back number 2015-10(October)

佐久のコスモス(15.09)

10/30  先ごろ丸善ジュンク堂渋谷店が開催していたフェア「自由と民主主義のための必読書50」が、ネット上で「政治的に偏っている」との批判を受け、中止されました。
書店は公式サイトで、「本来のフェアタイトルにそぐわない選書内容であった」と断じ、「選書の見直しをして再開する」旨表明しています。
これに対して、小社も加入する日本出版者協議会(出版協)がきのう、「民主主義の本フェアの中断に抗議する」緊急声明を出しました−。

「…ネット批判を受けようが、フェアは書店の自由裁量であり、言論の自由を表現する場でもある。…
〔公式サイトでの書店の〕発言は、書店員の選書の自由を奪い、選書に選ばれた書籍の出版社を否定するようなものである。表現の自由が損なわれてしまう。読者・書店・出版社の信頼関係をもっと大事にしなければならないのではないか。
 たとえば私たちは、『保守政治思想をたどる』というフェアでも、『TPPが日本経済を救う!』というフェアであっても、主張は違うが、そういう出版物が『出版物に値しない』とか『一般にそぐわない』とかの理由で、フェア中止を求めるようなことはしない。
 丸善ジュンク堂渋谷店は、直ちに従来のフェアを再開し、読者、出版社の信頼の回復に努めるべきだ。」

10/29  あの手この手の禁じ手を繰り出し次々民意を蹴散らす「アベ暴走政権」、すぐにでも辺野古沿岸の埋め立て工事に着手する構えのようです。
菅義偉官房長官は、「前知事の埋め立て承認により、既に行政判断は下されている。行政の継続性の観点から工事を進めていきたい」などとして、これを正当化しているわけですが、それは違う。
きょうも琉球新報社説を引かせていただきましょう−。

「選挙結果に沿って見直すことを否定する官房長官の姿勢はいかがなものか。行政の継続性の必要性が全ての事項に当てはまるのならば、選挙の意味はなくなる。
 安倍政権は民主党政権時代の施策を、行政の継続性を理由に何一つ見直さなかったのだろうか。それでは政権交代の意味もなかろう。いったん決まったことだからとか、米政府と約束したことだからという政権に、存在する意義や価値はない。」

どうです? こちらの方がよっぽど道理にかなっていませんか? 菅氏の発想の根底には、「度しがたい民主主義軽視と沖縄差別」があるのを見ざるをえません−。

「沖縄以外であれば、知事が強く反対し、県民の大多数も反対する事業について工事を強行し、法廷闘争を視野にした代執行の手続きに着手することはないはずだ。沖縄に対する安倍政権の強権姿勢は常軌を逸している。」

10/28  沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設をめぐり、官邸、防衛省、農水省、国交省…とお上総出の田舎芝居「寄ってたかって沖縄をいじめるの図」を演じる「アベ暴走政権」、ついに沖縄県知事による埋め立て承認取り消し処分の効力を停止したどころか、すかさず行政代執行の手続きに入り、遮二無二本体工事に着手させるつもりのよう。
「取り消し効力停止/許せぬ民意への弾圧/新基地作業は認められない」というけさの琉球新報社説は、「権力を乱用した民意への弾圧としか言いようがない」と書きだし、「[代執行と効力停止]不信招くあざとい手法」と題する沖縄タイムス社説は、「安倍政権が『敵・味方の論理』と『勝ち負けの発想』に凝り固まり、『知事権限を無力化した』と得意がっているとすれば、それこそ政治の堕落である」と手厳しい。

「900ページを超える意見書と証拠書類を提出した。公平・中立に審査されると期待したが、わずか2、3日で、しかも沖縄防衛局が一私人の立場にあると認めた上で決定がなされ、強い憤りを覚える。結論ありきだ」
「恒久的な基地を何が何でも沖縄に押し付けるのだという政府の最後通牒とすらいえる。不当であるのはもちろん、多くの県民の思いを踏みにじるもので断じて容認できない」

静かながらもそう語る翁長知事の言葉には、長いあいだ差別に苦しめられてきた沖縄県民の、あまりに深い憤りを感じざるをえません。

10/27  石井啓一国交相が、沖縄県名護市辺野古の埋め立て承認を取り消した翁長知事による処分の効力を、いったん止める方針を固めたそう。
そもそもこの「執行停止申し立て」も、行政不服審査法を拡大解釈しての「不服審査請求」同様、国が国に〔防衛省が国交省に〕お伺いを立てる「見え見えの茶番劇」(Cf.10/15)にすぎません。
「一強・自民党の下駄の雪」と化した公明党出身の閣僚がこれをすんなり認めるのは、ごく自然の成り行きなのですが、アルコールの発酵を止めるのとは違って、ここまで熟した「辺野古新基地反対」の民意を押し止めることは、もはや不可能というもの。
おまけに政府はきのう、辺野古周辺「久辺3区」(といっても、行政区でも何でもない「町会」みたいなもの)の区長たちをわざわざ官邸に呼び寄せて、「本年度の予算から直接振興費を交付する方針」を伝えたとのこと。
要は、中央政府の意のままにならない県や市をネグり、自分らの言うことをきく町会には盛大にカネをばらまきましょう、といった話。地方自治の精神に真っ向から反する、なりふり構わぬ政権のやり口には驚くばかりです。
でも、このたびの宮城県議選の審判の結果を見るに、憲法も法も平気でねじ曲げてしまう、そんな「暴走政治の末期」も、ようやく視界に入りはじめたようです。

10/26  先週末に開かれたJCJ出版部会の例会、フリージャーナリスト・樫田秀樹さん講演「"悪夢の超特急"リニア新幹線─その闇を暴く」(Cf.10/21)は、リニア反対市民団体や環境保護団体の方々も加わって、なかなかの盛会でした。
リニアをめぐっては、大スポンサーとしてのJR東海に気兼ねしてか、問題を正面から採り上げるマスメディアはあまりないどころか、むしろ昨今、実験線の試乗体験などを無批判にヨイショする報道の方が目立つくらいです。
実際、NHK「クローズアップ現代」などは、リニア反対市民団体に「密着取材」しておきながら、放送直前になって「放送できなくなった」と伝えてくる、というようなこともありました。
この夏JCJ賞を受賞した樫田さんの著書『"悪夢の超特急"リニア中央新幹線』(旬報社)も、始めは別のある出版社で出版の準備が進められ、何と初刷3000部の製本が終わったところで、出版中止となったそうです。
いずれも「とても不自然な結末」を迎えているのです。それほどに、どこからか強い圧力が加わったということなのでしょうが、実に情けない話です。
そんな圧力に屈するところから民主主義は崩壊してしまうということを、しっかり肝に銘じておきたいものです。

10/23  きのうの朝日新聞ワシントン電によると、「オバマ米政権が、中国が南シナ海で埋め立てた人工島から、国際法で領海とされる12カイリ(約22キロ)内に、米軍の艦船または航空機を近く派遣する決断をした」そうです。
「岩礁に砂をいくら積み上げても、領有権は築けない」(ラッセル国務次官補)ということで、その海域は「中国に許可を求めないで通過し、誰もが自由に行き来できることを示す」狙いがあるよう。
一方、中国の方は、米軍が中国の許可なく南沙諸島の12カイリ内に艦船を派遣すれば「重大な、一種の軍事行動だ」(中国軍関係者)として、警戒を強めているといいます。
何だか、にわかにキナ臭くなってきました。アメリカとしては、この海域の警護を日本の自衛隊に肩代わりさせたいとの目論見を持つやに聞きます。先の「安保関連法」の「成立」と考え合わせれば、私たちは、「遠くの出来事」(?)として、いつまでも安穏としているわけにはゆかないのでは?
前にもこの欄で紹介しましたが、米中日3国政府に「南シナ海での戦争反対」を訴える「南シナ海問題署名運動」が来月末まで続けられます。まずは、アクセスこのサイトにしてみてください。

10/22  徴兵制問題では、ご都合主義的に憲法(18条)を引っ張り出した「アベ暴走政権」(Cf.10/20)ですが、そーれ、またまた「憲法軽視の本性」をあらわにしています。
きのう野党5党などが憲法53条(「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」)にもつづいて、臨時国会の召集を求めたのに対し、首相の外交日程や来年度予算編成を理由に「慎重な姿勢」を崩さなかったそうです。
「大筋合意」したとされるTPPだって、情報開示されたのはごくわずか。強引に押しきった「安保関連法」も、具体的な運用法は不透明。沖縄の辺野古新基地建設問題では、昨春防衛省が設置した「環境監視委員会」の公平性・独立性が根底から崩れてしまうような重大疑惑が次々発覚…。
それに、先日の内閣改造で新任されたばかりの閣僚の中から、またぞろ「政治とカネ」やら、選挙違反やら、果ては「下着ドロボー疑惑」やらに問われる諸センセー方がご登場。これらお粗末な面々の「所信」も質してもらわにゃなりません。
政権を担う方々のアタマには、昨秋の「臨時国会の悪夢」が去来したのでしょう。「改造内閣の目玉」と目論んだ、小渕優子経済産業相と松島みどり法相が、就任後わずか1カ月半にして「ダブル辞任」に追い込まれた、あの苦い思い出が…
してみるとやっぱり、国会を開くのが怖くなって「慎重姿勢」を崩せなくなった、ということなのでしょう。恥を知るべし、税金ドロボー!

10/21  東京〜名古屋間を最速40分で結ぶという「リニア新幹線」の建設計画が、2027年開業を目指して本格始動しています。
全286キロのうち246キロがトンネル、何と86%に上ります。膨大な掘削残土は、1日1700台のダンプカーで12年もかけて運ぶそう。村を通り抜けるダンプの騒音と土埃に加え、立ち退き問題、生態系の劣悪化、天然水の枯渇…etc.
「山屋のはしくれ」として、リベルタ子のもっぱらの関心事は、標高3000m級の山々が連なる南アルプス・赤石山脈の真下を貫く全長25kmにもなる山岳トンネルです。
だいたいそこには、日本列島を東西に分ける巨大断層「糸魚川・静岡構造線」(フォッサ・マグナ)や中央構造線が横たわっており、「大地変動の時代」、これがいつ蠢き出すかわかりません。また、何本もの豊富な水系を横切ることにもなるので、周辺河川の生態系に致命的な打撃を与えることも予想されます。
かくも問題山積の無謀な計画だというのに、何でまた「リニア」なんでしょうかね?
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?」

というわけできょうは、日本ジャーナリスト会議(JCJ)出版部会10月例会のご案内−。

 "悪夢の超特急"リニア新幹線─その闇を暴く
      (フリージャーナリスト・樫田秀樹さん)

 と き:10月23日 (金)
     18時30分開会(18時15分開場)
 ところ:岩波セミナールーム
     メトロ「神保町」駅下車 出口A6
 かいひ:500円(会員・学生300円)

10/20  ところで、先頃の「戦争法案」論戦の中、先々の「徴兵制のありやなしや」が問われたことがありました。これについて「アベノ強シンゾー」氏は、7月13日の自民党動画チャンネル「Cafe Sta」で、な、なんと日本国憲法まで持ち出して、こう断言しています−。

「憲法18条には『意に反する苦役』、これはダメですよということが書いてあります。…ですから、徴兵制は明確に憲法違反なんです。これは憲法解釈で変える余地は全くありません。これははっきりと申し上げておきたいと思います」

わざわざ「これは憲法解釈で変える余地は全くありません」なんて言われると、このお方の普段の行状からして、何かウラがあるんじゃないか? などと疑ってみたくもなります。
あっ、ありました! それが… 「経済的徴兵制」っていうやつです。ベトナム後の米国では、もう長らくこれが定着していて、アフガンでもイラクでも、「戦地へ遣られて命を落とすのは貧困層」ということになっています。
「貧困問題」が深刻化しつつある昨今の日本でも、まったく同じことが考えられます。参院議員の山本太郎さんが、この問題についての『週刊金曜日』の特集で、こう語っています−。

「ワーキングプアーが1100万人くらいですか。貯金ゼロ世代31%とか、6人に1人が貧困とか、いろんなこの国の状況をみていけば、もうすでに『兵員』は確保できたも同じですよね」と。

10/19 「あのブームはどうしちゃったのかなぁ?」と思っていたら、きのうの東京新聞社説がズバリそのものを答えてくれました。「週のはじめに考える ピケティその後」です。
それによると、「格差」への関心が高まるのは不況時ではなく、「株価が上がり富裕層の高額消費が話題になって格差が際立つ時」だというのです。
で、いまの日本はといえば、「一部の富裕層を除き国民の多くが貧しい方向に滑り落ち、格差よりも貧困が深刻化して」おり、「富裕層を対象に格差問題の『解』を求めた」ピケティ理論との間にズレが生じ、いっときのブームは急落したのだと説いたうえで、次のように続けます−。

「安倍政権の目指す政策は成長一辺倒で、所得再分配など格差を縮める努力や貧困対策には見るべきものがありません。この国は『富める者がますます富む』というピケティ氏が懸念する資本主義の短所をそのまま体現しています」と。

ということは、いずれこの国でもまた、ピケティが再評価される時が来るということなのでしょう。

10/16 九州電力が8月の川内原発1号機に続けて、きのう同2号機を再稼働させました。
周辺住民の避難計画、桜島や阿蘇山の噴火対策など、重大な問題をいくつも積み残したままの「認可」でした。ところが、「認可」した当の原子力規制委員会が「安全を保証するものではない」と言って逃げを図っているのに、再稼働に「同意」を与える鹿児島県などは、「伝言ゲーム」さながら、いつの間にか「規制委によって安全性の確保が 『確認』されている」などとしてしまうわけ。
そんな「再稼働適合性審査」に対し、反原発の市民団体などから、「行政不服審査法」にもとづく異議申立が11件も出されているそうです。
おやっ、どこかで聞いた話ですね。そう、きのうここで採り上げた、防衛省が国土交通省に提出した「不服審査請求」も、この法律に依拠しているとされました。ところが、きのうも書いたように、この法はあくまでも「行政に対して国民の権利を守る」もの。そこで「窮鼠」防衛省は、「私人として」国土交通省に審査請求を提出したそうです。バッカみたい!
話を「再稼働適合性審査」の方に戻しましょう。「再稼働阻止全国ネットワーク」の木村雅英さんは、「たんぽぽ舎通信」に、次のように書いています(【TMM:No2613】)−。

「私たち(本当の『私人』)が行政不服審査法に基づいて川内原発再稼働適合性審査の『認可』に異議申立をし執行停止を申し立てたにもかかわらず、〔原子力規制委員会は〕適合性審査『認可』を取り下げないばかりか、再稼働審査と使用前検査を続け、川内原発の再稼働を推進した。
 おまけに、何とこの異議申立の『審理』をするのは、適合性審査をしている『原子力規制庁 原子力規制部 安全規制管理官(PWR担当)付』だ。部屋を同じゅうする全くの『身内』だ。言わば、『審理』する裁判官が犯人の『身内』なのだ。」

この国の民主主義って、いったいどうなっているんでしょう?

10/15 沖縄県が名護市辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対抗して、防衛省は国土交通省に「行政不服審査法」にもとづく「不服審査請求」を提出しました。
要は、国が国に対して事の是非についての「お伺い」を立てるといった、「見え見えの茶番劇」です。これに対する翁長雄志知事のコメントの方が、どう見ても真っ当−。

「『辺野古が唯一』という政府の方針が明確にされている中で、同じ内閣の一員である国交相に審査請求を行うことは不当。行政不服審査法の運用上、あしき前例になる。」

だいたい、政府が引っ張り出してきた「行政不服審査法」は、「行政に対して国民の権利を守る」のが本来の目的。なのに、そんなものに依拠せざるをえないというところに、政権側の無理があることを証明しています。
憲法解釈をねじ曲げてまでして「集団的自衛権」を認めさせてしまった政権が、またしても「法の支配」をかなぐり捨ててしまったことになります。それでもこの国は、「法治国家」と言えるのでしょうか?
菅義偉官房長官は13日の記者会見で、「行政の継続性という観点から埋め立てを進めるのは当然のこと」と、平然と言ってのけていますが、沖縄2紙が県民の思いを端的に代弁しています−。

「辺野古新基地を拒否する沖縄の民意を政府はいつまで無視し続けるつもりなのか。今求められるのは行政の継続性よりも、民意に反した施策は許されぬという民主主義の基本に立ち返ることだ」(琉球新報、10/15社説)。

「翁長知事が強調してきたのは過重な基地負担の理不尽さだ」「民意を顧みず基地を造り他国の軍隊に差し出そうとする政府」「そんな主権国家があるだろうか。同じ事例が他府県にあるだろうか」(沖縄タイムス、10/14「9秒でまるわかり!」社説)。

10/14 「マイナンバー関連で便宜、厚労省室長補佐を逮捕」−。そーれ来た、やっぱり。
「マイナンバー制度」関連の厚労省事業をめぐって、同省職員とIT業者との癒着が明るみに出たわけ。ってことは、この制度導入の狙いが「『IT利権』あたりにありそう」としたリベルタ子の勘繰り(Cf. 09/02)が、あながち見当違いでもなさそうなことを示しています。
なにせ「市場規模2〜3兆円」ともいわれる「おいしい話」です。「ITハイエナ」と呼ばれたりするみなさんが、この「千載一遇のチャンス」を放っておくはずはありません。それどころか水面下でも、血眼になって「甘い蜜」の分捕り合戦を展開しているはず。その意味では、今回の事件は「氷山の一角」とみたほうがよさそうです。
ところで厚労省といえば、伝統的に「クサい話」の絶えることがないお役所。本澤二郎さんの霞が関の犯罪:「お上社会」腐蝕の構造は、同省をめぐる驚くべき腐敗の実態を余すところなく明らかにしています。
今回の事件についての報道を見ると、くだんの室長補佐の「官僚としての特異さ」ばかりが強調されているように思えます。しかし、本澤さんが追及した汚職事件とのアナロジーでいえば、「泥かぶりはきまってノンキャリア」(同書、p.141)といったあたりは、決して見逃すわけにまいりません(キャリア官僚は、尻尾を掴まれるようなヘマはめったにしない)。

10/13 「歌丸師匠は、既にミイラには成りつつあります。…」という書き出しのメイルが届きました。
発信人は、言わずと知れた六代目三遊亭円楽師匠。今回は、「桂歌丸を人間国宝にする会」会長の肩書きで、「そういう冗談は番組の中だけにして、真剣に『人間国宝』になっていただきたく、このページを借りて訴え、また同志を募る次第です!」との、真面目この上ない口上が続きます−。

「芸歴も60年を越え、なお第一線で活躍し落語界の為に頑張っている歌丸師匠こそが重要無形文化財保持者に相応しいと考え、皆様に御訴えする次第です。
我々の落語界の先人達の紡いできた落語の継承と進化に力を注ぐ歌丸師匠を人間国宝にしましょう」と。

「笑点」では、歌丸師匠に悪態をついては、ざぶとんを取り上げられてばかりいる円楽さんですが、それはあくまでも興行上のロールプレイイング。「腹黒」は、「永遠の独り身」=昇太、「無知な与太郎」=木久扇などと同じ番組役割分担のひとつです。
こうして固定化した「キャラ」が視聴者に安心感を与え、半世紀も続く「おばけ番組」の成功要因のひとつとなっているようです。
詳しくは、原真さんのテレビの実像:人気番組の舞台裏から政治的圧力までをお読みください。

10/09 民放テレビ、ことにBSを視ていると、健康サプリメントの「愛飲者の個人的な感想」をしつこく流すCMに、毎度ウンザリさせられます。
そんな視聴者のひとりとして、けさの朝日新聞オピニオン欄、針すなおさんの一コマ漫画には、思わずニヤリ。ざぶとん3枚! 「安倍内閣がお届けする一億総活躍社会」のCMです−。

加藤勝信「一億総活躍担当相」を弓矢に見立て、くだんの「提唱者」氏がこれを引いています。弓矢にされた男の手には、キューピッドさながら「三本の矢」がしっかり握られています。そして画面の下には、「※個人の思い入れであり効果を保証するものではありません」との小さな字の「ただし書き」。

「首相は唐突に『アベノミクスは第二ステージに入った』とも宣言した。しかし、ちょっと待ってほしい。次の段階に進むというなら第一ステージは所期の目標を達成したのか。八月の消費者物価指数はとうとうマイナスに落ち込んだ。設備投資の先行指標である機械受注は三カ月連続で前月割れだ。」

けさの東京新聞社説は、もしもこれが「根拠の乏しい夢物語のような数字で国民の歓心を買おうという稚拙な言動なら、まさに『ピーターパン症候群』であろう」と喝破しています。同感。

10/08 きのう第三次安倍改造内閣が発足。その目玉政策は「一億総活躍社会」だそうで、「強い経済」「子育て支援」「社会保障」の、またまた「三本の矢」を掲げ、これを「新三本の矢」と称しています。
で、その中身はといえば、提唱者のオツムの中同様、空疎なのですが、それじゃ困るというので、「GDP600兆円」だの、「出生率1.8」だの、「介護離職ゼロ」だのと、苦し紛れに思いつきの数値目標を振りまいている、としか思えません。
安保法制のごり押しで急降下した支持率を挽回しようと、55年前の「ポストおじいちゃま」の「所得倍増政策」の故事にあやかろう、とでもいう魂胆なのでしょう。しかし、戦後復興を経た右肩上がりの高度成長期と成熟経済の低成長期とでは、経済環境は月とスッポンほど異なります。
だいたい「アベノミクス」の「三本の矢」なるものは、どこへ飛んでいっちゃったのでしょう? その失敗の事実に頬かむりして「新三本の矢」なんて言われても、にわかに信じてしまうほど、私ゃお人好しじゃありません。
武力行使の「三要件」を「新三要件」とし、いっときは「集団的自衛権」の最も有力な根拠としていた「ホルムズ海峡」や「米艦に救助される母子」を、いつの間にか「現実の問題として発生することを具体的に想定していない」なんてことにしてしまう政府です。こうやって頻繁に付け外しする「看板」には、よほどの注意が必要だということです。

10/07 次々論理破綻が露呈していった「安保関連法案」審議の最中、「徴兵制」について問われた「アベノ強シンゾー」氏、「徴兵制は苦役を禁じた憲法18条に違反するから考えていない」などと口走りました。でも、これまでのこのお方の言葉の軽さからして、これをにわかに信用する向きは少ないでしょう。
これについて、東京新聞論説兼編集委員の半田滋さんが面白い見方を提示しています(けさの「私説・論説室から」)−。

経済的徴兵制という言葉がある。生活が苦しいから兵役に就くしかないという意味で使われる。日本の非正規雇用は三人に一人、年収二百万円以下のワーキングプアが一千万人以上という厳しい労働環境にある。自衛隊の待遇はどうだろうか。
 入りやすいのは主に高卒者を対象にした自衛官候補生と呼ばれる任期制隊員だ。陸上自衛隊の場合、一任期が一年九カ月。一任期ごとにボーナスがあり、二任期務めると約千三百三十六万円が支払われる。これを月平均に直すと約三十一万八千円。衣食住は国が負担するから全額、自由に使うことができる。
 貧しい若者にとってこの金額は魅力的に映るのではないだろうか。アベノミクスが現状通り進めば、富裕層とそれ以外の人々との格差はさらに広がることになる。徴兵制否定の理由はこれかもしれない。」

ベトナム戦争時には徴兵制をとっていた米国も、いまではすっかりこれで間に合わせています。してみると、こうした見方は大いに説得力があります。

10/06 大村智・北里大特別栄誉教授のノーベル医学生理学賞受賞は、久々の明るいニュースでした。
インタビューに答え「微生物に教わってきたので、賞は微生物にあげたいぐらい」と語っているように、大村さんの謙虚な人柄と長年にわたる地道な研究努力には、本当に頭が下がります。
なかでもいちばん感銘させられたのは、みずから開発した抗寄生虫薬を、アフリカの発展途上国に無償提供されたこと。同地で黄熱病と闘った野口英世博士を彷彿させる話です。
STAP騒動でミソをつけてしまった元理研所長・野依良治氏が「大村博士の信念、人生観の表れで、人格への授賞でもあり、ノーベル平和賞であっても不思議ではない」と語っていますが(朝日新聞)、これにはまったく同感。鉄砲担いで米軍にお供するのが国際貢献だと、何か勘違いしている人もいるようですが、「これぞ正真正銘の国際貢献」と、私たちも胸を張れるのではないでしょうか。
でも、平和賞はやっぱり、「憲法9条を保持している日本国民」に授与していただきたいものです。

10/05 「名張毒ぶどう酒事件」で死刑宣告を受けた奥西勝さんが、きのう医療刑務所で亡くなりました。享年89歳。
当の事件で妻を失い、2人の子どもを抱えてうろたえているとき、警察官から「家族を救うには、お前が犯人だと自白するほかない」と唆され、「自白」してしまってから54年、一貫して「無実」を訴えながらも、「疑わしき」を隠蔽するかのように「再審の扉」を固く閉ざしてしまったこの国の司法…。
私は、パン1個を盗んで20年の刑に処され、19年目に仮釈放されたジャン・ヴァルジャン、そして国会議員の不逮捕特権にもかかわらず、ファシズムの「例外措置」(=治安維持法)で1926年11月に逮捕され、20年4カ月5日の刑を宣告されたアントニオ・グラムシのことを思い出していました。
グラムシの場合は、8年間の流刑、収監、監獄病棟生活を余儀なくされたのち、34年10月には保釈が認められ、ローマの医院に移っています。そして、亡くなる直前の37年4月に、晴れて自由の身となったのでした(君はグラムシを知ってるか?、pp.64-70)。
こう見てくると、「この国の司法のあくどさ」は、王政復古時代のフランスやファシズム時代のイタリアの司法に勝るとも劣らないといえそうです。

10/02 で、そのモミイ会長が、今度は、受信料支払率向上を狙って「積極的にマイナンバーの活用を検討したい」などと言い出しました。
「マイナンバー」については、これまで何回か採り上げていますが(09/04、09/07、09/10)、「総背番号制」の呼称が、その本質をよく表しています。
10月5日に施行される「マイナンバー法」によって、今月中旬からこの国に住むすべての人に12桁の番号があてがわれ、税や社会保障に関する個人情報に始まり、やがてはあらゆる個人情報が「ひも付け」され、すべからく丸裸にされてしまいかねないものです。私にゃ何だか、「強制収容所の囚人番号」のように思えて仕方がないのですがね。
そこできょうは、「共通番号いらないネット」のみなさんの、威勢のいいアピールに耳を傾けてみましょう−。

「政府は1月からはじまる個人番号カードの普及に血まなこだ。
総務省令を改定し法人単位の一括交付申請を可能にしたり、
個人番号カードを使った消費税還付案を提案したり。
これって組織の圧力や税金還付を利用した事実上の強制じゃないか。 個人番号カードを申請しないよう広く呼びかけようぜ。
使う自由も使わない自由もオレたち市民がもっているのだから。
個人番号カードの交付窓口には顔認証システムを導入するんだってさ。
こいつは2020年オリンピック・パラリンピックのパブリックセーフティ(公安)先進製品(生体認証)としてスポンサー契約済みの代物だぜ。」

10/01 わが家ではこのところ、NHKのニュースも報道番組もすっかり視なくなってしまいました。「どこへ出しても恥ずかしい」アノ会長が就任して以来、ジャーナリズムの劣化は著しく、あまりに露骨な「国営放送」化、「アベチャンネル」化が進んでいるからです。
というわけで、いきおい民放のニュース・報道番組へとシフトすることになるのですが、うるさいCMの音声を消すのに大わらわの毎日です。
そんな現状に業を煮やした同局退職者有志の方々が「NHK役員および幹部職員の皆様へ」との手紙を作成し、会長以下全理事、幹部職員あてに230通余り送ることになりました−。

「…籾井会長就任以降、とくに、政治番組、ニュース報道に関して、政権寄りで批判精神が欠落してきていることは、多くの識者が指摘するところです。…
会長の言動が、職場を委縮させ、職場の創造性を圧殺していることはありませんか。特にこの度の、『安保法制国会』の放送に関して、放送の現場が『会長命を忖度して』ジャーナリストとしての誇りをかなぐり捨ててしまったのではないか、ということを恐れます。それは、言論機関としての倫理的頽廃ではありませんか。
現場からは、『国会周辺の抗議デモや、SEALDsなど若者たちの動きを取材して、現場管理職がOKを出しても、放送総局長など上層部からのクレームで放送中止や、延期があちこちで起こっている」という声が聞こえてきます。
公共放送としてのNHKが、日本の民主主義発展のために、『政治権力』とではなく、『市民』と手を携えて、展望を開き、躍進することを願ってやみません。」