしています−。

「〔石原氏は〕『私はだまされた』『他人任せにしてきた』などと呆れた発言を繰り返しているが、当時の状況を調べてみると、工法変更の裏に経営危機に陥った「石原銀行」〔新銀行東京〕の存在があった」

というのです。
あっ、そうかっ! 石原知事の08年5月の問題発言があった直前の3月、東京都議会はヤジと怒号が飛び交うなか、「石原銀行」救済のため、「1000億円の減資と400億円の追加出資」を決めたばかりだったのでした。
何だかこれで、問題のスジが読めてきたようです。
かくして、くだんの地下空間の究極の「目的」は、「伏魔殿」の「魔」が鎮座まします御座所となるのかもしれません。

09/15 おとといBSフジ「プライムニュース」を視ると、元都知事・石原慎太郎氏が出ています。どうやら築地市場の豊洲移転について問われているご様子。
問題の移転計画が決められたのは2001年ですから、まさしくこのお方の在職時ということになります。なのに…、

「僕はだまされたんですね。結局、してない仕事をしたことにして予算を出したわけですから。そのカネ、どこ行ったんですかね?」

なーんて、「相変わらず他人事のように」しゃべっています。まっ、このお方の毎度のパターンですがね。
ところがどっこい、けさの東京新聞によると、「石原慎太郎氏が都知事在任中の2008年、地下にコンクリートの箱を埋める案に言及していたことが分かった」というのです。
道理で、くだんの番組の最後の方でキャスター氏が、下から見上げるような目つきで「元知事の関わり」を問うたとき、いつもは何にせよあれほど明快に、かつ攻撃的に答える御仁が、何やらムニャムニャする間に番組は終了してしまったのでした。
零細出版人は番組全部を視聴したわけではないので、聴き漏らしたのかもしれませんが、翌日の報知ニュースによると、こんな聞き捨てならない発言もあったようです−。

「『豊洲移転問題では(新たな)スキャンダルが出そうなんですよ。(盛り土問題と)2つ合わせて、都の役人は腐敗していると思った』と、さらなる問題の発覚を予言。『いろんな問題の根は深い。五輪(関連)でも、下手すると、いろんな問題が出てくるかもしれません』」

しつこいようですが、それってあなたがトップを務めていたときの話でしょ? そこまでおっしゃるのなら、「いろんな問題」の何たるかを、潔く白状すべきじゃないの?

09/14 そもそも「豊洲市場問題」とは、どんなことだったのでしょう? 移転に反対する築地の卸売業らの裁判闘争を支えてきた東京千代田法律事務所の大城聡弁護士の解説から引かせていただくと−、

「東京都の専門家会議による調査の結果、ベンゼン(発がん性物質)が環境基準の4万3000倍、シアン化合物(青酸カリもシアン化合物の一種)が検出基準の860倍、ヒ素(和歌山毒カレー事件で検出された物質)が環境基準の7倍、鉛(汚染された食品を摂取しつづけると、体内に蓄積され健康へ影響)が環境基準の9倍、水銀(水俣病の原因となった物質)が環境基準の25倍などの有害物質が検出されています。」

しかも、いまだに「土壌汚染対策法の汚染が存在する区域(形質変更時要届出区域)に指定され」たままで、11月7日時点では、その指定解除もできないということです。こうして同弁護士らは、

「2016年5月20日には、122の仲卸業者の署名を携え、豊洲新市場への移転予定日を変更し、仲卸の声を聴くよう、農林水産大臣、東京都知事宛てに要望書を提出しました。また、仲卸の方々を対象としたアンケートでは、過半数を超える320の仲卸業者が11月7日の開場に反対すると答えています」と。

しかし、忘れるわけにゆかないのは、つい先だってまで大手メディアは、「11月7日豊洲移転」をもっぱら「既定の事実」として報じるだけだった、ということです。
いまでは卸売業者の「移転推進派」の頭目までもが、これに猛反対するに至っているわけですから、マスメディアも大いに反省しなければならないのではないでしょうか。

09/13 豊洲市場の施設下空洞問題、聞けば聞くほどおかしなことだらけ−。

「敷地から環境基準を大きく上回る化学物質が検出されたため、大学教授らの専門家会議が08年7月、盛り土などの対策を提言していたが、3年後の設計作業では専門家の了承を得ないまま、別の工法に変更されていた。設計を作っていた当時も、別の有識者らによる『技術会議』でより具体的な土壌汚染対策が検討されていたが、都から会議委員に工法変更について十分な説明はなかったという」(朝日新聞)。

これじゃ、「専門家会議」も「技術会議」も何のためなのか、ちっともわかりません。
けさの東京新聞「筆洗」は、モノクロ映画出演のために副作用の強い脱色剤でひげを赤く染め続けた三船敏郎さんを引き合いに出し、「見えぬところでも手を抜かぬ役者の誠意とは正反対に」と、施設の下をこっそり空洞にした「伏魔殿」の役人たちを揶揄しています。
そして、きわめつきは−、

「山と盛られていたのは土ではなく都民への『ウソ』だったのか…都庁の床下もよく調べてみた方がいい。信用という『土台』が失われている。」

コレ、零細出版人にいわせりゃ、「上げ底の思想」。始めっから人を騙すため、意図的に下を空洞にするというわけです。
ここまでケチがついたら、「豊洲移転」なんて、もう白紙撤回するしかありません。

09/12 東京都民の台所を預かる東京卸売市場(築地)の移転先とされる豊洲市場で、土壌汚染対策として専門家会議が提言していた建物下の盛り土が、何も行なわれていなかったことが明らかになりました。
都のこれまでの説明では、問題の汚染土をきれいな土に入れ替え、その上に2・5メートルの盛り土をして、計4・5メートルの盛り土をした」とされてきたのですが、水産仲卸売場棟、水産卸売場棟、青果棟といった卸売市場の心臓部の真下が実は空洞になっていました、ってな話。
都の担当者は「下水管などを配置するため。後々のメンテナンスができるようにしている」などと釈明しているそうです。もし百歩譲ってそうだとしても、勝手にこれほど重大な変更をしたのなら、都HPの「土壌汚染対策」も書き換えなければならないはず。
それすら「思い至らなかった」というのは、もはや信じがたい言い訳としか思えません。あの「土壌汚染対策費」858億円はどこへ消えたのでしょう?「汚染」は、土壌ばかりじゃなかった、ってこと?

09/09 福島第1原発事故の賠償・廃炉などの費用負担に苦しむ東京電力は、政府に「追加支援」を要請、これを請けた政府はこのほど何と、原発を持たない「新電力」にも費用負担を求める方向で検討しはじめたそう。
事故被災者への東電の賠償必要額は、現時点で約6兆5600億円。すでに2013年策定の「新総合特別事業計画」の5兆4000億円を大きく上回っています。
こうして「除染費用の支払いを含む要支払い総額は7兆7700億円に達し…9兆円の交付国債枠に到達するのもそう遠くない」(東洋経済・岡田広行氏)。そうなれば今後、交付国債の上積みの話が出てくるのは必至。
そんな事情からの「苦しまぎれの愚策」なのでしょう。でも、一般消費者にしてみれば、踏んだり蹴ったりのとんでもない話です。原発による電気を使いたくないから新電力に乗り換えたというのに、原発の尻拭いまでさせられる。
しかも、「原発は金輪際やめますから、廃炉の費用負担に協力してください」という話ならまだしも、一方で再稼働を強行しながら、よくもそんなことを言えたものです。

「自力で廃炉作業などを行えないというのなら、それは東電には原発を扱う事業者としての資格がないということの証しにすぎない。」

8月19日付の高知新聞社説はそう書いています。要は、原発には経済原理にも合わない莫大なコストがかかるという事実を、ついに白状したってこと。「百害あって一利なし」のこんな無用の長物は、さっさとやめるしかありません!

09/08 小津安二郎監督(1903-63)の初期の無声映画「突貫小僧」の新たなフィルムが発見されたそうです。けさの毎日新聞にそうありました。
1988年に家庭向けに再編集された短縮版(14分)が見つかったものの、1929年の公開当時の劇場用フィルム(上映時間38分)はいまだ行方不明。今回、これまで欠けていた冒頭部分を含め、家庭向け短縮版がほぼ完全な形で出てきたということです。
実はこの夏、蓼科高原の「小津の散歩道」をなぞってみたものですから、すっかり親近感を抱いたのでした。
「散歩道」とは、小津と脚本家の野田高悟がシナリオを書くために共同生活をした「無藝荘」から丘の上の「一本桜」に至る、1周約3キロの行程。井上和男監督が、「蓼科高原と小津安二郎」という小品で詳しく紹介しています。
二人は作品1本を上げるまでに一升瓶100本を空けるといった生活を送りながら、毎日、この道を散策したそうです。「一本桜」(当時の木は現存しない)の根元には小さな祠が設えられていて、酒瓶が供えられていました。でも、あいにく一合瓶2本ばかりでは、あのお二方には物足りないにちがいありません。しかもその銘柄も、二人がこよなく愛した茅野の酒「ダイヤ菊」ではなく、諏訪を代表するものでした。
それにしても、あの風流な茅葺きの庵の中で、小原庄助さんのような生活をしていて、よくあれだけの仕事ができたものだと感心するばかりです。そのせいなのか、小津はわずか60年で生涯を終えてしまったのですね。.

09/07 この5月、「ヘイトスピーチ対策法」が成立してから、街頭での「ヘイトデモ」はいくぶん下火になったよう。しかし、書店の棚は相変わらず、「ヘイト本」「嫌韓本」「嫌中本」で賑わっています。
そんなとき、これをどう考えるかということで、大阪・ジュンク堂書店難波店の福嶋聡店長が、けさの朝日新聞「(リレーおぴにおん)本と生きる」に登場しています。
「議論起こすため、〔ヘイト〕本並べる」が福嶋さんの回答です。まったく同感!

「民主主義のため、書店は様々な書物が喚起する、活気に満ちた議論の場であるべきです。…議論においては、そもそも中立はあり得ません。…クレームにひたすら謝るのではなく、『私の意見とは違います』と言ってもかまわないと思います。議論をせずに、なんとなく物事が決まっていくのは、民主主義ではありませんから。」

報道や出版の「言論の偏り」を批判したり、やたらと「中立・公平」を求めたりする昨今のこの国の「空気」は、社会全体に「民主主義」についてのこのあたりの押さえが利かなくなっているからなのでしょう。

本というのは実に自由な存在〔Liberta〕です。テレビはスポンサーの意向に左右される。新聞は何百万人の読者がいるので慎重にならざるを得ません。でも、出版社はひとりでも始められる。」

実にいいこと言ってくれるじゃありませんか。

09/06 北アルプス・三俣山荘、水晶小屋、雲の平山荘の経営者・伊藤正一さんが亡くなりました。6月17日のことでした。
長野県松本市に生まれ、戦中はターボエンジンの開発に携わり、敗戦直後の1946年に、三俣蓮華小屋(現在の三俣山荘)、水晶小屋を譲り受け、以後生涯、山小屋経営に専念されたという変わった経歴の持ち主。
小屋主となって初めて三俣小屋へ登ったとき、すでにそこに住み着いていた「山賊」(実は猟師)たちとのエピソードは、『定本 黒部の山賊』(山と溪谷社)に詳しい。
「山賊」や野生動物たち、果ては「もののけ」など、当時の小屋にまつわる話は大変愉快ですが、私にとっては、伊藤さんのもうひとつの側面、「自然科学者としての伊藤正一さん」が、強く印象に残っています。
そのひとつが、バイオリンの魂柱(sound post)の話です。魂柱というのは、バイオリンの表板と裏板をつなぐ柱のようなもので、これを通じて楽器全体に音の響きが伝わる仕組み。
伊藤さんは「魂柱を移動するとバイオリンの響きがよくなります」と、何やら数式を持ちだして説明してくれました。数学的な話の方はさっぱり理解できませんでしたが、勧められるまま、松本の工房にバイオリンを送って調整していただくと、何と、前よりはるかに音の響きがよくなって、驚かされたのでした。
もうひとつは、「ダムの水圧は上流に向かって山を崩落させる」という話。北アルプス・七倉に高瀬ダムというロックフィルダムがあります。これができてから、上手の山のあちこちで崩落が目に付くようになりました。ダムのそばの沢にいたっては、以前は橋の下を覗くと足がすくむほど高かったのですが、そこがいまでは、すぐ下まで砂礫が積もっているのです。
伊藤さんはまたしても数式を持ちだして説明してくれたのですが、そちらの方はさっぱりでも、堰き止められた水の圧力が上流に作用し、岩石にクラックを穿ち、冬場にそれが凍結して、岩石を脆くしてしまうことだけは、容易に理解できました。
あっ、そうそうもうひとつ。伊藤新道入り口近くの湯俣山荘を撤収するとき、ゴミは何でも焼却したのですが、残った味噌汁まで燃やしてしまったのにはビックリ仰天。「元エンジン開発者」の面目躍如といったぐあいでした。
伊藤さん、大変お世話になりました。ご冥福を祈ります。

09/05 そういえば先月26日、さいたま地裁で、「ワンセグ付き携帯電話は放送法が定める受信設備には当たらない」とする判決が出ました。
これに対し、NHKは「控訴手続きを進めている」そうですし、前出の「反知性主義的総務大臣閣下」も、「NHKは『受信設備を設置する』ということの意味を『使用できる状況に置くこと』と規定しており、総務省もそれを認可している」と述べているそうですから、まだ決着がついたわけではありません。しかし、これが受信料論議に大きな波紋を投げかけたことだけは確かです。
ってことは、NHKだけ映らなかったわが家のテレビは、そもそもからして「放送法が定める受信設備には当たらない」ことになりますし、NHKが言うように「受信設備を使用できる状況に置」いていたわけでもなくなります。つまりは、堂々「受信料契約不要」を主張できたわけです。
でも、「民主主義を支える公共放送の役割」といった観点からすれば、いささか問題が出てくるのは、前述のとおり。
壊れた受像機のケースは別として、昨今の受信設備の多様化にも対応できるようにするには、ドイツ公共放送のように、受像機を持つ/持たないに関わりなく、全国民で「公共放送」を支える、といった考え方がますます大事になるのでしょう。
もっともそれには、「公共放送」の側も、政権の思惑から自立し、何よりも「公共の利益」を大切にしてもらわなければならないのは、きわめて当然のことです。

09/02 零細出版人がNHK受信料の支払いを拒否していたころ、いろんなことがありました。
あるとき自宅のテレビが故障して、どういうわけかNHKだけ視ることができないといったことがありました。受信契約の勧誘に来訪した集金人にその旨を伝え、実際に受像機を見てもらったところ…

「うーん、確かに映りませんね。でもNHKは、テレビの映りにくい僻地や山間地にも中継施設を作って、映るようにしているんです…」
「…ン??? だからってウチのテレビが視られるようになるわけじゃぁないでしょ? 直してくれたら、払うかもしれませんよ」

なんて、意地悪な問答をしたことがありました。
しかし、この受け答え、「公共放送」の意味を考えてみると、いささか問題があります。
昨今、自民党筋から、「NHK受信料義務化」などという声が挙がっています。そうなれば、放送に対する「お上」の統制は、今以上のものとなるのは必至。そう、「反知性主義的総務大臣閣下のオツムレベル」、つまりはあの忌まわしい「国営放送」化です。そうなっては元も子もありません。
NHK幹部らは、そのことを「政界工作」の正当化に使っているわけですが、政権や支配政党に取り入りへつらえばへつらうほど、NHKが実態としてますます「国営放送」化してしまうことに、あのお方らはお気づきではないようです。
もっとも、彼らは「お友だち人事」で政権から送り込まれた「トロイの木馬」とその従者にすぎないのですがね。
ともあれ、「公共放送」の意味については、視聴者を含む広範な国民的議論とコンセンサスが、いよいよ必要になっているのではないでしょうか?

09/01 NHKが先月26日(金)深夜に放送した討論番組「解説スタジアム」が評判になっています。ジャーナリストの知人に教えられ、『日刊ゲンダイ Digital』8月29日号掲載の「安倍デタラメ原発政策を一刀両断 NHK番組の波紋広がる」にあたってみました。
何でも、解説委員7人が、「どこに向かう 日本の原子力政策」というタイトルで議論したということで、日本の原発政策のデタラメぶりを赤裸々に語ったそう。
あの、すべてに手厳しそうな天木直人さんですら、「この番組を見た国民は、もはや日本が原発を維持する事は不可能だと知るだろう」「NHKの解説委員たちに敬意を表したい」と絶賛したということですから、相当なものです。
解説委員氏らの発言の一部を孫引きさせていただくと−、

「規制委員会は(再稼働にお墨付きを与えておきながら)『安全性を保障するものではない』としている。だったら地元住民はどうすればいいのか」
「政府は責任を取ると口にしているが、(事故が起きた時)どうやって責任を取るのか。カネを渡せば責任を取ったことになるのか。災害関連死も起きている。責任を取れないのに、責任を取ると強弁することが問題だ」

まさにおっしゃるとおり。08/30に津田正夫さんの本の紹介で引き合いに出した「現場で抵抗する人たち」とは、こんな人々のことなんですね。「このような番組を作って放映したNHKは捨てたものではない」と思ったのは、天木さんばかりではないでしょう。
かく言う零細出版人、実は、NHKの報道姿勢に抗議して長らく受信料支払い拒否を続けてきたのですが、3・11後の原発関連報道番組の奮闘にいたく共感を覚え、こちらから連絡をとって集金人に来てもらい、衛星受信契約を結んだのでした。
でも皮肉なことに、それからというもの、かの局の報道、とりわけ政治部がらみのものが、日に日に露骨に「政権の腰巾着」と化していくのを見て嫌気が差し、最近ではすっかりNHKを視聴しなくなってしまったことを、白状しなければなりません。
しかしこのたび、「政府が右と言っても右を向かなかった」人々の勇気ある行動に接し、トップがどんなに馬鹿でも「現場で抵抗する人たちの苦悩」に、もっともっと思いをいたさなければならないことを痛感した次第。