back number 2015-07(Juiy)

幻想的な合歓の花(15.06)

07/31  きのうの毎日新聞夕刊が「アベ語」を特集していました(ワイド特集:「問題矮小化する『安倍語』 集団的自衛権行使を火事現場にたとえ 『理解進んでいない国民』もこれなら分かる?」)。
真っ先に槍玉に挙げられたのは、本人は得意がっているようでも実は何の説得力ももちえない、「へたなたとえ話」−。
「ケンカの強いアソウくん」の話は、あまりに軽くて、どうにも不評。そこで今度は家の模型まで繰り出して演出したのが、「アメリカ家の火事」の寓話なのですが、またしても、あまりにウケが悪い(Cf.07/23)。
で、「そもそも比喩の成立条件を満たしていない。採点する以前の問題です」と一刀両断にしてしまっては元も子もないのですが、「比喩表現の専門家」佛教大の瀬戸賢一教授の解説は、胸にストンと落ちました−。

「比喩の本質は抽象的な言葉を具体化することなんです。『受験戦争』という言葉から分かるように、戦争は具体的な現象・行為なので『たとえられる側』なんです。ですから、集団的自衛権の行使を火事にたとえるのはレトリックとして本末転倒で、実態を矮小化して危険です」と。

なーるほど、納得。
でも、あのお方の「たとえ」がつまらないのは、そればかりでもないでしょう。けさの朝日新聞の「首相の断言連発」にも相通じるものがあるのですが、あの方のお話には「論理の筋道が見えない」という政治家としては致命的な欠陥があり、それをもっぱら「毛並み」と持ち前の「強シンゾー」とで吹っ飛ばしてきたからではないか、とリベルタ子は睨んでいるのですが。

07/30  参院特別委員会で始まった「戦争法案」論議を見ていて、質問には答えようとしない首相の相も変わらぬ「不誠実答弁」には、徒労感が募るばかりです。
でも、ひどいのは首相答弁だけじゃありません。集団的自衛権の行使容認について、過去の内閣法制局見解との整合性を問われた横畠裕介・内閣法制局長官も、「歴代政府、内閣法制局も含めて、限定的な集団的自衛権という観念は持ち合わせていなかった」程度の答弁で逃げきろうとしているのは、きわめて姑息。
河野洋平元衆院議長に言わせれば、これは「シャツの第一ボタンを掛け違えてしまったからだ」ということです(きのうの名古屋市での講演。朝日新聞)。

「この安全保障法案の議論が始まる前、首相が自分と同じことを言う人を連れてきて法制局長官にしてしまった。極めて恣意的な人事をした。だけど、歴代の法制局長官は全部『違憲だ』と言う。それで国民は納得するか。内閣法制局長官が何度『合憲でございます』と言っても『そうだよな、これは合憲だ』とはならない。歴代長官、大多数の憲法学者は『違憲だ』と言うのだから。」

これではもとより、まともな議論を期待すべくもありません。

「ここは一度法案を引っ込め、まずは違憲か合憲かをはっきりさせなければならないと思う。」

そう、これしかないっていうこと。

07/29  「問うに落ちず、語るに落ちる」アベ政権のお粗末を衝く、けさの毎日新聞「余録」に喝采!
「戦争法案」の合憲性を問う野党質問に対する首相答弁は、「従来の政府の憲法解釈の基本的な論理の範囲内で法的安定性は確保されている」でした。実は、憲法解釈の変更そのものが法の支配の安定性を犯しているのですが、それには頬かむりし、表向きは「法的安定性の確保」を重んじているかの強弁で取り繕って、何はともあれ、ひとまずは「問うに落ちず」。
一方、「アベ側近」礒崎首相補佐官の方は、「(法案で)何を考えねばならないか。法的安定性は関係ない。わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない」などと、迂闊にもついホンネを漏らしてしまった、というわけ。
肝心の何をどう言ったかは不明ですが、菅官房長官が礒崎氏に電話で注意したり、ご当人も「おわび」をしたということです。でも、それ以上、格別のおとがめもなく推移しているよう。
どちらが「政権のホンネ」かといえば、これはもう明々白々。語るに落ちた「取り巻き」氏の方に、軍配は上がるでしょう。
まことに皮肉な話ですが、この失言によって、「戦争法案」の違憲性はますます明らかになった、ということでしょう。

07/28  ご本人が「やや短縮して報道されている…」などと見苦しい言い訳をしているから、ばかばかしいけれど、長く引かせていただきましょう。「アベ側近」礒崎陽輔・首相補佐官の発言です−。

「政府はずっと、必要最小限度という基準で自衛権を見てきた。時代が変わったから、集団的自衛権でも我が国を守るためのものだったら良いんじゃないかと(政府は)提案している。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない。」

長く引いたところで、これはどうみても、法治主義や法の支配を真っ向から否定する物言いです。
おまけに、「『憲法解釈を変えるのはおかしい』と言われるが、政府の解釈だから、時代が変わったら必要に応じて変わる」とまでいわれたことには、法もへったくれもあったものではありません。

「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね。」

昨年の「閣議決定」以来の政権与党の素行をつぶさに観察してみれば、2年前の「マンガ副総理」のあの発言が、決して冗談などではなく、「偉大なる予言」だったかに思えてもきます。

07/27  けさの朝日新聞社説に、米シンクタンク「核不拡散政策教育センター」のソコルスキー代表らが、日中韓3カ国に対し、「経済合理性のない再処理事業の計画や構想の停止を、日中韓、あるいは米国も含めた4カ国で同時に宣言してはどうか」と提案した、とありました。
日本はといえば、技術的にも経済的にも、とっくに破綻している「再処理」路線にしがみつき、ホントにできるのかどうかは不明ですが、来春には青森県六ケ所村の再処理工場を稼働させようとしています。
すでに原爆5975発分のプルトニウムを貯め込んだうえ、さらに「使う見通しのないプルトニウムを持つのは、日本が核兵器保有を考えているからではないのか」と、海外から疑念を抱かれていると言いますが、それはまるで根拠のない話ではありません。
たとえば、今日の「アベ政治」を推進する次の2人の政治家による「奥歯に物の挟まったような発言」は、いったい何を意味するのでしょう−?

「核をめぐる論議について抑止はどうあるべきかという議論はありうる」(安倍晋三、06年11月)。

「原発を維持することは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れる『核の潜在的抑止力』になっている」(石破茂、11年秋)。

「再処理停止は東アジアの安全保障環境を改善する。特に非核保有国で先頭を行く日本の再処理停止は、韓国やイランなど他の非核保有国に対して新たな規範を示すことになり、意味は大きい」というソコルスキー氏の提案には、同感。
なお、この問題について詳しくは、館野淳・野口邦和・吉田康彦編どうするプルトニウム、倉澤治雄原発ゴミはどこへ行く?をお読みください。

07/24  アベ首相の専属家庭教師集団「戦後70年談話に関する有識者懇談会」がこのほど終了、いよいよスピーチライターが執筆作業にかかるよう。
一方、「侵略の定義は定まっていない」などと、周辺諸国への日本の加害の事実すら率直に認めようとしない首相に対して不安を抱く国際政治学者ら74人が、この問題に関して声明を出しています−。

「ある特定の言葉を用いるか否かで総理の談話の善し悪しを論ずべきものでなく、ましてや『村山談話』という特定の総理談話の個々の言葉を継承するか否かがその後の総理談話の質を決する基準でない、というのは多くの専門家、そしてなによりも多くの国民が同意するところかもしれません。しかし、いかなる言葉で語られるかは、それが国際的にも大きな影響をもつ責任ある文書を評価する上で、どの国でもどの時代でもきわめて重要な基準です。政治を司る者は、こうした言葉の枢要性を誰よりも深く考える責務を負っているはずです。」

「言葉の枢要性」ね。かねてより痛感してきたのですが、この方ほど、「英霊」は敬っても「言霊」には敬意を払わない人はいません。
村山談話や小泉談話を「全体として継承する」などと、いつまでも曖昧表現でごまかしていたのでは、この国は国際社会で孤立するばかりです。

07/23  支持率急降下に慌てる「強シンゾー」氏、今度は民放報道番組に「緊急生出演」、またまた「つまらぬたとえ話」を披露してくれました−。

「安全保障関連法案は、泥棒からの戸締まりの強化だ…米国の離れが火事になり、日本に火が移りそうなときに消火にいくことだ」なんて。

前回の「ケンカの強いアソウさん…」に続き、まるで説得力のない寓話です。しかも、こんなつまらぬ出し物のために、火事になった家の模型まで繰り出したそう。「米艦に乗った日本人のおじいさん、おばあさん」のイラストに次ぐ噴飯物です。
ついこのお方のセンスを疑ってしまうのですが、どうやらそれはセンスのせいばかりではなさそう。
だいたい「集団的自衛権」なるものを「火事」にたとえてしまうことからしてが、そもそも見当外れ。
ベトナム、アフガン、イラク…、過去の米軍の行状をよーく思い起こしていただきたい。その尻に付いて支援するということは、「火消し」どころか、「火付け」の手伝いをさせられる可能性の方が高い。そんなことに自衛隊員、ひょっとして、いずれは日本の若者たちの尊い命を懸けさせようってな話です。
その戦火の下にはたくさんの無辜の民がいることも忘れないでいただきたい。彼らを助けるのではなく、攻撃する米軍の兵站を買って出ようというのが、この「戦争法案」じゃないですか。
われらの戴く首相がしばしば口にする「丁寧な説明」とは、せいぜいこの程度のもののよう。人をバカにするのも、いい加減にしていただきたい!

07/22 「戦争法案」の本質が明らかになるにつれ、当然のごとく急落するアベ内閣支持率。この17、18日に実施された共同通信世論調査では、ついに支持はたったの37.7%、不支持が51.6%を占めるにいたりました(東京新聞)。
なかでも、「不支持」最大の理由が「安倍晋三首相が信頼できない」(27.9%)だというのは、致命的。そこでアベ内閣不人気政策の数々から、急遽「支持挽回のスケープゴート」に選ばれたのが、70%以上の反対があったという新国立競技場建設問題なのでした。
つい先だってまでは批判の声に聞く耳すら持たなかった「アベノ強シンゾー」氏始め、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長・シンキロー氏にハチミツ一瓶で懐柔され、すっかり「甘く」なった舛添要一都知事(Cf.07/09)に至るまで、これを正面から批判する政権側の政治家はいませんでした。
ところがどうでしょう? きわめて不純な動機から計画見直しが決まるや、真夜中に突然点いた明かりに逃げ惑うゴキブリのごと、誰もがいっせいに遁走する様は、あまりかっこいいものではありません。
なかでも「税金に糸目をつけさせず」、豪華スタジアム建設にコレ邁進されてこられたシンキロー氏の豹変ぶりには、天地がひっくり返るほどびっくりしました−。

「〔計画見直しについて〕した方がいいでしょう。元々あのスタジアムは嫌だった。生ガキみたいだ。〔2本の巨大なアーチは〕嫌だなと。合わないじゃない、東京に。…私がW杯〔の日本開催〕を勝ち取ったが、これと国立競技場の建て替えは違う。〔建て替えが〕間に合わないなら、他の競技場ですればいい。ラグビーをターゲットにされるのは非常に不愉快だ」(BS朝日の番組収録で。朝日新聞)。

イョッ、おみごと! さすがは元「雄弁会」のみごとな弁舌。

07/21 台風の影響をもろに受けた7月18日午後1時。07/06にぶち上げた南アルプス某岳頂上でのパフォーマンスは、山行ともども断念せざるをえませんでした。
で、ちょうどその時刻、リベルタ子は諏訪湖の近くの食べ物屋を出たところでした。おもむろにあのステッカーを取り出し、車のリアに貼り付けて国道を走ることに。
途中の立ち寄り温泉では、うまい具合に入り口のれん脇の駐車スペースが空いていたので、迷わずそこへ前向き駐車。係員のおばさんに、てっきり叱られるのかと思いきや、「本当にそうですよねぇ」と共感の言葉を頂戴したばかりか、「戦争法案」の強行採決はもとより、新国立競技場から年金問題まで、心の奥底に溜まり溜まった怒りのマグマを一気に噴出させるかのお話ぶりでした。
そして翌日、天気の回復を見て霧ケ峰トレッキングへと転進。それがタイトル写真というわけです。折しもニッコウキスゲの最盛期、南アルプスより遥かに多くの人々にアピールできたのかもしれません。
山道で行き交った幼い女の子が母親に聞いていました。
「あれ、なんてかいてあるの?」
「ふーん、あべせーじってなぁに?」



07/17 さながら小学校の児童会のノリ。でも、それにしてはいささか品がない。しかたありません、会長に知性や品性の欠片も見られないのは、今に始まったことじゃないのですから−。

「『とんでもねえじゃないか』と事務所で抗議の電話もらった人?」
10人ほどが手を挙げ、「120本ぐらい」「数十件」と答える。すかさず「普通はだいたいね、めちゃくちゃ抗議が来るはずなんだよ、新聞の言う通りなら。だって80%反対しているんだもん。もっと来なくちゃおかしい」と麻生氏。「新聞なんか読んでいると全然世論を間違いますよ」と得意のマスコミ批判を展開した(毎日新聞)。

マンガしか読まず、国会答弁では「未曾有」を堂々「ミゾユーウ」などとダミ声で読み上げ赤っ恥をかいた当人が、「新聞なんか読んでいると…」なんて説教を垂れるのを聞くと、思わず吹き出してしまいます。これも、「民意を蹴散らす慢心ジミントー」の今日の姿なのでしょう。
一方、「ケンカに弱い」ので、このお方の腕っぷしをあてにしてるとおっしゃるアノお方も、「シンゾー」だけはめっぽう強く、厚かましさにおいては人後に落ちることがありません。
だから、大先輩の山崎拓さんから、こんなことを言われてしまうのです−。

「安倍総理が『俺が総理大臣だ』『総理大臣が言っているんだから間違いない』と自らの権力をいつも誇示しているが、浅慮な言い方だと感じている。」

そして、山崎さんは「この際、自分の権力を確認する意味においても、総選挙をやるべきではないか」と言っていますが、まったくそのとおり!

07/16 とうとうやってくれました。毎度おなじみの強行採決です。
「採決」前の質疑では、さすがの「強シンゾー」氏も、「まだ国民のみなさまのご理解が進んでいないのも事実だ」なんて、客観的な事実を認めたかの答弁をしているのですが、言葉と本心とがまるで乖離していても平然と口に出せるのが、このお方の特技。
だから、そう言ったあとも、シナリオどおり「採決!」の声が挙がると即座に委員会席を立ち、おそらくは廊下でペロッと長い舌を出していたのでしょう。
いったい何がどう決まったのか誰にも分からない、その後の委員会の混乱の様子は、ぜひビデオにして、「夏までに成就させる」と大見得きってお約束してきた米議会に進呈されることを、お勧めいたします。
ところで、「強シンゾー」氏に近い議員が、「消費税や年金と違い、国民生活にすぐに直接の影響がない。法案が成立すれば国民は忘れる」なんて言っているそう。たぶんそのあたりが、政権に群がる連中の「最大公約数的本心」なのでしょう。私ら、どこまでもバカにされきったものです。
台風接近にやきもきする7月18日午後1時を前に、澤地久枝さんの次の言葉を噛みしめたいと思います−。

「ひどい政治状況を見ていると、絶望感に襲われますが、絶望したら終わりです。これから参院の審議もある。ひとり一人の力は弱くても、声が広がっていけば世の中は確実に変わります。…
 権力にモノを言うことに勇気が試される時代です。でも権力は放っておくと悪さをしますから。手遅れにならないように、私は私の小さい旗を掲げ続けます」(朝日新聞)。

07/15 「なんか自民党、感じが悪いよね」と国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ−。いまがそんなときじゃないの? ねっ、石破さん?
先だってそう発言した石破茂地方創生担当相が、こんどは「国民の理解は世論調査の通り、まだ進んでいるとは言えない」なんて言い始めたそうです。そりゃそうでしょう。最近のどの世論調査を見ても、8割以上の人が「説明が不十分」だと答えているんですから。
それでも「私も丁寧に説明してきて理解が進んできたと思う」なんて言い張る「総統」、いえいえ「最高権力者」が仕切る独裁政党ですから、何かが変わるべくもありません。だから、さっそく「茶坊主」(官房長官)が、「いつまでもダラダラとやるべきでない。決めるときには決めることが必要だ」なんて平然と言ってのけ、またしても「粛々と」強行採決へと邁進するというわけ。
そもそもが、従来の憲法解釈を根底から覆しての乱暴極まる欠陥法案です。いくら審議を重ねたところで「理解が深まる」わけがありません。
となれば、ここはいさぎよく廃案にして出直すのが真っ当な政治家のやることだと思うのですが、そんな知恵も働かないよう。それどころか、「これ以上やっても法案への理解は深まらないし、政権の支持率もやればやるほど落ちる」(公明党幹部)なんて声もあり、「支持率がなお4〜5割あるうちに採決した方が得策だとの判断がある」(朝日新聞)そう。もはや、「何をか言わんや」です。
ついでながら、「なんか公明党も、感じが悪いよね」

07/14 だいぶ前に、そうそうアノ森喜朗氏が首相をやっていたときのことでした。「日本は神の国」というこのお方のアナクロ発言が、政治問題化したことがありました。
窮地に陥った「シンキロー」氏を救おうと、何と官邸詰めのNHK記者が、首相の「弁明会見の指南書」を書いて差し上げたことが、バレてしまったのです。ジャーナリスト失格のその記者が、大方の批判に晒されたことは言うまでもありません。でも、さすがは政権にすり寄る癖のある放送局です。この記者はのちにめでたく、政治部副部長に取り立てられたんだとさ。
その手の話は「某国営放送紛い局」だけのことなのかと思いきや、違っていました。今度は、官邸クラブ所属の時事通信経済部記者が、菅官房長官の記者会見で、あからさまな「ヨイショ質問」をして、社から「注意」されたそうです。いやー、驚きました。
きのうの沖縄県議会で、辺野古沿岸部の埋め立てに使う土砂の県外からの搬入を規制する県条例が成立したのですが、これによって、沖縄県の要請で国が工期を短縮した那覇空港第2滑走路の建設にも支障が出るのではないか?としたうえで、官房長官にこう質問したということです−。

「〔条例で〕工期短縮を難しくするような決断をしたのなら国として見限っていいような気がする」「〔県議会は〕協力しないという決断をした。そんな連中はほっといてもいいと思うが、いかがか」と。

同じ日、外国特派員協会の記者たちに向かって「沖縄の人々が基地を撤去したいと思っていることを伝えてほしい」と切々と訴えた、映画監督・宮崎駿さんの誠実さとは「月とスッポン」です。
権力に媚びすり寄る「ジャーナリストもどき」ほどみっともない奴はいない−。リベルタ子は、そう考えています。

07/13 「戦争法案」について数多くの意見表明がなされていますが、憲法学者によるそれは、「勝負あった!」といえるほど決定的なものでした。
そのひとつ、先月末に朝日新聞が判例集『憲法判例百選』(有斐閣)の執筆者を対象に行なったアンケート調査では、回答のあった122人のうち、

 「憲法違反」         104人
 「憲法違反の可能性がある」   15人
 「憲法違反にはあたらない」    2人

との結果。通常の判断力の持ち主であれば、「法案の正当性は根底から崩れている」とみるのが当然だと思うのですが、自民党というところは、まるで異次元、別世界のよう。彼らのアタマの中は、「特別委の審議をいつ打ち切り、衆院を通過させるか」でいっぱいのようです−。

「時期が来れば採決することが民主主義の基本だ」(安倍首相)
「来週〔今週のこと〕はヤマ場だ」〔谷垣幹事長〕
「いよいよ衆院で採決する運びだ。週を明ければ〔今週のこと〕重大な局面を迎える」(二階総務会長)…etc.

あとは「アベ一族先祖伝来の伝統芸能、強行採決」で、一気呵成にやっつけちまおう、との魂胆なのでしょうが、そうはさせてはなりません。ここで沈黙していては、大きな悔いを残してしまうだけ。一人ひとりが、自分に可能な何かしらの行動に立ち上がりましょう。
ご参考までに、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が、以下のような行動を呼びかけています−。

14日(火)「戦争法案廃案!強行採決反対!7.14大集会」
      (18:30〜 日比谷野外音楽堂)
15(水)〜17日(金)「強行採決反対!国会正門前行動」
26日(日)「集まろう!国会へ7・26国会包囲行動」
      (14:00〜 国会周辺)
28日(火)「戦争法案廃案!7・28日比谷集会&デモ」
      (18:30〜 日比谷野外音楽堂)

07/10 けさの朝日新聞「おやじのせなか」は、むのたけじさん。御年100歳の「敬愛して止まない大ジャーナリスト」です。
「100歳の私にもおやじがいたんだと言ったら、子どもはびっくりするだろうけど、ちゃんといたんだ」に始まるお話しぶりは、相変わらず茶目っ気いっぱい。
このインタビュー記事を読んで、実は筆者、とんでもない思い違いをしてきたことに気づかされました。むのさんの、あの天性とも思える磊落さは、何不自由のない生い立ちからきているのかと、勝手に想像していたのでした。
ところがどっこい、小さな田んぼの小作だけでは食えず、荷車での運送業を営んでいた父が、母と二人して「汗水垂らして一日中働いて、やっとの暮らし」をしていた、とのお話には正直驚かされました。
荷車の荷台の上の箱に入れられ、そんな「父母のせなか」を毎日見てきたむのさんが、のちにジャーナリストとして、世の中の理不尽や不条理に人一倍「おっきな声」を出すようになったのは、ごく自然の成り行きでした。
「平凡ではあるけど筋が通った生き方」をしてきたおやじ、「それを受け継いでいるな」と胸を張る100歳の老人−。何だか荒んだ話ばかり耳にさせられる昨今、久しぶりに聞く心温まるお話でした。

07/09 新国立競技場建設をめぐり、5月には、「500億円の負担を」と法外な無心をする文科相に対して、「大日本帝国の陸軍と変わらない!」などと、額に青筋立てて息巻いていた舛添要一都知事。リベルタ子もすっかり騙され、「あの男、けっこうやるじゃん!?」なんて心中密かに思ったりもしたのですが、そんなこと書かないでおいてよかった。
そんな「知事の変心」があったのは、どうやら先月、2020年五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長に会ってからのよう。老獪な森氏は、知事にハチミツを手渡し、「これを食べて、甘くなりなさい」なんて諭したとか(朝日新聞)。
いやー、驚き、桃の木、山椒の木。さすがはヌエのようにつかみどころのないシンキロー氏です。ハチミツ一瓶で東京都に税金500億円也を醵出させちまおうって魂胆なんですから。そして、これがみごとに奏功、すっかり「甘くなった」マスゾエさん、きのうは遠藤利明五輪担当相をにこやかに出迎えたそう。パチパチ。
そもそも、いまどき何でこんなハコモノに2520億円もの大金をつぎ込まなけりゃならないんでしょう? 当初は1625億円とか言っていたのがここまで膨らみ、おそらくこれでも足りなくなる見通しだというから、いまを時めく「特殊詐欺」グループ諸君も、すっかり腰を抜かしているにちがいありません。まったく信じがたい話です。
いとも容易に、かつ安上がりに都知事を籠絡させたシンキロー氏。その小さな両の目は、4年後に日本で開催されるラグビーワールドカップ(W杯)を見据えているようです。
いまですら巨額の借金を抱える国の台所です。こんな「体育会系マフィア」の言うなりになっていては、「アテネ五輪後のギリシャ」どころじゃなくなるんじゃない?

07/08 EU債権団に追い詰められたギリシャ…。アレクシス・ツィプラス氏が土俵際で打った奇策「国民投票」は、このポピュリストの思惑どおり、緊縮策への「OXI」(オヒ=NO)が大差で勝ちました。
今回の協議行き詰まりの原因は両者の「貸借文化の違い」にある、とする東京新聞社説の指摘は、零細出版人には、いたく共感を覚えるところがありました(7月8日付「ユーロ危機回避の策は/ギリシャだけが悪いのか」)−。

「ドイツや欧州北部は『借りた金は返さなければならない』が常識である。日本人も同じだ。…
 しかし、この貸借文化は世界的には主流でない。ギリシャなど南欧や南米では『返せないものは返さなくてもいい』との考えがなじむ。5年に及ぶ緊縮を受け入れ、高失業率と年金や給与の大幅減に苦しむギリシャ人は『返せないほどの金を貸した方が悪い』と考えるのだ。
 貸し手の権利を守る度合いが異なるが、どちらの言い分も金融の世界では間違っていない。」

なーるほど。確かに、ギリシャがそうなる必然性はEU加入前からあったのですし、それでも多額の資金を注ぎ込んできた貸し手の責任も問われてしかるべきでしょう。それに何より、ギリシャを「デフォルト」に追い込んでしまっては、元も子もありません。
お互いの幸福のため、ここは「一定の債務免除=借金棒引き」で乗り切るしかないのではないでしょうか?
社説は「日本人も同じだ」と書いていますが、大晦日さえうまくやり過ごせば借金は消えてしまうという「鷹揚な貸借文化」が、江戸時代にはあったやに聞きます。もっとも、これは「長屋の熊さん、八つぁん」の世界だけの話なのかも知れませんがね。

07/07 ダイヤの乱れで芋を洗うような満員電車内。思いきり足を踏まれ「イテッ!」と言うと、「何だコノヤロー!」。手すりに押し付けられ、あまりの痛さに身を躱すと、今度は「バカヤロー、動くなっ、チョーセンジン!」
身なりこそ立派なこの男にとって、「朝鮮人」とは、どうやら最大の侮蔑表現のようです。思わず「いい歳して、恥ずかしくないんですか?」と言うと、「テメエこそ、いい歳こきやがって!」。こういう手合いには、関わらないのが一番なのでしょう。
ユネスコ世界遺産委員会での日韓両国のやりとりから、つい、こんなことを思い出してしまいました−。

問題の発端は、このたび日本が申請した「産業革命遺産」23施設のうち、長崎の「軍艦島」(端島炭坑)など7施設で朝鮮半島出身者の「徴用」が行なわれたことにありました。これを英文でどう説明するかが、揉めた原因。
韓国側は「forced labor」(強制労働)としたかったのですが、日本側はこれを拒み、すったもんだの末、「forced to work」で折れ合ったというわけ。
だけどコレ、日本外務省は単に「働かされた」と訳し、韓国外務省は「強制的に労役させられた」と訳しています。「玉虫色決着」というやつです。
いくら賠償請求問題がからんでくるとはいえ、ことさらに「強制労働を意味するものでは全くない」(菅官房長官)などと強調するのは、「歴史への冒涜」ともなりかねません。
「自虐的…云々」の悪罵を投げつけられるのを承知で言いますが、「戦後70年」を前にして、「足を踏みつけられた者の痛みは、踏まれた側にしか分からない」ということを、私たち日本人はもっと肝に銘じるべきではないかと思います。

07/06 もう怒り心頭、憤懣やる方ない「アベ政治」に連日吠えまくるリベルタ子ですが、きょうは尊敬する知人からの「カクサン要請」にお応えし、作家・澤地久枝さんによるユニークなアクションのよびかけ「アベ政治を許さない!!」を転載させていただきます−。

アベ政治の非道に、主権者一人ひとりの抗議の意思をいっせいに示そう。


全国共通のスローガンを、同時に掲げる。言葉は"アベ政治を許さない"
文字は金子兜太さんが書いてくださいました。
掲げるポスターはコチラ⇒アベ政治を許さない
A3の大きさで掲げて下さい
「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。
予約番号 68764373 A3, 白黒
プリント有効期2015/07/10
〜〜日本中に拡散をお願いします!〜〜

★2015年7月18日(土)午後1時★

このコピーを一人ひとりが道行く人に見えるようにかかげるのです。
一人で悩んでいる人、誰にも声をかけられない人はわが家の前で、
あるいは窓辺で。
どこででも、あらゆる形で。
東京は国会議事堂前、その他主要駅頭などで。
全国すべての駅、学校、街、村、会場の外など。
示すのは勇気のいる世の中かもしれません。
「許さない」勇気が試されます。
政治の暴走をとめるのは、私たちの義務であり、権利でもあります。                  (澤地久枝)

ちょうどその頃、国会では「アベ一族先祖伝来の強行採決」があるやも知れません。不埒にもリベルタ子は、その日、南アルプス山行を予定しています。さぁて困った、困った。あっそうか、ザックの背にスローガンを付けて、お山の天辺で掲げることにしようっと!

07/03 「敵か味方か」とくればこの人、ドイツの政治学者カール・シュミットのことが思い浮かびます。きょうの朝日新聞オピニオン欄「耕論」は、東大の宇野重規さんと明学大の川上和久さんに、このテーマでお伺いを立てています。
「決められない政治」批判から「決断の政治」へ。内閣はおろか、内閣法制局長官、日銀総裁、NHK会長・経営委員など、重要なポストを仲間内(Yesmen & women)で固めてしまう「お友達政治」。相手の質問や意見に耳を傾けることなく、聞かれてもいない持論ばかりを滔々としゃべり続ける国会答弁 etc.…
近年とみに劣化したこの国の政治世界を見渡してみれば、このことが問題になるのも即ナットクというもの。
しかし、こんな独善的な手法がいつまでも通用するわけありません。宇野さんの次のような指摘には、まったく同感−。

「対立の演出は瞬間的には盛り上がっても、根拠がないと続かない。徒労感だけが残り、さらにわかりやすい対立を求めるようになる。麻薬みたいなものです。」

そう、まさに「麻薬」なのです。麻薬は「中毒症状」をきたします。そのことが気になる向きには、本郷潤さんの善悪中毒をお勧めいたします。「敵か味方か」といった「善悪二元論」が、人類にいかに害悪をもたらしてきたかが、よーくお分かりいただけるでしょう。

07/02 けさの朝日新聞「慰安婦問題を考える」のインタビュー記事「研究の現状:永井和・京大教授に聞く」は、とても説得力がありました。
「慰安所」が作られた理由や経緯、「慰安婦」の集め方、「慰安所」での処遇 etc.について、逐一資料の裏付けを示しながら、それが日本軍の施設として設置され、運営されてきたことを明らかにしています。
近年、この国の「声のデカイ人々」は、問題に関する史料があまり残されていないのをよいことに、それが「民間の売春施設」であるかのように言い、軍の関与や強制性を否定しています。ほかならぬ「アベノ強シンゾー」氏も、そう公言しています。
ところがどっこい、永井さんが発掘した軍や警察の公式文書の記述によって、そんな論拠はたちまち切り崩されてしまいます。なかでも最大の発見は、1937年に陸軍大臣が改定した軍の内部規則「改正野戦酒保規程」でしょう。このとき、同規程第1条(!)に、「慰安施設」を作れるという一文が加えられたのでした。
この文書は、防衛研究所所蔵資料から永井さんが見つけ出したものなのですが、ニクいことに、それを補強する資料も添えられます−。

「慰安施設の件方面軍より書類来り…迅速に女郎屋を設ける」

1937年12月、上海派遣軍参謀長の日記には、こう記されていたのです。
軍が深く関与していたことは、これだけでももう明々白々じゃないですか。

07/01 「アベ応援団"不勉強会"同人」のひとり大西某衆院議員が、きのう記者会見し、「自らの発言について『問題があったとは思わない』と反論した」と、毎日新聞にありました。けどコレ、「反論」になっていませんよねぇ?
この"不勉強会"、恥じることなく堂々「文化芸術懇話会」を名乗っているそうですが、まっ、同応援団の「文化芸術」なぞ所詮この程度、っていうことなのでしょう。
いまだに懲りず、「日本の国を過てるような報道に対しては広告を自粛すべきだと個人的には思う」なんて言い続けているようですから、やっぱり「バカにつけるクスリはない」のです。

で、突然ですが「お口直し」に、日本人5名と在日中国民主活動家ら中国人5名が呼びかける「南シナ海問題署名運動」のご案内−。

周知のように、中国は南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島で岩礁の埋め立て工事を進めてきましたが、それがこのほど完成したと伝えられます。一方、日本の海上自衛隊のP3C哨戒機がわざわざその目と鼻の先まで出かけて、フィリピン軍と合同演習を行なうにいたっています。
「一歩間違えたら戦争に」というのも、あながち思い過ごしでもなさそうです。
署名の内容は、

 1)南シナ海問題は平和的に解決すべきである
 2)南シナ海問題を理由とした戦争に反対する

のたった2点。南シナ海問題では「誰が悪いか」ということよりも、「とにかく戦争は避けなければならない」という立場をとっています。
そして、そこに寄せられた平和の声を、オバマ米大統領、習近平中国国家主席、安倍晋三首相に直接届けようというもの。
詳しくは、http://www.southcs.org/ まで。署名用紙も同サイトからダウンロードできます。