back number 2015-06(June)

梅雨の慰み(15.06)

06/30 「最高権力者」にとって「言論の自由」とは、「権力の座にある者は何を言ってもよい」ということのようです。事実、私たちはそんな国会答弁を聞かされてもきました。
ところが、「アベ応援団"不勉強会"」のトンデモ発言の数々に対しては、「自由闊達な議論がある」などと言い放ち、いよいよ安保法制審議に不利になるとみるや、途端に態度を変えたりもするのですが、それも「大変遺憾」などと、決まり文句をひねり出すのがやっとのところ。
「表現の自由は民主主義の根幹」との"認識"にしても、誠心誠意、自らの口で語るのではなく、谷垣幹事長に漏れ伝えさせる始末。どこまでも自分の過ちを認めることのできない、卑怯千万なお坊ちゃまなのでしょう。
ところで、けさの琉球新報社説で、これまた自民党議員によるトンデモ発言があったことを、知りました。
目下、超党派の議員立法で「放送アーカイブ」を創ろうという動きがあります。このそもそもの目的は、「文化的資産として放送番組を蓄積し利用する」といったものなのですが、早くもこれを、何と検閲目的に利用しようとする政治屋が現われたのです。
発言の主は、沖縄県選出の島尻安伊子参院議員。この3月の自民党内の会合で、「先日の選挙では私の地元メディアは偏っていた。あの時、どうだったかを調査するのは大事だ」などと述べたそう。先般の「沖縄二紙をつぶせ」暴言の導火線ともなる「トンデモ発言」です。
社説は、「自民党に不利な放送内容があるという前提に立ち、事後検閲の制度化を求めるものだ」と厳しく批判、「島尻氏発言は政権の体質と符合するだけに、危うさが増幅する」と締め括っていますが、まったく同感。

06/29 古来「バカにつけるクスリはない」とか申します。もうこんな男のアタマに「作家」なぞと冠して持ち上げるのは止めにしてもらいたいもの。そのヒャクタ氏が、今度は大学同窓会の会合で、またも「鉄面皮な開き直りの弁」を振るっています(毎日新聞)−。

「テレビやラジオの発言なら言い訳は通用しないが、飲み屋でしゃべっているようなもの。飲み屋では何でも言う。『あいつ殺したろうか』って、これ殺人未遂〔になるのか〕」

そればかりかツイッターでは、「本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」とまでブチ上げているのです。
まあ、こんな酔っ払いのような話をありがたく拝聴している国会議員"勉強会"(「飲み屋」のようなものだそうです)の「不勉強ぶり」も知れるというものです。
けれども、それに輪をかけて重大なのは、国会でその責任を追及されても、「発言する人物のみが責任を負うことができる」などと言って、他人事のように謝罪を拒む「最高権力者」の不誠実ぶりでしょう。
嗚呼、祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり… 驕れる自民も久しからず。

そんなとき、リベルタの身辺にも、不穏な雰囲気が漂ってきました。先週末、出版取次業界第4位の栗田出版販売の民事再生手続き開始の報が駆け巡ったかと思ったら、翌日には、さる小出版社倒産の報も流れてきました。何だか「火の車」は、ギリシャばかりじゃなさそうです。

06/26 きのう自民党内で、現在の政治状況を象徴するような出来事が、相次いで起こりました。
ひとつは、いわゆる「党内ハト派」とされる議員グループ「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」の会合が急遽、中止さ(せら?)れたこと。
これには、「解釈改憲には反対の改憲派」小林よしのり氏が呼ばれていました。どうやら、同氏に話をさせたら「"三憲人"違憲発言」の二の舞いになってしまうと危惧した幹部から、横槍が入ったということのよう。
表向きの中止理由は、「国会が空転しているから」とのことですが、小林氏は「執行部への抵抗勢力になるのが怖くなり、負けたんだと思う。自民は全体主義になっている」と睨んでいます(朝日新聞)。
しかし「国会が空転している」にもかかわらず、同じく若手の改憲推進勉強会「文化芸術懇話会」の方は、つつがなく開催。しかもそこでは、「耳を疑い目を覆いたくなるような発言」が飛び交っています(共同通信)。
出席議員からは、安保法案を批判する報道に関して「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」などという暴論が出たばかりか、講師として招かれた"作家" 百田尚樹氏にいたっては、こんなことまで言い放っています−。

「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ。」

これはもう、言論弾圧どころか「ファシズムそのもの」です。目下政権党がゴリ押しする「安保関連法案」(戦争法案)の何たるか、その本質をさらけだすかの、とんでもない発言です。

06/25 「政治家たちの中に『学者』を毛嫌いする気分があるのは、自身の『専門領域』を侵されることへの本能的な反発があるからだ。だが、人々が、それぞれの『専門領域』へ閉じこもることへの危惧から、民主政は始まったのである。」

けさの朝日新聞オピニオン欄、作家・高橋源一郎さんの「〈憲法と民主主義〉独学で見えてきたこと」の一節です。へえ〜、権力の座にある人々による昨今の「反知性主義的言動」の裏には、こんな動機づけがあったんですね。
ところで高橋さんは、「拘置所に7カ月と少し入った」ことを打ち明け、「独房がわたしの大学だった」と書いています。たっぷりある「余暇」を利用して、「一から勉強し」直したというのはさすがです。「高橋さんが今日あるのは、独房のおかげ」と言っても差し支えないでしょう。
変な話ですが、筆者には「独房に憧れた」時期がありました。ファシズム時代のイタリアの監獄に囚われ、極度に制約された読書環境下でも独創的な思索を続けたアントニオ・グラムシに、強い関心を抱いていたころのことです。
実は学生時代にこの思想家の著作に挑戦し、さっぱり理解できなかったのですが、あるとき国際図書展でイタリアの出版社の編集者と知己を得、グラムシ『獄中ノート』のクリティーク版が出たことを聞かされます。
とたんに学生時代のあのPTSDがむらむらとよみがえって、帰国するやその原書全4巻を取り寄せ、同時にイタリア語の独学を開始したのでした。
つまり、高橋さんは「獄に繋がれたために独学した」のですが、当方は逆に、「獄に繋がれた人の思索を読むために独学した」ということになります。

06/24 きのうは、ひと足早い沖縄の「戦後70年」。糸満市の平和祈念公園では、沖縄戦で犠牲となったすべての人を追悼し、平和を願う「沖縄全戦没者追悼式」が開かれました。
ところがそこには、「どう見ても場違いな人」がひとり−。世論の多数の反対をよそに「戦争法」をゴリ押しし、沖縄では県民の願いを踏みにじって辺野古新基地建設を「粛々と」推進する。そう、「アベノ強シンゾー」氏です。
「不幸な歴史を深く心に刻み、常に思いを致す」「沖縄が忍んだあまりにおびただしい犠牲」「基地負担軽減に全力を尽くす」…などと空々しいきれい事を並べ立てたあと、「言葉が軽いっ!」のヤジを背にそそくさと会場を後にしたそう。
そんなわけでこのご仁、地元高校生の知念捷君が朗読した自作の詩「みるく世がやゆら」を聴くこともなかったのでしょう。何度もリフレインされるこのウチナーグチは、「平和でしょうか?」の意味だそうです。でも、「場違いな人」はきっと、17歳の若者のこの問いかけに、まともに答えることができなかったでしょう。

さてここで、今週末のJCJ出版部会例会「報告&討論:辺野古の怒りvs『他人事』の本土」のご案内。弁士は、元沖縄タイムス記者の渡辺 豪さんと、沖縄へ:歩く、訊く、創るの著者、鈴木 耕さんです−。

 と き:6月26日(金)18時半〜
 ところ:岩波セミナールーム(神保町・岩波BC3F)
 かいひ:500円(会員・学生300円)

ふるってご参加ください。

06/23 きのうの衆院特別委。前回の「人選失敗」に懲りた自民党、今度は抜かりなく、「身元のしっかりした人」を参考人に立てました−。何と、目下の「違憲立法劇の立役者」とでもいえそうな前安保法制懇メンバー、西修・駒沢大名誉教授です。
だけどこの西さん、陳述冒頭から妙にいきり立ち、これは「戦争法案ではなく、戦争抑止法案だ!〔集団的自衛権の〕限定的容認で明白に憲法の範囲内だ!」なんて、何の論証もなく、堰を切ったようにまくし立てるだけ。
これじゃ誰が聞いても、あまり「参考」にはならなさそう。先だって小林節さんが「バカの壁」と呼んでいた(Cf. 06/16)のは、こういう方のことだったんですね。ナットク。
きのうは、その小林さんのほか、2人の元内閣法制局長官が陳述に立ったのですが、この方々にまで、「憲法を順守すべき政府自ら憲法の縛りを緩くなるように解釈を変えるということだ」とか、「法案は憲法9条に違反し、撤回されるべきだ」「黒を白と言いくるめるたぐいだ」とか、キツーイ意見を返される始末。
ところで、けさ発表の朝日新聞世論調査によると、この法案を「今国会で成立させる必要はない」と考える人は実に65%にも達し、内閣支持率も39%にまで急降下したとのこと。
それでも会期を大幅延長してまで、なりふり構わず一連の悪法をゴリ押しする構えのようです。
そのあたり「敬愛するおじいちゃま」のやり方そっくりなのですが、結局のところ、「おじいちゃま」と同じ轍を踏むことになるんでしょうね。

06/22 近ごろ歳のせいか、つくづく視力の衰えを痛感させられます。休みの日など、早朝に新聞一紙読み終えただけで根気が尽き、もうひと寝入りしてしまうといった体たらく。
さて唐突ですが、きょうは「字数」の話。本づくりなど商いにしていますと、これがとても大事なのです。「この本は、どのくらいの紙幅にしたらいいだろう?」なんてことを、いつも考えなければならないからです。
最近では電車で本を読んでいる人など、ほとんど見かけませんが、「文庫ブーム」が言われたころには、他人の本を盗み読みしたり、果ては、その本の組み方や字数を数えてみたりしては、いまの読者にとってはどのくらいの字数が適正か?なんて考えたこともありました。
ところで、朝日新聞文化・文芸欄の漱石リバイバルが好評のようです。きょうは「それから」の連載57回。出勤前の忙しい時間に、これもしっかり読むのですが、どうにも「息継ぎ」に苦慮してしまうときがあります。
そんなとき、「コレいったい何字あるんだろう?」とふと疑問が湧いて、さっそく数えてみました−。すると2000字強。漢字の読みも含めての話ではありますが、何と連載1回分で400字詰め原稿用紙5枚分にもなるのです。
ついでで恐縮ですが、同じページの下に掲載されている沢木耕太郎さんの連載小説「春に散る」の80回は、700字。っていうことは、漱石の方は、約3倍の"カロリー"が詰まっていることになります。
つくづく、明治の人は、現代人と比べてよく書き、よく読んだもんだ、と驚かされます。「忙しい」なんて言いながら、こんなことを考えたりしている輩こそ、よほどのヒマ人(遊民?)っていうことなんでしょうかね。

06/19 昨夜、国会周辺で行なわれた「戦争法案反対」抗議行動に、大病とご高齢を押して参加された93歳の作家・瀬戸内寂聴さん。きょうは、老作家の「命懸けのスピーチ」に、静かに耳を傾けたいと思います−。

「…最近のこの状態には寝ていられない。病気で死ぬか、けがをして死ぬか分からないが、どうせ死ぬならばこちらへ来て、みなさんに『このままでは日本はだめだよ、日本はどんどん怖いことになっているぞ』ということを申し上げて死にたいと思った。…
 …戦争に良い戦争は絶対にない。すべて人殺しです。殺さなければ殺される。それは人間の一番悪いことだ。二度と起こしちゃならない。
 しかし、最近の日本の状況を見ていると、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。せめて死ぬ前にここへきてそういう気持ちを訴えたいと思った。どうか、ここに集まった方は私と同じような気持ちだと思うが、その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います」(東京新聞より)。

なのに院内では、くだんの「最高権力者」がとうとう、「国際情勢にも目をつぶって従来の〔憲法〕解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ」などと言いだし、真っ向から立憲主義を否定する愚挙に出る始末。
それを言っちゃあおしまいよ。ハイル・シンゾラー!
「すぐ後ろの方に軍靴の音が続々と聞こえている」という寂聴さんの言葉は、決して大げさなものではないでしょう。

06/18 「三憲人」による「違憲判定」後初の党首討論。質問にほとんど答えることのない「首相答弁の不誠実さ」が、以前にも増して目につきました−。

集団的自衛権を行使する「存立危機事態」とはいかなる事態か?と詰め寄られても、「三要件に当てはまるかがすべて。その時々に適切に判断する」と答えるのみ。それ以上、詳しい中身については、何も答えない。
要するに、「武力行使する/しない」「憲法違反になる/ならない」の判断は、「時の内閣に丸投げさせろ」と言っているにすぎません。
で、「憲法違反」の指摘に対する「反論」も、法案は「1972年の自衛権に関する政府見解の基本的な法理の上に立って作りあげられた」と、すでに論破され、破綻している「牽強付会の屁理屈」を振り回すだけ。
さらに、「法律そのものが憲法の範囲内にあるからこそ法律を提出した」などと言いだすに至っては、まるでトンチンカン。もはや何の説明にもなっていません。
嗚呼、ナンタルチーア、いまのこの国の政治の低レベルぶりを端的に示す、お粗末きわまりない「討論」でした。そうさせている主因が「最高権力者」の側にあることは、言うまでもありませんが。

06/17 けさの朝日新聞「声」欄、作家・森村誠一さんの投稿「最高責任者こそが明白な危険」から−。

「…憲法の解釈を閣議で決定するのは、同族会社の会議のようなもの。百家争鳴になっても、一番偉い社長や会長の鶴の一声で決定されてしまうのと同じです。
 現在、国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険とは何か。それは一番偉い最高責任者であると言っても過言ではありません。」

まったく同感。これぞ、昨今この国に漂う「クサイ臭い」の大もとに違いありません。
ですから、このところわが家では、モミイ体制下、「クサイ人」ばかりをやたら登場させる「偏向した」NHKの報道番組とは、すっかり疎遠になってしまいました。
とはいえその制作現場には、まともな番組を作りたいと日夜奮闘している人も数多くいます。ちなみに19日(金)夜放送予定のNHKスペシャル「戦後70年:ニッポンの肖像」シリーズ「外交」編では、慰安婦問題やアジア女性基金、河野談話、村山談話などを取り上げるそうです。題して「信頼回復への道」
どこまで問題の核心に斬り込めるかはわかりませんが、番組がNHK自身の「信頼回復への道」となることを、強く希いたいところです。

06/16 先だって、今回の「安保法制論議」には「反知性主義の臭気」がプンプンと書きましたが、慶大名誉教授・小林節さんのきのうの記者会見を聞いて、その「臭いの正体」が何だか分かったような気になりました−。

「憲法は、権力担当者、政治家や公務員ら本来的に不完全な人間に課した制約だ。
 でも、自民の勉強会に行くと毎回、『どうして憲法は我々政治家だけを対象としているのか』と非常に不愉快そうに言う。そのうち『じゃあ、一般国民は憲法守らなくていいのか』と。権力者は『おれはまじめにやっているよ。おいそこの非国民、協力が足りないな』と、こうなる。」

哀しい哉、そんな具合なんですね。そもそも憲法とは何なのか、立憲主義とは何なのかが、まるで理解できていない。だから自民党の改憲草案でも、「いったい憲法とは、誰が誰の手を縛るものなのか?」という基本認識の点で、まったく主客転倒してしまうわけ。
どこかの消臭剤メーカーのCMに、「くさい臭いは元から断たなきやダメ!」というのがありましたが、「やれ憲法がどうとかわけのわからん話にとられているから…」なんて言っている「ヨトウムシ」諸君には、一度でもいいから、本気になって「日本国憲法」を熟読玩味していただきたいものです。
いつまでも不勉強なままでいては、口の悪い小林節さんに、こんな風に言われるのがオチですよ−。

「人間同士の論争は発展性があるが、〔バカの〕壁とのはつらい。発展性ない。壁を蹴飛ばすか、こちらが気が狂うしかない」ってね。

06/15 きょうは6月15日。55年前、日米安保条約改定に反対するデモに参加していた東大生・樺美智子さんが、国会議事堂構内で殺された日です。
圧倒的な反対世論をよそにこれを強行した"昭和の妖怪"の孫が、いままた"戦争法案"をゴリ押しするのを見るにつけ、「歴史の巡り合わせの妙」どころか、「半世紀も変わらぬこの国の民主主義」に思いを致さざるをえません。
で、ちょうど1年前のこの日、さるメディア研究者がFacebookに書かれたノートからパクらせていただきましょう−。

「54年前のその日、高校生であった私は国会議事堂東南通用門に居た。私たち高校生は各校からの参加者がある一角に集結していた。デモ隊が一気に門内になだれ込んで行ってどれくらいの時間が経過しただろう、高揚した気分でいたところに何人もの血まみれの人が担ぎ出されてきた。歩道に座り込む人、寝転んで止血治療を受ける人… そして『誰か死んだらしい』という言葉が伝わってきた。あの時のことは忘れない。…
 60年安保とは何だったのだろうか。私たちは率直にその本質をとらえていたと思う。『二度と戦争はしたくない。この安保条約では日本はまた戦争をすることになる。だから絶対に反対する。』シンプルで明快であったと思う。それに極めて多くの人が同調し、連日の大規模なデモとなった。6月15日の翌日私は大学生であった姉に呼びつけられた。『ここからは命がけの戦いとなる。未成年であり、かつ家族で唯一の男児であるお前は以後デモに参加してはならない』と厳然と申し渡された。あの時の姉は怖かった。けれども大学生たちが頑張ってやってくれるのだということに対する信頼と尊敬を実感でき、私は姉の言葉に従った。
 それからの日々、いったい何が起こったのだろう。私たちは何を間違えたのだろう。平然と軍備を語り、アメリカとの連携による戦闘行為の正当化を論じる。それも検証に耐えないような粗雑な論理で。そしてこの国をそのような方向に引きずっていく政党、政治家に多くの人が投票する。これはどういうことなのだろうか。私たちの世代の戦後は全くの無為、不毛であったのだろうか。…」

06/12 3人の憲法学者に「違憲判定」を突きつけられてあたふたする政府・与党、きのうの衆院憲法審査会には、くだんの詭弁(「こじつけ論法」)を編み出した自民党・高村正彦副総裁を投入して、コレ「火消し」に躍起。
これに先立ち「たいていの憲法学者より私の方が考えてきた」などと大見得きった高村センセエ、この日も十八番の毎度おなじみ「砂川判決」を披歴することしきり。しかし、これがいかにも説得力に乏しいからなのでしょう、今度は1954年の自衛隊創設時の議論を持ち出し、「あのときも憲法違反だと主張していた」と憲法学者を当てこすり、ウップンを晴らしておられたご様子。
続く"首相の元家庭教師" 平沢勝栄氏も、「学者の意見に従って戦後の行政、政治が行われていたら、日本はとんでもないことになっていた。憲法栄えて国滅ぶの愚を犯してはならない」などと、怪気炎を吐きます。
これに負けじと自民党・稲田朋美政調会長も、「憲法に違反するかどうかという議論を、これ以上続けていくことには、そんなに意味が無いのかなと思う」などと、さりげなく議論の打ち切りを示唆します。
何やら「反知性主義の臭気」がプンプン漂いはじめました。アッそうそう、「反知性主義」といえば、「天下の副総理」の発言をネグるわけにもゆきません−。

「抑止力があるから危ないのではなく、危なくないようにするために抑止力はいるんだという話だ。普通にしてもらえばだいたい分かる話だと思うが、やれ憲法がどうとかわけのわからん話にとられているから、話がどんどんどんどんおかしな方向になるのは甚だ残念だとは思う」(派閥の会合のあいさつで)。

どうやら、勝負を「反知性主義のリング」に持ち込もうという魂胆のようです。用心、用心、火の用心−。「マッチ1本、火事のもと。法案11本、戦争のもと!」

06/11 「『違憲じゃない』という著名な憲法学者もいっぱいいる」→「私自身が知っている方は10人程度」(実際に名前を挙げたのは3名)→「大事なのは憲法学者の多数派か少数派かではない」。
むかしの子ども社会でも、そんなことがよくありました−。始めは壮大なお話がいつの間にかしぼんでしまう、といった「マンチューゼン伯爵」級のホラ話です。官房長官氏の国会答弁は、その程度のものでしかなかった、ということなのでしょう。
それはともかく、戦争法案は「違憲じゃない」と政府側が繰り出してきた言い分は、まったく「反論」の体をなしていません。またぞろ、お門違いの「砂川判決」を持ち出したりしていますが、基本的には昨年7月の悪名高い「閣議決定」の焼き直しです。
それが一向に説得力を持ちえない根本原因は、「集団的自衛権の行使」を容認させたい一心から、「最高法規」たる憲法を下位法規にあてはめる「逆立ちしたこじつけ論法」を使っていることにあります。
このように根元から腐りきった法案が法的・論理的な正当性を持つわけありません。そんなものは、さっさと廃案にするしかないっていうこと。

06/10 「戦後70年」を前に、93年の「河野談話」、95年の「村山談話」の両当事者が、日本記者クラブで共同記者会見を持ちました。
このところ政権担当者による軽薄な発言ばかり聞かされてきたせいか、お二方のお話には「熟慮された発言の重み」を痛感させられました。
「戦後70年談話」への注文もさることながら、現下の「安保法制」問題にも、かなりキツーい批判を投げかけています。けさの毎日新聞から、元衆院議長・河野洋平さんのお話を引かせていただきましょう。とりわけ「ヨトウムシ」諸君には、耳の穴をよーくほじくって聞いてもらいたいもの−。

「安倍政権は、安全保障に関わる問題を非常に熱心にやっている。熱心なのはいいが、それがいかにも速すぎるし、乱暴だと私は思う。秘密保護法。武器輸出の緩和は防衛装備移転と言い換える。さらにたたみかけて、閣議決定で(集団的自衛権の行使を可能にするよう)憲法解釈を変える。そんなに急ぐ理由があるのか。…このやり方では到底、国民の理解を得られない。しかも、憲法学者も違憲と指摘している。やっぱり、正しくないと言わざるをえない。憲法9条は専守防衛。よそが攻められているから、こちらが手伝いにいくということは、9条では解釈できない。いろんな議論があるが、憲法の基本理念、条文をしっかり読んで議論をしてほしい」

06/09 憲法学者3人の「安保関連法案は憲法違反」発言の波紋が広がる中、政府・自民党は必死にコレ「反論」に努めています。しかし、あいにくそれがどうにも説得力を持てません。如何せん、もとより論理的には「無理筋」の話。「違憲じゃない」と強弁すればするほど、苦しさは増すばかり。
けさの毎日新聞「社説」は、こう書いています−。

「中谷元防衛相は衆院の特別委員会で『現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえて閣議決定を行った』と述べた。憲法に適合するように法律を制定するのではなく、政府が制定したい法律に適合するように憲法の解釈を変えたということだ。
 憲法98条は、憲法に反する法律は無効と定めている。政府の論理は逆立ちしている。」

中谷答弁を耳にして、私ゃ、ギリシャ神話に登場するアッティカの強盗プロクルステスの話を思い出してしまいました−。

エレウシスの丘にアジトを構えるこの強盗氏、通りすがりの人を呼び込んでは、伸縮自在の寝台に寝かせます。で、相手の身体が寝台からはみ出したら、その部分を切断し、寝台の長さに満たなければ身体を引き伸ばすという拷問にかけたそう。
ギリシャの強盗の場合は、あらかじめ相手の背丈を目測し、寝台の長さを「合わないように」調節しておいたのですが、日本の強盗、いえいえ今回「無理筋法案」をゴリ押ししようとしている面々は、あらかじめ「黒」を「白」と言いくるめたうえで11本もの法案をこしらえ、「これに合わない憲法を無理やりブッタ斬ったり伸ばしたり」ってな塩梅。

06/08 先週の衆院憲法審査会で3人の参考人全員が「安全保障関連法案は違憲」と陳述したことは、すでに法案議決の日程まで設定してこれを強行しようとしている安倍政権にとって、大きな打撃となりました。
自民党内では「何であんな学者を推薦したのかっ!?」との声が渦巻いたそうですが、その気持ち分からなくもない。
ところが、毎日新聞の伝えるところによると、おととい東大で開かれた「立憲デモクラシーの会」のシンポで講演した京大名誉教授(憲法学)の佐藤幸治さんも、「解釈改憲」について、こう批判したそうです−。

「憲法の個別的事柄に修正すべきことがあるのは否定しないが、根幹を変えてしまう発想は英米独にはない。日本ではいつまでぐだぐだ〔根幹を揺るがすようなことを〕言うのか、腹立たしくなる…
〔憲法という〕土台がどう変わるか分からないところで、政治と司法が立派な建物を築くことはできない」と。

実はこの佐藤さん、当初、くだんの審査会の与党推薦参考人にノミネートされて断わったという「因縁つきの人」。っていうことは、同審査会できっぱり「違憲」と述べた早大教授・長谷部恭男さんに差し替えなくても、参考人意見は変わることがなかったということ。つまりは、圧倒的多数の憲法学者が、これを「違憲」だと見做していることの証左です。
なのに、菅官房長官や中谷元防衛相は、これといった論証もなく「違憲との指摘は当たらない」などと、毎度おなじみ能天気な発言を続ける始末。
「粛々と」こそないけれど、「辺野古」のときとまったく同じパターン。「民主主義とは何なのか?」−この人たちは、からっきし理解できないようです。

06/05 きのうの衆院憲法審査会では、与党推薦参考人を含む3人の憲法学者全員が「安全保障関連法案は違憲」との見解。そうれ言わんこっちゃない。いま政権がゴリ押ししようとしている法案は、そもそも「無理筋」だということ。快哉!

ところで小社は毎年、"Guide to Liberta" と称する 本HPと同名の"図書目録まがい" を発行しています。お世辞にも旺盛な出版活動を展開しているとは言えない分際ですので、おのずと毎度、代わり映えのしないものになってしまいます。
それでも、今回で通算27号を数えることとなりました。きょうはその枕詞「リベルタだより」を、ここに紹介させていただきましょう−。

 戦後70年。いったんは「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを固く誓ったニッポンですが、あれから2〜3世代を経たいま、その「決意」も揺らぎ、最悪とも言える情況にあります。
「一強体制」のもと、集団的自衛権やら自衛隊の海外派兵やらを公然と容認する一連の「戦争法案」が次々目論まれ、日本国憲法の崇高な理念は、根底から覆されつつあります。しかもそれは、「国権の最高機関」国会に諮る前から米国との間で既成事実化され、まるで「宗主国と属国」のような関係で取り決められたことには、驚きを禁じえません。
 まずは、改憲に厳しい条件を課している96条の改正を狙い、それが困難と見るや、閣議決定とそれに引き続く「与党協議」という名の "出来レース"で、憲法9条の縛りを実質的に無力化してしまう。また沖縄では、3度の選挙で「辺野古新基地建設反対」の民意が明確になっているというのに、これを無視して「粛々と」建設を強行する−。
これがいったい、「民主主義」を標榜する国の政府のすることなのでしょうか?
 それだけではありません。政権党が自分らの気に入らない報道をしたマスメディアの幹部を呼びつけ、「事情聴取」するなど、憲法21条「言論・出版・表現の自由」の侵害とも思える政治的圧力には、目に余るものがあります。この国の「民主主義の危機」は、そこまで立ち至ってしまったのです。
 吹けば飛ぶようなリベルタですが、曲りなりにも言論空間の片隅に身を置いてきた者です。この国の「民主主義の危機」に対し、ことさら大きな声を出し続ける所存です。
(リベルタだより No.27)

06/04 フィリピンのアキノ大統領を招いたきのうの宮中晩餐会での天皇の挨拶(大メディアは、「おことば」というようです)から−。

「先の大戦においては、日米間の熾烈な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました。このことは私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないことであり、とりわけ戦後70年を迎える本年、当時の犠牲者へ深く哀悼の意を表します。」

必ずしも十分とはいえませんが、明仁氏の「戦争への強い反省の思い」は、素直に受け取っておきたいと思います。
と、そんな気になるのも、このところの"最高権力者"の立ち居振る舞いがあまりに酷いので、無意識のうちにお二方を比べてしまうからなのでしょう。
で、そのもうひと方について、詩人・浅尾忠男さんの短い風刺詩「憲法はわたしだ たったひとりの クーデターを自作自演する」を引いて、コラムニスト・早野透さんが書いていることが面白い−。

「ははあ、これは安倍さんのことだな、きっと昨年7月1日の例の記者会見のことだな。詩人の直観というのはすごいものだな。…フランスのルイ14世の『朕は国家なり』にも似て、これはたしかに戦後70年のわが国の平和原理を『たったひとり』で覆す、まごうことなく安倍さんの『クーデター』というほかない」(「新ポリティカにっぽん」朝日新聞デジタル、6月2日)。

06/03 「強シンゾー劇場」お得意の出し物「ホルムズ海峡の機雷」について、元防衛官僚・柳沢協二さんが、「議論すればするほど説明がつかなくなっている」と喝破しています(東京新聞、6月2日、「柳沢協二氏の安保国会ウォッチ」)。
おとといの衆院特別委員会で「強シンゾー」氏は、同海峡での機雷掃海は「完全な停戦合意はしていないが、合意に向けた話し合いが進んでいる状況」でのみ行う、と答弁しています。
だが、そんな騙しのテクニックは、軍事問題専門家の柳沢さんには簡単に見破られてしまいます−。

「そんな限定的状況なら期間も短く、ほどなく正式停戦になるし、手続きが残っているだけなら外交力で早く決着させればいい。原油の輸送ルートもほかにあり『国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある』という武力行使の要件に当たるはずがない。」

さらに、「こんなに無理がある事例に、なぜこれほどこだわっているのか」という、首相の心理分析が秀逸です−。

「現憲法で集団的自衛権の行使を容認する解釈の変更をするために、何とか説明のつく事例として、自身が一番理解できたのが機雷掃海だからではないか」と。

なーるほど。ついでながら、先だっての党首討論での首相答弁「〔ポツダム宣言は〕つまびらかに読んでない」は、きのう「当然、読んでいる」と変えることに閣議決定(!)したそう。
嗚呼、何たる低レベル! 「解釈改憲」は、そんな連中の集う児童会レベルの会議で決められたってことを、しっかり覚えておきたいもの。こんな「低レベル廃棄物」は、さっさと処分場へ送るしかありません。

06/02 「ナントカのひとつ覚え」のように、二言目には「ホルムズ海峡の機雷」を持ち出す「アベノ強シンゾー」氏、きのうの衆院特別委員会では、「重要影響事態」の具体例として、「中東、インド洋などの地域で武力衝突が発生し、我が国に物資を運ぶ日本船舶に深刻な影響が及ぶ可能性がある」というケースを挙げ、「シーレーン防衛のための後方支援も可能だ」と強弁しました。
もとよりこれは、明々白々な憲法違反なのですが、自ら深く敬愛して止まない"おじいちゃま"が命がけで改定した日米安保条約の「極東条項」にも反します。
ところで、その「ホルムズ海峡…」ですが、これまた「強シンゾー」氏がしばしば口にする「国際情勢の変化」を真面目に検討すると、こういうことになります−。「最近のイランにおける政治的変化を考えれば、そのような事態が起こることはありえない」。これが、まともな国際問題ウオッチャーたちの見方です。
そんな「強シンゾー」氏には、「ありもしない脅威」を無理に作り上げ、その「幻影」に向かって一本槍で突撃するドン・キホーテの姿がダブって見えてしかたありません。
で、その「幻影」を拭い払ってみれば、私たちにとって本当の「重要影響事態」や「存立危機事態」が見えてくることでしょう。それは、いままさに次々再稼働されようとしている原発群の存在です。軍事攻撃の標的ともなりかねない、そんな物騒なものを放置しておくことこそ、「最悪の危機的事態」ではないでしょうか?

06/01 安倍政権が「無い知恵を絞って」拡散しようとしている色とりどりの諸「事態」ですが、その評判は何ともパッとしないよう。
けさの毎日新聞コラム「風知草」で、山田孝男さんが、歴史も文化も伴わず「何とも落ち着かない存立危機事態」と、「何やらえたいの知れぬ重要影響事態」を取り上げ、ユニークな視点を提供してくれます。
槍玉に挙がったのは、衆院特別委の審議をストップさせる原因となった岸田文雄外相の「あやふや答弁」。「中東からの石油輸入停止のような、日本に軍事的波及のない、純粋に経済的な影響だけで重要影響事態になるか」との民主党・後藤祐一議員の質問に、最初はキッパリ「全く想定しておりません」と断言しておきながら、翌日には「総合的に判断します」と、石油確保のための米軍支援に含みを持たせました。
山田さんはここで、経産省が発表した「2030年の電源構成案」を引き合いに出します。そこには、「原子力20〜22%、再生可能エネルギー22〜24%」とあり、「6割弱が輸入化石燃料」となることを指摘したうえ、「もうひとつの存立危機事態」に注意を喚起します−。

「原発もウランを必要とする…原子力は自給エネルギーではない。
 かくも広き輸入依存を続け、純国産の再生可能エネルギーを低く抑えるのはなぜか(欧州や米国の一部の州は30年に40%以上を目指している)。供給が不安定で電気代が上がるからだと政府は言うが、輸入依存継続の『存立』こそ不安定ではあるまいか。」