back number 2015-08(August)

散歩道のカンナ(15.07)

08/31  「戦争法案、いますぐ廃案!」「ハイアン、ハイアン!」−。夏も終わりの土日、「戦争法案」に反対する市民の声が、全国300カ所に鳴り響きました。なかでも、数万人の人々が埋め尽くした国会周辺は圧巻、「アベノ強シンゾー」氏が敬愛して止まない「おじいちゃんの時代の再来」(?)を思わせるほどでした。
ガンの病床から復帰したばかりの音楽家・坂本龍一さんも、「SEALDs」の若者たちに連帯、国会前に駆け付けました−。

「民主主義や憲法が壊される崖っぷちになって、日本人に主権者や憲法の精神が根づいていると示された。日本の歴史のなかでは、憲法は自分たちの命をかけて闘いとったものではなかったかもしれないが、今まさにそれをやろうとしている。ぼくも一緒に行動していきます」と。

「ハイアン、ハイアン!」の声は世代や階層を越えて広がっています。とりわけ、最近知った笑福亭鶴瓶さんの勇気ある発言には、心底共感を覚えました。鶴瓶さんの勇気に乾杯!−。

「違憲やとみんなが言うてるものはやったらアカン」

08/28  自民党改憲案の問題は数々あれど、何と言ってもその白眉は、前文でしょう。そこにはこうあります−。

「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。…
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

ここで水島さんが引いてくるのが、かの国々の憲法前文−。

「〔北朝鮮は〕偉大な領袖金日成同志と偉大な指導者金正日同志の思想と指導を具現した主体(チュチェ)の社会主義祖国である。」

「中国は世界で最も古い歴史を有する国の一つである。中国の諸民族人民は、ともに輝かしい文化を築き上げ、栄光ある革命の伝統をもっている。」

確かに、三者そっくり「似た者同士」。水島さんは、こう言ってため息をつきます−。

「少なくともG7(前文自体がない英国を除く)で歴史やら文化やらを書き込んだ国はありません。多様な意見を共生させていくのが立憲主義の基本であり、自由民主主義です。だからこそ、憲法は特定のモノの見方に踏み込むことに抑制的なんですが…」と。

こんなによく似た発想の持ち主なんだったら、お互いもっと仲よくできてよさそうにも思えるんですがねぇ。

08/27  きのうの毎日新聞夕刊「特集ワイド:自民党改憲案 アノ独裁国家そっくり?」は出色。何となくそのように感じてはいたものの、肝心の「アノ独裁国家」の憲法を読んだことがないものですから、推測の域を出ないでいました。
記事は、早大の水島朝穂さんらへの取材にもとづいているのですが、この方の目のつけどころは、いつもユニークです−。

 (1)「公民は国家の法および社会主義的生活規範を守り
    (中略)尊厳を守らなければならない」
 (2)「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」
 (3)「国民は憲法および法律を順守し(中略)社会の公徳
    を尊重しなければならない」

「これはどこの憲法でしょう?」というクイズ仕立てのようです。「公民」といった独特の語法からすでにバレバレなのですが、1番目は北朝鮮憲法82条。どういうわけか、2番目が2012年に発表された自民党改憲草案102条。3番目は中国憲法53条だそう。
要するに、異口同音に「国民は憲法を守れ」と命じています。水島さんはここに「自民党の目指す国家像が透けて見える」と言います。この間、自民党議員の間で繰り返し露呈する「憲法軽視」の姿勢や発言の大本は、ここにあるのです。
「クサい臭いは元から断たなきゃダメ!」とは、古式ゆかしき消臭剤のCMでした。

08/26 「積極的平和」−。言葉は同じでも、その意味するところは正反対。これは、もはや破綻寸前の「アベノミクス」とともに、「特殊詐欺の世界」とでも言うべきです。
この概念を提唱したノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥングさんによれば、これはもともと「戦争のない状態は『消極的平和』にすぎず、貧困や差別といった構造的な暴力のない『積極的平和』を目指すべきだ」という話でした。
ところが、わが「特殊詐欺グループ」の詐術に会えば、何とこれが、日本国憲法第9条をかなぐり捨てて「米国と一致協力して世界中で武力を行使していくこと」にされてしまうのです。この手の騙しのテクニックは、古来、「羊頭狗肉」などと申します。
対米隷従専科のわが外務省も、さすがにこれをそのまま世界に向けて発信するには羞恥心が邪魔したのでしょう、ガルトゥングさんの元祖「積極的平和」(Positive Peace)とは区別し、「積極的平和主義」(Proactive Contribution to Peace=積極的平和貢献)などと、こっそり言い換えている次第。
「ストップ詐欺被害! 私はだまされない」の啓発行脚(?)でこのほど来日したガルトゥングさんは、けさの朝日新聞オピニオン欄のインタビューで、こう注意を喚起しています−。

「積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。…参院で審議中の安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」と。

08/25  朝日新聞社の世論調査によると、安倍首相の戦後70年談話を「評価する」人が40%に上り、「評価しない」の31%を上回ったそう。
「専属家庭教師集団」の全面的バックアップを得て、「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」のキーワード4点をちりばめた「目くらまし効果」が、めでたく成就したのかもしれません。
「談話」が「心にもないリップサービス」にすぎないというのは、きのうの参院予算委員会での首相答弁でも、「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かは、歴史家の議論に委ねるべきだ」などと、相変わらず中国での日本の行状を「侵略」と認めようとしないことからも明らかです。
そんな「目くらまし効果」は、内閣支持率にも多少の影響を与えたようです。同じ調査では、内閣不支持率が先月の46%から41%に下がっています。
この点に関して、きのうの毎日新聞夕刊「特集ワイド:安倍政権の行方やいかに」での政治アナリスト・伊藤惇夫さんの発言は、大いに示唆に富むものでした−。

「数字が上向いたのは安保法案の参院審議が止まって報道が減り、国民の関心が一時的に薄れたことが大きいね。8月半ばから審議が再び本格化したから、国民の目線はまた厳しくなる。支持率の大きな反転はまずない、と言っていい。」

ってことは、きのうの「過剰報道への勘繰り」も、あながち見当違いではなさそうです。

08/24  このところメディアニュースのトップは、大阪・寝屋川市の男女中学生遺体遺棄事件のようです。お二人の被害者・ご家族には、ただただ哀悼の意を表するしかないのですが、それにしても、「毎度毎度のこの手の過剰報道」には首を傾げざるをえません。
そんなことを感じるようになったのは、おととい夜のNHKニュースを視聴してからのことでした。容疑者の身柄が確保されたとのことで、東京のスタジオから所轄警察署前にいるリポーターを何度か呼びだします。
そんな短時間に事態が急進展するわけもなく、せっかくの「現場」(?)からは、すっかり聞き飽きた文言が繰り返されるだけ。話すネタに事欠いた記者が、「警察署前は取材の報道陣でごった返しています」なんて、自分らの馬鹿騒ぎをリポートするに至っては、「何をか言わんや」でした。
伝えるべき新事実があるかどうかなど、あらかじめ局が記者に確かめておけば、すぐに判明すること。何も「現場」を呼びだして、視聴者に同じセリフを聞かせることもなかろうに、と思うのですがねぇ。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、ひょっとしてモミイNHKは、「戦争法案」や川内原発再稼働や辺野古新基地建設から世間様の目を逸らすためにそんなことをしているんじゃないか、などと勘繰る向きが出てきてもおかしくありません。

08/21  「新国立問題」で一躍名を馳せた下村博文サン肝煎りの「大学改革」の一環として、このほど文科省が、国立大学の人文・社会系学部の廃止や「社会的要請の高い分野への転換」を通知したそうです。
お名前から察するに相当博識なお方のようですが、畏れながら、そこには「学問に対する致命的な勘違い」がおありなのではないか、と思われます。
自然科学系の学問は「社会的要請が高い」が、人文・社会系は「社会的要請が低い」と、そうお考えなのでしょう。しかし、「人文知」を欠いた科学や技術がどれだけ偏頗なもので、重大な結果をもたらしてしまうかについては、これまで多くの歴史が示すところです。
文藝評論家の伊藤氏貴さんが、戦時中に東北帝国大学法文学部長を務めた阿部次郎の面白いエピソードを紹介しています(『週刊金曜日』8月21日号)。
軍部から「すぐに役に立つ人間を育ててくれ」と要求を突き付けられた阿部は、「すぐに役立つ人間は、すぐに役立たなくなる」と答えたそうです。
なんたる名言でしょう。そもそも下村サンのような短絡的発想が闊歩する「今」という時代は、やっぱり「軍部が威張り散らす時代」へと1歩1歩近づいているのかもしれませんね。

08/20  「戦争法案」審議を通じ、しばしば「あやふや答弁」を繰り返しては物議を醸してきた「中谷元・防衛相」ですが、参院特別委員会審議が再開したきのうも、「あっと驚く問題答弁」を次々披露してくれました−。
くだんの自衛隊資料は、法案が閣議決定された翌日(5月15日)、法案内容を自衛隊内に周知させるよう、防衛省幹部に指示したことから作業に入ったとのことです。その一方で中谷氏は、「国会で追及されるまでの約3カ月間、内容を把握していなかった」と答えているのです。
それはどういうことなのでしょう? 先の戦争の痛切な反省から生まれた「シビリアンコントロール」が早、機能不全に陥っていることを意味します。6月の防衛省設置法改正で、制服組が官僚と対等の立場で防衛相を補佐することになったことと相俟って、この国の行く末に垂れ込める真っ黒な暗雲を思わざるをえません。
それでも楽天的な(?)中谷さん、「シビリアンコントロール上も問題はない」なんて言ってのけています。法案審議に欠かせない重要事項もゾロゾロあるのに、それらを隠したまま衆院で強行採決までしてしまったことを、一体どのようにお考えなのでしょう?
文民統制を忘れた防衛相なんて、早いとこ「中谷・元防衛相」となっていただくのがよろしいようで…

08/19  防衛省はきのう、さきに共産党が参院特別委員会ですっぱ抜いた自衛隊内部資料が本物であることを認めました。
資料は、まだ国会審議中の「戦争法案」の成立を前提に、自衛隊の新たな部隊運用を検討したもので、国連PKO派遣部隊の武器を使用しての「駆け付け警護」や南シナ海での「情報収集、警戒監視および偵察」など、同法案の中身を先取りしています。
つまりはコレ、まだ決まってもいない法律の先取りで、しかも、根拠としている法案自体が違憲の可能性大。っていうことは、この国では上から下までこぞって「立憲主義」を踏みにじっている、ということになります。
先日朝早く、山から帰ってテレビをつけると、テレ朝「朝まで生テレビ」で、この問題を議論していました(アヒルのようにガーガー騒ぎ立てるだけで、ほとんど討論の体をなしてはいませんでしたがね)。
「激論!戦後70年の総括と日本の未来」と題するその回には、問題の資料をすっぱ抜いた小池晃参院議員も出演していましたが、番組終了間際、猪瀬直樹前東京都知事が発言したのには度肝を抜かれました。
「晩節を汚した」あの猪瀬さんが、恥じることなく堂々公の席に鎮座ましますだけでも驚きだったのですが、眉間にシワして絶叫するその発言内容には、もっとびっくり−。

「そんなに重要な文書が外に漏れてしまう自衛隊という組織は問題だ!」とね。

上げ底靴を履いての「相も変わらぬ上から目線」というわけでした。

08/18  きのう内閣府が発表した4〜6月期の国内総生産(GDP)1次速報によると、物価変動の影響を除く実質成長率は、1〜3月期より0.4%減、年率換算1.6%減のマイナス成長となったそう。
中国経済減速による輸出低迷もあるものの、主要な原因は何といっても、GDPの6割を占めるとされる個人消費の落ち込み。そりゃそうでしょう。「アベノミクス」なる「特殊詐欺的経済政策」は、市場にじゃぼじゃぼ「異次元資金」を注ぎ込み、人為的にバブルを起動させて、急激な円安をもたらしました。
おかげで輸出中心の大企業はタナボタの大儲け。それに控え、ろくに賃金も上がらない多くの庶民は、この「実験的政策」の当然の副作用として、物価上昇に苦しめられることになったのです。
ところで「アベノミクスの効能書き」には、「景気の好循環」なんてものがあって、そろそろ我ら下々のところにも「トリクルダウン」(滴り落ちる)が期待できるとの目論見でしたが、いくら遠くを凝視したところで、そんなものがやって来る気配なぞ一向にありません。いよいよ「アベノクソミソの大破綻」?
世の(不)景気については、日夜不景気最前線で呻吟し続ける自称「地底のカナリヤ」零細出版人に聞けっていうことなのです。

08/17  長らくお待たせ、鳴り物入りで発表された「アベ談話」ですが、すったもんだの末、先人らの談話にあった「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」のキーワード「4点セット」は、主語を抜きにして何とかはめ込んだ、というのが実状でしょう。
そんなふうに思えるのも、ご当人が「戦後レジームからの脱却」を唱え、ここに至るまで数々の問題発言をぶち上げ、物議を醸してきたことからして当然なのですが、それらの言葉を、いかにも取ってつけたようにちりばめただけだからです。
何だか、先生に言われて仕方なく、みんなの前で心にもないことを発表する小学生のようでしたね。
でも、そんな中にも、こんなホンネが覗いていたことを見落としてはなりません−。

「…あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とね。

何だか周囲がうるさいこと言うので、言われた文句は今回限り入れとくけれど、「これでお終い、あっかんべー」といったところなのでしょう。

08/11  本日午前10時半、九州電力川内原発1号機が再稼働。3・11から4年5カ月、福島の事故もまだ収束のメドすら立っていないというのに…。ニッポン人っていうのは、よほど過去と向きあうことの下手な、どこまでも "反省" のできない連中だ、と世界が呆れることでしょう。
福島の事故では結局、誰も責任を取ることがありませんでしたが、今回も、始めっから誰も責任を取らない「無責任体制」でのスタートです(Cf.08/03)。
小社は、下記「核と原発問題」の刊行物ともども、政府・電力会社・原子力「規制」委員会の「三位一体原発マフィア」の愚挙に、強く抗議するものです。

 石棺:チェルノブイリの黙示録【新装版】(グーバレフ)
 私は原子炉JPDR(市川富士夫)
 暴走する原子力開発(日本科学者会議)
 原子力と人類:現代の選択(日本科学者会議)
 地球環境問題と原子力(日本科学者会議)
 さし迫る原発の危険(日本科学者会議)
 南の島のヒバクシャ(桐生広人)
 差別としての原子力【新装版】(清水修二)
 ウサギの耳とハトの夢:日本の核と情報戦略(毎日新聞)
 地球核汚染(中島篤之助)
 山と空と放射線(野口邦和)
 動燃・核燃・2000年(清水・館野・野口)
 汚染地帯からの報告(チェルノブイリ調査団)
 大地の告発(ウラル・カザフ核被害調査団)
 Q&Aプルトニウム(日本科学者会議)
 臨界被曝の衝撃:いまあらためて問う原子力(清水・野口)
 どうするプルトニウム(館野・野口・吉田)
 環境リテラシー【第2版】(稲生・岩佐・大日方・吉埜)
 【新版】災害情報とメディア(平塚千尋)
 原発から見えたこの国のかたち(鈴木耕)
 放射線を医学する(西岡昌紀)
 原発ゴミはどこへ行く(倉澤治雄)
 核と反核の70年:恐怖と幻影のゲームの終焉(金子敦郎)

08/10  支持率急降下のなせる業か、このところ「アベノ強シンゾー」氏の言動がフラついている模様。
たとえば被曝70年行事でのあいさつ−。6日の広島では「非核三原則」に言及せず批判を浴びるや、9日の長崎では慌ててこれを挿入し、急場を凌いだご様子。
もしも本当に「非核三原則は当然のことであり、その考え方に全く揺るぎはない」ということなら、長崎でも入れなくてもよいことになるはずなんですがねぇ?
一方で自民党・武藤議員による学生デモ批判には、「戦争は違法なもの。違法なものに参加しなければならないという前提そのものが間違っている」などと、これまた訳の分からないことを口走っています。
もしも本気で「戦争は違法なもの」とお考えなのでしたら、何で他国の戦争にまで自衛隊を送ろうとしているんでしょうかねぇ?
ところで、きのうの朝日新聞「ウォッチ安保国会」で、元大学教授の旧友が毎週「おばあちゃんの原宿」巣鴨駅前に立って、「戦争法反対」を訴えていることを知りました。「どうせ世の中変わらない」とふて寝をしていたこの男の「ケツを蹴飛ばした」SEALDsの若者たちの行動の素晴らしさに、改めて感銘を覚えました。
「SEALDs」も、それに触発された「OLDs」も「MIDDLEs」も、全国津々浦々でこうした自発的、創意的な行動が広がれば、悪法の息の根を止めることも不可能ではありません。

08/07  けさの朝日新聞オピニオン欄「社説余滴」で政治社説担当の高橋純子さんが、先ごろ亡くなった哲学者・鶴見俊輔さんの語った言葉を反芻しています−。

「戦争のできる国への転換、USAの属国であることに反対しない、そのことに自ら納得する状態への転向は、もうすでにここにある。」

鶴見さんは、「日本人の大転向の時代」を批判しているのですが、高橋さんはこれを承けて、こう書きます−。

「まさにその大転向が成されようとしている戦後70年の夏、全国各地で、若い世代が反対の声を上げ始めている。彼らは自分たちが享受している平和や自由が、何と引き換えだったのか、歴史の中に身を置き、自分の頭で考えている。だからこそいま『誰も殺すな』と声を響かせ、次の世代の目印となる旗を立てようとしているのだと思う。」

まったく同感。だけど、これをして、「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考え」だなんて、「大転向の最先端を行くアナクロ男」が堂々出現したのにはびっくり。
不見識きわまりないこの武藤某衆院議員ですが、もっとも「自民党改憲草案」にもまるで同じことが書いてあるので、この男、ただ党に忠実なだけなのかもしれません。
そして蛇足ながら、締めはこのおバカ議員が所属するアッソー派首領の発言で−。

「政府与党の議員の立場を踏まえて発言してもらわないと。自分の気持ちは法案が通ってから言ってくれ。それで十分間に合う。」

何がなんでも「戦争法案」! ケッ!

08/06  「被曝70周年」を前にしたきのう、参院特別委員会での防衛相答弁にはびっくり。
問題の「戦争法案」では、「自衛隊は武器の提供はできないが、弾薬の提供はできる」としています。
政府の定義で「弾薬」とは、「武器とともに用いられる火薬類を使用した消耗品」なんだそうですが、これまでの審議では、ミサイル、手りゅう弾、クラスター(集束)爆弾、劣化ウラン弾は「弾薬にあたる」から、その輸送は「法律上排除されない」と説明されてきました。
きのうはこれに加え、「核兵器、化学兵器、毒ガス兵器は輸送可能か」と問われたのですが、中谷元・防衛相は迷うことなく平然と「法律上は排除していない」と答えたのでした。さらに、核兵器を搭載した戦闘機や原子力潜水艦への補給についても、「法律上除外する規定はない」と。
そのうえで、「我が国は核兵器を保有していないので提供はできない。あり得ない」と付け加えるのですが、要は「政策上の判断として実施しない」ことを強調したということのよう。
まずは「何でもありのザル法」を作っておいて、あとは「政策上の判断」に委ねる−。それがいかに危険なものかは、この間の安倍内閣の行状を思い起こしてみれば、火を見るより明らか。なにせ、時の政権の「政策上の判断」や「総合的判断」なるものを、憲法にさえ優先させてしまうんですから。

08/05  けさの毎日新聞に、日本への原爆投下を命令したトルーマン元米大統領が、1964年5月に日本の被爆者代表と会ったときの映像を入手した、とありました。
きょうの同紙Web版に、3分ほどのその動画が掲載されています−。

「「皆さんが関心を持っていること〔原爆投下〕、その目的は、双方で50万人の死者やさらに多くの負傷者を出さずに戦争を終結させることだった。…それは必要だった」

と、元大統領はここでも、「おなじみの言い訳」を語っています。
しかし、彼は本当に「原爆投下の正当性について生涯、譲ることはなかった」のでしょうか?
近刊の核と反核の70年:恐怖と幻影のゲームの終焉によれば、実は必ずしもそうとは言いきれないようです。著者・金子敦郎さんは、「『後悔』抱えて生きたトルーマン」を次のように描いています−。

「人類でただ一人、核(原爆)戦争のボタンを押したトルーマンはその決定の正当化と後悔の間で揺れながら、最後の年頭教書および辞任演説でこう述べて政権を引き継いだ。『これからの戦争は一撃で数百万人の生命を吹き飛ばし、文明を抹殺するものになる、理性ある人間がとりえる政策ではない』」(p.46)。

「トルーマンは『広島・長崎』の後、正当化と後悔の間で揺れ動いてきた。しかし朝鮮戦争では強い圧力に耐えて核使用を拒否した。トルーマンは記者会見で、原爆は侵略に何のかかわりもない人々、女性や子どもに対して使ってはならないと発言した。これが原爆を使わなかった主な理由だったと見ていいだろう」(p.74)。

核問題に関わった米国の元政府高官や元軍幹部らが引退後、一様に「核廃絶」を唱えていることと相俟って、このことはとても興味深い事実だと言えましょう。

08/04  「私の軽率な発言で審議に多大なご迷惑をおかけしたことを国民、与野党に心からおわびする」−。
コレ、いったい誰に何を謝ったのでしょうね?「国民、与野党に」謝ったこととされますが、ポイントは明らかに、「審議に多大なご迷惑をおかけしたこと」にあります。
では、「審議に迷惑」とは何のことでしょう? どうってことありません。「9月中旬までに成立させたい」と目論んでいた「戦争法案」審議を遅らせてしまったことを、詫びているだけじゃないですか。
詫びられた「国民」にしてみれば、「法的安定性は関係ない」などと言い放つご仁は、「軽率」というより「軽薄」じゃないかと思うのですが、そんな男から突如「審議に多大なご迷惑をおかけしたこと」を謝られても、面食らってしまうばかりです。
おまけに、「本来なら『法的安定性とともに国際情勢の変化にも十分配慮すべきだ』と言うべきなのを誤って言った」なんて、まるで「アベ語エピゴーネン」のような下手な言い訳を聞かされても、もはやまともに受ける人はいないでしょう。
で、「今後は特別委の審議に迷惑がかからないよう首相補佐官としての職務に精励する」? 冗談じゃない!
だけど、安倍政権がこの1年間やってきたことを思い起こせば、「法的不安定性」に寄与することばかり。そう、「軽率」いや「軽薄」なのは、補佐官氏ばかりじゃないってこと。

08/03  「論理の筋道が見えない」だけでも相当致命的な欠陥なのですが、それだけならまだ罪は軽いのかもしれません。でもそんな「アベ語」に、「意図的なごまかし」が加わったりすれば、事はいよいよ許しがたいものになります。
そんなケースのひとつが、川内原発を手始めに再稼働を狙っている原発問題に見られます−。
原子力規制委員会は何度も、「新しい規制基準に適合しているかどうかを見るだけで、再稼働の是非については判断しない」と明言しています。つまりは、「新しい規制基準に適合しても事故は起きうる」との立場です。
なのに「アベ語」では、「規制委員会が安全といった原発は、着実に再稼働する」となります。つまり、「新規制基準に適合」が、いつの間にか、「規制委が安全を保証した」にすり替えられてしまうのです。
要するに、始めから誰も責任を負わない「無責任体制」のまま、国民の生命と安全に関わる、かくも重大な決定がなされてしまうのです。これでは、遠からずまた「フクシマの惨事」が繰り返されることになるのは必至、といえましょう。