back number 2016-04(April)

「花より団子」、おひたしは絶品でした(16.03)

04/27 チェルノブイリ30周年のきのう、素晴らしい番組を再放送してくれたNHKの現場スタッフにエールを送ったばかりですが、ああやっぱり、「どこへ出しても恥ずかしいアノ会長は、方向指示器を右へ出していた!」
けさの朝日新聞によると、この20日に開かれたNHK内部の災害対策本部会議でモミイ会長は、熊本地震に関連する原発報道について、こんな指示を出していたそうです−。

「〔NHKは〕当局の発表の公式見解を伝えるべきだ。いろいろある専門家の見解を伝えても、いたずらに不安をかき立てる〔だけだ〕」と。

きのうの衆院総務委員会で、この会議について問われたモミイさん、「原子力規制委員会が安全である、あるいは続けていいということであれば、それをそのまま伝えていく」と、改めて「どこまでもお上に従順な報道姿勢」を明言しています。
そう、「政府が右と言うのを左と言うわけにはいかない」という、毎度おなじみの言い分です。これでは、ジャーナリズムもへったくれもあったものではありません。
何も学ぼうとしないお方に「ジャーナリズムの役割」なんて説くのは、およそムダな話。さっさとお辞めいただく以外、この男が口を開くたびに失いゆく「公共放送NHKの信頼と面目」を回復することはできないでしょう。

04/26 生まれながらにして「チェルノブイリの結果」を引き受けさせられたトーリャ。まだ12歳のその少年が漏らした言葉が、重くのしかかります−。

「隠れることはできないんです」

ひとたび汚染されてしまった大地は、危険な作物を生み出し続けます。でも、その汚染大地を耕して生きていかなければならない人々がいる。その恐ろしさをうすうす知りながら、子どもたちの栄養を家で飼う牛の乳だけに頼らざるをえない、貧しい農民…。

「これは過去の話ではない。未来の物語なのだ」

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、そう言います。
この点では、ベラルーシもフクシマも同じです。「科学も医学も政治に巻き込まれていた」とは、汚染地帯の子どもたちを守るために献身的な活動を続けてきたヴァシーリー・ネステレンコ医師の言葉ですが、その点でも、どちらも似たり寄ったりです。
そして、これがいつ語られたものかは分かりませんが、番組最後の解説の言葉(?)には、とても新鮮な感動を覚えました−。

「小さな事実を葬ってきたのは国家だけではありません。私たちも… たとえ小さな事実でも伝える。それは、私たち放送人の責務だと思います」

チェルノブイリ30周年を前に15年前の素晴らしい番組を再放送してくれた、「会長が右と言うのに右を向かなかった番組関係者のジャーナリスト精神に乾杯!」

04/25 尊敬する友人に勧められて、おととい深夜に再放送されたNHKハイビジョンスペシャル「ロシア・小さき人々の記録」(初回放送2001年)を録画視聴しました。
『戦争は女の顔をしていない』『最後の生き証人』『死に魅せられた人々』『アフガン帰還兵の証言』『チェルノブイリの祈り』など、ベラルーシのノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの一連の作品を題材に、作家が関係者の証言を引き出していく様子を丹念にルポしています。
スターリン大粛清の犠牲者家族、独ソ戦後「人民の敵」にされたり「ソ連邦英雄」にされたりしたのち自死したタタール人兵士の妻、アフガン帰還後殺人を犯した元兵士の母、チェルノブイリ原発事故で消火活動にあたった消防士の妻、チェチェン戦争に反対する母親ら…がつぎつぎ登場、総じて「国家に翻弄され続けた市井の人々」の運命が描かれます。
いずれもきわめて訴求力の強いルポでしたが、なかでもチェルノブイリの「リクヴィダートル」の妻の証言には、強く心を打たれました。
「旦那さんは原子炉になったのよ」と看護士に制止されながらも、重度の急性放射線障害に倒れた夫を最期まで献身的に看護し、お腹の赤ちゃんを死産させてしまった妻リュドミーラ。再婚後に生まれた息子トーリャも、心臓と肝臓に欠陥が…。

「戦争が終われば、また子どもたちを産み育てることができますが、チェルノブイリでは、その子どもたちが〔結果を〕引き受けていかなければなりません」

あれからあすで30年。「あんな事故は絶対に起こらない」と高言していたこの国でも、「フクシマ」があり、いままた大地震が続く中央構造線のすぐそばで、川内原発が「正常に運転中」、伊方・玄海の原発も虎視眈々と再稼働を狙っている。

「どう見ても、この国は狂っている!」−。私はそう確信しています。

04/22 日本の「報道の独立性」については、「国境なき記者団」(Reporters Without Borders)による年次報告「世界報道の自由度ランキング」(World Press Freedom Index)にも、この間の顕著な傾向を読み取ることができます。
この20日に発表された2016年版では、昨年からもさらに11位下げ、「180カ国中72位!」にランクイン。
この調査は、報道の独立性、多様性、透明性の高さや法規制や自主規制などの少なさが指標とされるのですが、政府記者会見が一部公開されたこともあって11位と、欧米先進国と伍した2010年を思えば、相当な転落ぶりです。
ちなみに、毎度上位を占めているのは北欧・西欧先進国なのですが、この間の「日本の目覚ましい凋落ぶり」の裏に、「特定秘密保護法」の強行成立や、政府・政権党によるメディアに対する一連の介入・圧力、記者クラブ制度の排他性などがあるのは明白。
その舞台裏の張本人・菅義偉官房長官が、きのうの記者会見で白昼堂々、「思わず耳を疑ってしまうような反論」をしています−。

「表現、報道、編集、そうした自由は極めて確保されている」と。

「極めて確保されている」という語法のおかしさは措くとして、「我が国は放送法で編集の自由が保たれている。憲法においても表現の自由が保障されている」と居丈高に居直るあつかましさには、ただただ驚くばかりです。

04/21 国連人権理事会から「表現の自由」に関する特別報告者に任命されたデービッド・ケイ氏(米カリフォルニア大アーバイン校教授)が、日本での聴き取り調査を終え、この国のメディアの現状について、かなりシビアな憂慮の念を表明しています−。

日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している。…特定秘密保護法や、『中立性』『公平性』を求める政府の圧力がメディアの自己検閲を生み出している。」

こうした指摘は、この島の中にいると、肝心のジャーナリストにもなかなか実感しにくいようですが、事態は相当深刻だということです。

高市早苗総務相が「停波」の脅しに使っている「放送法」については、「政府に放送局を直接規制する権限を与えた放送法のうち〔政治的公平性などを定めた〕第4条を廃止し、政府はメディア規制から手を引くべきだ」ときっぱり提言。
「特定秘密保護法」についても、「メディアを萎縮させる効果を生んでいる」と懸念を表明。
さらには、「記者クラブの排他性」にも言及、「記者クラブは廃止すべきだ。情報へのアクセスを制限し、メディアの独立を妨害している制度だ」と厳しく批判していることは、大いに注目されるべきです。

そもそもケイ氏の訪日は日本政府の招きなのですが、しきりに物議を醸し続けている当の総務大臣は、「国会会期中との理由で」会いもしなかったそう。

 「ゴーホーム ドア越しに言う高市氏」(東京都 富山茂雄)

けさの「朝日川柳」からパクらせていただきました。

04/20 14日夜に「前震」が起こってから1週間になろうとする「熊本地震」。20日午前0時までに観測された地震は、震度1以上が652回、うち震度4以上が89回にもなります。
なかでも阿蘇地方では、16日にM5・8が2回、18日にもM5・8が起こり、気象庁も「どれが本震か分からない。本震の後に余震が続く単純なタイプの地震ではない」と言っているそう(東京新聞=共同)。
そんなとき、政府の出す指示はいかにもちぐはぐ。真っ先に出したのが「全避難者の屋内退避」で、熊本県の蒲島知事から「余震が怖くて部屋の中にいられないから外に出たんだ」と猛反発を喰らったのは当たり前。
しかも、これほどの激甚災害を自らの政治的パフォーマンスにすることしか考えていないというのは、いくら「反知性主義の旗手」とはいえ、致命的。
きょうの『日刊ゲンダイ』Digitalは、「安倍政権は震災を利用し、悪知恵を働かせて、パフォーマンスに明け暮れているだけ」との政治評論家・本澤二郎さんのコメントを引きながら、次のように書いています−。

惨事便乗型の“ショック・ドクトリン”は自民党の得意とするところだが、二階総務会長はさっそく、災害復旧を名目にした大型バラマキ補正に言及。菅官房長官は15日の会見で、緊急事態条項を憲法改正で新設することが『極めて重く大切な課題』とか言い出した。この非常時にする話か。災害時に必要なのは緊急事態条項ではない。政府の危機意識だ。…
 安倍首相は17日の非常災害対策本部会議で、米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイなどによる輸送支援の受け入れを表明。オスプレイは18日被災地入りした。…
 とことんフザけた政権である。」

まったくごもっとも。

04/19 熊本市出身の高木博史さんという方が、経済産業大臣らに「川内原発を止めてください」と求めるインターネット署名を展開しています。15日に開始したこの署名は、けさの時点で、すでに8万人を超えています。あなたも、いますぐ!−。

「2016年4月14日及び4月16日に発生した震度7、震度6といった巨大地震及び百数十回を超える余震が続いています。
報道を見るにつれ、被害の状況が拡大し故郷の町が変わり果てた姿を見るに堪えません。
にもかかわらず、熊本県に隣接する鹿児島県にあり、今回の地震の震源となったと考えられる活断層上に建設されているといわれる川内原発は稼働を続けています。
万が一、福島第一原子力発電所のように事故が起きれば、九州全体が放射線の海と化することは想像に難くありません。
美味しい水と美しい自然に囲まれた熊本、そして九州のために川内原発の稼働の即時停止を決断してください。」

気象庁が「想定外の事態」とするほどの余震の頻発と震源の広域化にもかかわらず、原子力「規制」委員会は、地震加速度が基準値を下回るからということで、「川内原発の稼働停止を」求める市民の声に耳を傾ける様子もありません。
それどころか、あすには、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機にも、「新規制基準を満たす」との審査結果を出すそうです。まるで、人びとの心配する気持ちを逆なでするやり方ですね。
もしも不測の事態が起こってからの「想定外」は、もう許されませんよ!

04/18 なかなか終息の気配が見えない「熊本地震」。14日夜の「M6・5、震度7」に驚いていたら、16日未明にはついに「M7・3」。震度は計測できなかったようですが、専門家の現地調査では「7は確実」とのことでした。
釘づけになってしまったテレビ画面には、ひっきりなしに余震のテロップが流れるので、ついには「震度3」にも「震度4」にも驚かなくなってしまうくらい。
いたるところに出現した亀裂。断層帯が地表に露呈し、麦畑(?)を横へ2メートルもずらしてしまった映像は、ショッキングでした。
しかも、震源が北東方向あるいは南西方向へと延びていくのを見るにつけ、素人目にも何だか「中央構造線断層帯への広がり」を思わざるをえません。以前、信州伊那谷で見た同断層帯の露頭部の姿を思い出しました。
そして、その延長線上には、すでに再稼働している川内原発、再稼働を狙っている玄海、伊方の原発があります。
『夕刊フジ』に「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」を連載している武蔵野学院大・島村英紀特任教授は、次のように解説しています(同紙、04/16付)−。

「原因となった活断層(日奈久断層)は『中央構造線』と呼ばれるもので、東は長野県から愛知県、紀伊半島、四国の北部を通り、西の端は今回被害が発生した九州まで1000キロ以上伸びている。中央構造線はいずれ地震を引き起こすと考えられていたが、歴史上記録が残っていなかった。つまり、今回の地震は日本人が初めて体験する中央構造線による巨大地震といえる。」

04/15 昨夜の熊本の地震、「最大震度7」には度肝を抜かれました。マグニチュードは6・5と小さいものの、震源の深さが11キロと浅かったので、そんなことになったよう。
夜が明けて被害の実相が明らかになるにつけ、つくづく私らは、危なっかしい地面の上に生きているもんだ、と思わざるをえません。
5年前の3・11のとき、倒れかかる書棚を必死に押さえながら思ったのは、「浜岡は大丈夫か?」でした。というのも、その数年前に浜岡原発へ行ったことがあり、老朽原発の恐ろしさを肌で感じていたからです。
本震が収まって雑居ビル4階の事務所を飛びだし、交差点の真ん中で「おしくらまんじゅう」をするかのように身を寄せ合う人びとの群れに加わって、震源は東北の方だと知ることになります。すると今度は、「女川は大丈夫か?」となったわけ。
そんなことですから、今回TVニュースで「熊本で震度7」と見て、真っ先に思ったのは、いい加減な審査で再稼働させてしまった川内原発のことでした。
さいわい薩摩川内市あたりは震度3くらいで済んだようで、ニュースは川内原発、玄海原発の無事を伝えていました。
でも、おそらく「川内原発の無事」にいちばん安堵したのは、それにゴーサインを出した原子力「規制」委員会の面々ではないかと思います。なにせこの原発、あろうことか日本最大の活断層「中央構造線」のすぐそばにあるんですから。

04/14 けさの朝日新聞オピニオン欄「耕論:ラジオと放送法」は、「テレビとラジオのメディア特性」という点で、とても面白いものがありました。
ニュースキャスター・辛坊次郎さんの「放送法4条撤廃論」は、とても明快で、それはそれで面白かったのですが、零細出版人の関心を引いたのは、むしろ次の部分でした−。

「テレビにとっての最大の関心事は視聴率です。首都圏のラジオは2カ月に1回、聴取率を調べるだけですけど、私はそれは、あんまり気にしていません。ラジオではしゃべりたいことをしゃべっています。」

3・11来、ラジオで政治についても自由にしゃべっている、ラジオパーソナリティー・吉田照美さんのお話も、なかなかに面白い−。

「より影響力の大きいテレビでは、同じようにしゃべれないことは僕自身が分かっています。権力側の人もラジオには油断しているんじゃないかな。」

そして、アーサー・ビナードさんが、以前吉田さんの番組で語ったという簡潔なテレビ論は、図星! 詩人の感性の鋭さには感嘆せざるをえませんでした−。

「〔テレビはいつも〕動かなくていい、そのままで君は幸せなんだというメッセージを送り続けている」と。

原発事故後の情報統制と発表報道の中、吉田さんはその言葉の本当の恐ろしい意味を実感します−。

「テレビを見る人は受け身になりがちだから、権力にとっては都合のいいように操作しやすいんじゃないか」と。

04/13 なーんだ、そういうことだったのか! けさの朝日新聞、「広島宣言、外務省訳に異論「非人間的な苦難」は意訳?」を読んで、得心。
きのう採り上げたG7外相会合「広島宣言」のキーワード「核兵器の非人間的な苦難」は、英文正式文書では「human suffering」だったそう。素直に読めば、どう考えてもこれは「人間的苦痛」でしかありません。
きのうも書いたように、だいたい本気で「核なき世界」を言おうとするなら、ここはどうしても「核兵器の非人道性」を訴えるべきところ。そこを「核兵器の人間的な苦痛」などと言い換えてしまうところからして、この宣言のまやかしがあるのですが、我らが狡知に長けた外務官僚は、「言い換え文言」をさらに「言い換え」、「核兵器の非人間的な苦難」などと変えて、私らを煙に巻こうとしたというわけ。
まったく、油断も隙もあったもんじゃないのですが、こんなことは複数国間の外交文書にはよくあることです。先だっても、従軍慰安婦問題をめぐる「日韓和解」のお手討ち文書にもあったのは、記憶に新しいところ。
そんなことをつらつら考えていたら、まだ見ぬ「TPP合意文書」なんて、いよいよ怪しげなんだろう、と思えてきました。

04/12 広島で開かれた先進7カ国(G7)外相会合が、核軍縮と核不拡散を求める「広島宣言」を発表しました。
しかしこの宣言、「核兵器の非人道性」という表現をわざわざ避けて、「核兵器の非人間的な苦難」などと煙に巻いているのは相変わらずですが、ともあれ7カ国外相がそろって平和記念公園と平和記念資料館(原爆資料館)を訪れた意義は大きい。
人間として通常の理性と感性を持ち合わせているなら、資料館のあの展示を見て心揺さぶられない人はいないでしょう。さすがのケリー米国務長官も、資料館の芳名録に次のように記帳したそうです(東京新聞=共同)−。

「世界の全ての人々が(被爆の実相を伝える)この施設が持つ力を見て、感じ取るべきだ。核兵器の脅威をなくすことが私たちの義務だということだけでなく、戦争そのものを避けるためにあらゆる努力を払う必要があることを、明白かつ厳しく、切実に思い起こさせる。」

かつて米国の政府や軍のトップにいた人びとが現役を引退したとたん、「核廃絶」を叫ばずにはいられないという事実は、金子敦郎さんの核と反核の70年:恐怖と幻影のゲームの終焉が詳らかにするところです。
ちょうど7年前にプラハで「核なき世界」の大見得を切って、ノーベル平和賞までもらってしまったオバマさんも、せめて完全に「レームダック化」する前に広島を訪れ、世界に向けて、堂々「核廃絶」を訴えてほしいものです。

04/11 甘利明・前経済再生相の現金授受疑惑で、東京地検特捜部が、贈賄側と目される千葉県白井市の建設会社と、都市再生機構(UR)千葉業務部への捜索に入ったそう。
事件発覚直後から、これだけ明白なあっせん利得処罰法違反の摘発に動こうとしない特捜への世論の批判が高まるなか、先月、弁護士グループが、東京地検に刑事告発。しぶしぶ重い腰を上げたということなのでしょう。
これで事件のまともな解明ができないようでは、東京地検特捜部の名が廃れます。
さて、先週末、著者のお招きで初めて水戸を訪ねました。これまで水戸といえば、水戸黄門と梅と納豆くらいのイメージしか持っていなかったのですが、いやはやまるで認識不足でした。
JRの駅を出ると、確かにおなじみの黄門様と助さん、格さんの像が立っているのですが、それはあくまでフィクションの世界の話。
偕楽園の梅はすでに花期を終えていましたが、桜川堤防、偕楽園、弘道館、千波湖、千波公園、桜山…と、どこへ行っても満開の桜。さながら「桃源郷」の趣でした。
満開の桜のほんのりとした香りもさることながら、この街の文化・芸術の香りを感じるにつけ、水戸藩以来の学問の伝統を思わざるをえませんでした。

04/08 けさの朝日新聞オピニオン欄、早大大学院教授・岩村充さんへのインタビュー記事「貨幣が滅ぶとき」は、とても痛快でした。
元日銀マンの岩村さんは、政府・日銀がこの間なりふり構わず進めてきた金融政策を、歯に衣を着せず批判します−。

「日銀が人の心の中まで操縦できるわけがないし、やるべきでもありません。中央銀行が自在に人々の心を操れると思うのは不遜です」

おまけに、「2%の消費税引き上げをためらっている政府が、2%のインフレ目標で景気拡大をめざすのは何ともチグハグ」と喝破しています。
あぁ、スッキリ。でも、もっとスッキリさせてくれたのは、来日中の「世界で一番貧しい大統領」、ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領の言葉でした。訪日前の朝日新聞のインタビューでは、こう語っています−。

「私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」と。

つい先だって、若い人から「理想とする社会」について問われ、「おカネの要らない、ついでに返品もない世の中」なぞと即答するような零細出版人ですから、これには、大いに共感。

おまけに、ムヒカさんが幸せだと感じるのは、「自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているとき」だそうですから、ますます親近感を抱いてしまうのでした。

04/07 九州電力川内原発1、2号機の運転差し止めを求めた仮処分申し立ての即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部(西川知一郎裁判長)は、住民側の抗告を棄却、改めて同原発の再稼働を容認しました。
新規制基準も、規制委員会の判断も「不合理だとはいえない」、火山の影響についても「安全性に欠けるとはいえない」、避難計画についても、「人格権に対する違法な侵害行為のおそれがあるということはできない」のだそう。
まるで「フクシマなんかなかった!」とでも言わんばかりの、お粗末きわまりない「判断」です。先だっての関西電力高浜原発3、4号機の再稼働に対する大津地裁の決定と比べ、何だか「安全神話の時代への逆行」が起こっているかの趣があります。
たとえば避難計画について。大津地裁は「避難計画をも視野に入れた規制基準の策定は国の信義則上の義務」と断じましたが、福岡高裁宮崎支部の方は、住民らが「一度に避難する事態に対応できない」「バスが足りない」と訴えているのに対し、そんなことがあるかもしれないけれど、だからといって「避難計画がないわけではない」なんて、理由にもならない理由を挙げて、住民らの切実な願いを一蹴しているのです。
まあ、こんな裁判官も多いのでしょうが、3・11後、原発問題をまともに捉え直そうとする司法人も増えてきています。これを常識的なものへと変えるのは、私たちの「民意の力」以外にありません。

04/06 この間、立て続けに発覚して、週刊誌を賑わせた「自民党をめぐる不倫騒動」。あまり関心もなかったので、もうその順番すらあいまいになっていました。
でも、正確を期せば、発覚した順番からすると、自民党・宮崎謙介前衆院議員が2月で、夏の参院選自民党候補と目されていた『五体不満足』の乙武洋匡さんが3月下旬のことでした。
で、乙武さんの問題が発覚して即、どういうわけか妻の仁美さんまでもが、「このような事態を招いたことについては、妻である私にも責任の一端があると感じております」と「謝罪」。「今日に至るまで二人でしっかり話し合った結果、3人の子どもたちのためにも、あらためて夫婦ともに歩んでいくことを強く決心致しました」なんて言って、「家族として前進していく」旨決意表明しています。
それだけでも、零細出版人なぞ、「?」(キョトン)とするばかりなのですが、きのうは何と、かの「イクメン不倫議員」の妻の自民党・金子恵美衆院議員までもが、「多大なご迷惑を掛け〔おそらくは「党に」ということなんでしょう〕国政に影響を及ぼした。妻としておわびしたい〔これも「党に」でしょうね〕」と「陳謝」したと聞いて、もう口アングリ。
2つの「陳謝」の背景には、夏の参院選があるのは間違いないところなのですが、でも、それだけじゃありません。夫の不倫を妻までが「謝罪」しなければならないという逆立ちした発想の裏には、どうやら「自民党改憲草案」の「家族条項」があるのではないか、と零細出版人は睨んでいます。
現行憲法第24条の冒頭に、新たに次の条項を加えようというのです−。

「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。/家族は、互いに助け合わなければならない」と。

これで、乙武夫人の「謝罪」の意味が解けたような気にもなるのですが、でも何だか、ちょっとヘンですねぇ、夫が妻を裏切り、「家族の絆」を踏みにじっても、妻はじっと我慢を強いられるばかりか、夫と一緒に「謝罪」し、「家族として前進していく」なんて!?

04/05 「1万円札、1.8兆円分増刷へ 「タンス預金」拡大か」−。けさの朝日新聞にそうありました。
近年、とんと「増刷」から見放された格好の零細出版人にしてみれば、そんなことのできる財務省や日銀が、何だかうらやましく思えてもくる、というものです。
とはいえ今回の「増刷」は、何もめくらめっぽう刷るってな話でもなさそうです。「背景には、マイナンバー(社会保障・税番号)制度や日銀のマイナス金利政策を意識した『タンス預金』の動きも…」ということのよう。
でもねぇ、アベノ強シンゾー氏は、前回の総選挙のときに「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」なんて公言していましたし、事実、その後、日銀総裁に黒田東彦氏を据え、「異次元緩和」なるものをブチ上げさせたのも、記憶に新しいところ。
威勢のいい「進軍ラッパ」と「バズーカ」で、人々に「物価が上がるという期待〔というか幻想〕」を抱かせ、投資や消費を促そうという目論見のようでしたが、そんな思惑は見事に外れ、「デフレマインド」を払拭するどころか、人びとも企業も、財布の紐をますますしっかり閉ざしてしまいました(Cf.03/24)。
話ばかりデカイのが取り柄の黒田総裁は、この期に及んでまだ「この政策はとても強力。いずれ『プラス』の効果がはっきり出てきて、明るくなってくる」なぞと言い放つばかりか、昨年の国際会議では、こうも語ったということです(けさの朝日新聞社説)−。

「ピーターパンの物語に『飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう』という言葉がある。大切なのは前向きな姿勢と確信だ」と。

冗談じゃない。いま私らが思い起こすべき寓話は、「狼少年」か「ハーメルンの笛吹き」か、じゃないのか!?

04/04  女子中学生から大事な成長期の2年間を残酷に奪ってしまった少女誘拐事件。これを契機に、駅や街角の公衆電話が、いま見直されているようです。
前にもここに書きましたように、「ケータイ持タナイシュギシャ」を標榜する零細出版人としては、これは大いに歓迎するところです。
「えっ、持ってないの!?」と、驚かれたり、呆れられたりすることはあっても、実際のところ、こちらからどうしても外で電話をかけなければならない時というのは、めったにありません。
おまけに、家に帰ったら絶対にインターネットもメイルも見ないというライフスタイルを通していますから、いったん会社を出たら、どこでも誰からも追跡されることはありません。
変なストレスもなく、いたって気楽なご身分なのですが、それでも突発的にこちらから連絡をとらなければならなくなる場合も、ごくまれに出てきます。そんなとき、キョロキョロ探すのが、あの緑の電話なのですが、それがまるで「宝探し」のように、どうにも見つかりません。
あれはもう、「寅さんの世界の話」のようなのです。もっとも寅が使っていたのは、よろず屋の店先の、10円玉を入れる赤い公衆電話でしたがね。
最近では公衆電話の掛け方も知らない子どもがいると聞いて笑っていた零細出版人なのですが、つい先だって、こんな失態を演じてしまったことを、白状しておきましょう−。
さるお役所で公衆電話を利用しようとしたのですが、どうにもカードが挿入口に入りません。「コレ、壊れているんじゃない?」と、おそれおおくも近くの職員に聞いたのですが、当方が無理やり押し込もうとしていたのは、これまた年代物の「JRオレンジカード」なのでした。とんだ赤っ恥を曝してしまいました。

04/01  「特定秘密保護法」が施行されてからというもの、この国では「情報公開」どころか、公然と「情報隠し」が横行しています。
きのう「毒にも薬にもならない」と揶揄した「情報監視審査会」ですら、「政府においては、立法府に対する説明責任の履行について、一層の改善を強く求める」(衆院情報監視審査会報告書)と「要望」していることからも分かるよう、政府の判断で国会に対しても秘密の開示を拒んでいるのです。
となれば、「国会は国権の最高機関」という憲法の「国民主権」原理も何のその、「もはや何でもござれ」じゃないですか!?
実際、くだんの悪法と直接関係があるのかどうかは分かりませんが、きのうは、内閣官房の環太平洋連携協定(TPP)政府対策本部が日米閣僚協議の会談記録の存在すら秘匿していたことが明らかになっています。
そういえば、集団的自衛権容認へと転じた内閣法制局の記録も、なかったことにされました。
そして先だっても、南スーダン派遣PKОの自衛隊駐屯地に銃弾が撃ち込まれていた事件について記者会見で問われた中谷防衛相が、何を問われても、「調査中」の一言で済ませていたのも、「問答無用」の態度のあらわれなのでしょう。
しかし、その銃弾は、陸上自衛隊福山駐屯地の資料室に、南スーダンの駐屯地で発見されたものとの説明付きで公開されていたものなんですよ? いまさら「調査」もなにもないでしょうに。
ことほどさように、アベ政権の「情報隠し」には目に余るものがあります。