back number 2015-05(May)

"レディライク"だそうです(15.05、柏の葉公園)

05/29 日本のために活動しているという米軍などを地球規模で支援する「重要影響事態」、日本への直接攻撃が差し迫っているとされる「武力攻撃切迫事態」、それに、日本の存立が脅かされるという「存立危機事態」… 何だか聞きなれない「事態」が、突如目の前に並び立てられ、おそらく多くの人が「理解不能事態」に陥っていることでしょう。
でも、ご安心ください。「法律は定義が肝心」とは、梓澤和幸さんのリーガルマインド:自分の頭で考える方法と精神から学んだ知恵ですが、くだんの法案では、それら一連のキー概念の定義が始めっからいい加減。だから、誰にも分からなくって当たり前。
きのうの衆院特別委員会では、そのあたりについての論戦が交わされたのですが、聞けば聞くほど、訳が分からなくなるばかり。それどころか、当の答弁をしている側まで訳が分からなくなってきているフシすら見受けられました。そこで、苛立った"最高権力者"が、質問者に向かって「早く質問しろよ!」なんて、"最高権力者"にあるまじきヤジを飛ばしたりしたのかもしれません。
では何で、そんなことに? おとといも書いたように、悪名高い昨年7月の「閣議決定」がボタンの掛け違いだったことについては、異論がないでしょう。
そこから、「海外派兵できるようにするには?」「集団的自衛権を行使できるようにするには?」といったかたちで、無い知恵が絞られます。こうして次々発案されたのが、盛り沢山の諸「事態」なのでした。「思考回路が完全に逆立ちしている」のです。
リベルタ子に言わせりゃ、こんな悪法が束になって上程されること自体、国民にとっては「重要影響事態」ですし、憲法に対する「攻撃切迫事態」でもあります。そうやって、この国の民主主義の「存立危機事態」をおびき寄せているだけの話じゃないのか?と、しきりに思うのです。

05/28 「安保法制国会」の審議を見ていると、野党の質問と政府答弁がまるで噛み合わないことに苛立ちを覚え、ストレスがたまるばかり。
最大の要因は、「アベノ強シンゾー」氏ら政府側が、「あいまい答弁」どころか、「不誠実答弁」を繰り返していることにあります。答弁書に目を落としたまま、官僚の作文を舌ったらずの早口で読み上げ、やっと目を上げ自前の言葉でしゃべるかと思いきや、あからさまに詭弁を弄して論点を逸らし、肝心な点には触れずじまい…。
つくづく、「私ら、バカにされ続けているんじゃないか!?」と思います。
そんな不誠実なやりとりを何度も見せられると、あのお方持ち前の「詭弁のカラクリ」が見えてくる、というものです。曰く、

「武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領域へ派遣する、いわゆる海外派兵は、一般に憲法上許されない」が、中東・ホルムズ海峡での機雷除去は、「極めて制限的、受動的だから、例外的に認められる」。

「一般にはそうだが、これは例外…」−。そうやって次々「例外」を積み重ねていけば、そのうち「例外」は、めでたく「一般」に転化する…
世間の「わがままおぼっちゃま」によくありがちな自己中心的な"虚言癖"にも似て、いかにも薄っぺらな「カラクリ」ではあるのですが。

05/27 「安保法制=戦争法案」論議の政府答弁は、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、足元が定まりません。次から次へとあやふやな綻びが露呈してきます。
きのう書いたばかりの「閣内不統一」ですが、きのうの衆院本会議の首相答弁では、「外国の領域でも新3要件を満たすことはあり得る」と付け足して、さっそく糊塗を図っています。
そればかりではありません。「自衛隊員のリスクが高まる」懸念(コレ、「木を見て森を見ない議論」なんだそうです)についても、先日の党首討論では「リスクとは関わりがない」と言いきっていたのに、きのうの本会議では「リスクは残る」なんて、言い換えています。あまりに言葉が粗末に扱われているのです。
ご参考までに、中谷防衛相は相も変わらず「増大することはない」と断言し続けています。いったい誰の、どの発言を信じたらいいのかわかりません。
では、何でそんなことが頻繁に起こるのでしょう? すべては、昨年7月の悪名高い「閣議決定」に始まった、と言うことができましょう。「国の最高法規」とされる憲法を、時の政権のたかが1回の型通りの「閣議決定」で無力化させてしまおうという魂胆に、そもそも根本的な無理があったのです。
その「無理」に「無理」を接ぎ木した「屁理屈」が脆いのは、あったり前のことじゃないですか! 

05/26 きょうから衆院本会議で「安全保障関連法案」の審議が始まります。
「ヨトーキョーギという名の田舎芝居」を長々と見せられたあげく、わざわざ首相が出向いて米国にお約束までしてきたんだから、とっくに決まってしまったこと、と考えている向きも多いのかも知れません。
ところがどっこい、まだ何にも決まったわけじゃない。だいたい、他国での武力行使の範囲すら明らかにされていません。首相は20日の党首討論で、「『一般に』海外派兵は認められていない。他国領域で戦闘行為を行うことを目的に武力行使しない」と明言しているのに、女房役の菅官房長官はついきのう、「新三要件に当たれば、他国での戦闘も、敵基地への攻撃もあり得る」と断言。中谷防衛相も、以下同文。白昼堂々、誰かがウソをついている!
曲りなりにも民主主義が機能しているなら、明白な「閣内不統一」として、内閣が吹き飛んでしまうような事態ではないのか!
しかも、それほど重要なことが、いずれの法案の、どこにも書かれていない!
そんな「トンデモ法案」を夏までの審議で終えてしまうなら、後に来るのは、もはやファシズム。

05/25 20日の党首討論での首相発言が波紋を呼んでいます。共産党の志位和夫委員長から「ポツダム宣言」についての認識を問われた「アベノ強シンゾー」氏、不意討ちを喰らって取り乱したのか、それとも持ち前のずるさを発揮したのか、思わず耳を疑うような答弁を口走りました−。

「私はまだ、つまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」

いやしくも「戦後レジームからの脱却」だなんて気勢を上げてきた人物がですよ、「戦後レジームの出発点」を知らないなんて…、アゴが外れるほどびっくり。
これを質問した当の志位さんが、自民党幹事長代理の頃の安倍氏の雑誌対談記事を引いて、同宣言についての「強シンゾー」氏のお粗末な事実誤認を指摘、「本当に読んでいなかったことがうかがえる」と言うのですから、「反知性主義」が堂々、永田町界隈を闊歩する昨今、「ホントにそうかよ」と疑いたくもなります。
でも真相は、民主党幹事長の枝野幸男さんの言うあたりなのかもしれません−。

「志位さんにああやって聞かれたら、個人的な感情は別にして、『政治としてはそれを受け入れて、私たちは再出発した』と言うしかない。
 ポツダム宣言は間違っていると言った瞬間、日米関係もめちゃくちゃになる。だけどポツダム宣言は受け入れてきたとは言いたくない。(つまびらかに読んでいないとの発言は)わざとだったら、ずるいなと思う」(朝日新聞)。

05/22 「イルカ問題」に対する今回のWAZAの強硬とも思える姿勢の背景には、「動物園と水族館は自然から生物を収奪するのではなく、自然保護センターとしての役割を果たすべき」とする「保全戦略」があります。
その核心をなすのが「動物福祉」という考え方で、とらわれの動物たちが快適に暮らすには、次の「5つの自由」が欠かせない、とされます(前掲書、pp.15-16)−。

 1)飢え、渇き、栄養不良からの自由
 2)肉体的苦痛と不快からの自由
 3)苦痛、外傷、疾病からの自由
 4)正常な行動を表現する自由
 5)恐怖や不安からの自由

今回の「イルカ」のケースでは、「とらわれ」になる前の「捕獲方法」が問題にされたわけですが、ここで野生動物保護の流れを簡単に振り返っておくのも、ムダではないしょう−。

1960年代までは、あらゆる野生動物が獲りたい放題でしたが、いくつかの野生種が絶滅に瀕したことから、「絶滅の恐れがある野生動植物種の国際取引に関する条約(CITES)」(1973年)などで、その取引に規制が加わるようになりました。
そこで、動物園は協力し合い、絶滅危惧種の動物を動物園で繁殖させるようになったのですが、そこにも厄介な問題が生まれてきます。
同じような動物ばかりが繁殖させられた結果、特定の種については「動物過剰」の状態に陥ってしまい、他の動物園に引き取ってもらえなかった動物たちは、結局、動物商やペット業者に売られてしまうことになる、というのです。

ものごと、なかなか一筋縄には行かないようです。じっくり時間をかけてお互いの考えを擦りあわせて行く以外、ありません。

05/21 「追い込み漁」で知られる和歌山県太地町のイルカを入手していたことで、スイスの世界動物園水族館協会(WAZA)から除名通告を受けた日本動物園水族館協会(JAZA)が、今後は同町からイルカを買わないとして、WAZAへの残留を決めました。
この漁をめぐっては、米映画「ザ・コーヴ」が「残酷だ」としてこれを批判的にとりあげ、深刻な「文明の対立」の様相すら示してきました。今回のJAZAの決定によって、ともあれ「決裂」の事態だけは回避されたわけですが、問題は依然として残されたまま。
彼我の対立の背景には、自然保護と伝統文化の二律背反があるわけで、それだけに長い時間をかけて相互理解を深め、歩み寄って行くしかありません。
ロブ・レイドローさんのとらわれの野生:動物園のあり方を考えるは、そのための格好のテキストですが、そこに登場するデトロイト動物園のロン・ケーガン園長の言葉は、とても意味深長です−。

「動物園を見れば、私たちの人間性が分かる。そして私たちが、自然界の他者をどのように遇しているかも分かる」と。

ここに言う「動物園」には、もちろん「水族館」も入ります。

05/20 沖縄の3つの選挙で新基地建設反対派が勝利した要因として、地元経済界の支持のあったことがいわれます。そのひとり「金秀グループ」の会長・呉屋守將さんが、『週刊金曜日』のインタビューに登場、その堂々たる見識に感銘を覚えました(5月15日号、特集「戦後ゼロ年の沖縄」)。
2月の県民大会の壇上に登った呉屋さん、「金秀グループは建設業をやっていますが、基地関連の工事はやらないと言っております」と紹介されると、マイクを取って、「金秀グループは基地関連の工事をやります!」と。
想定外の発言に一同シーンとなったところで、「基地の撤去工事をやります!」とやって、聴衆を沸かせたそう。なかなかの役者です。そして、続く話の気っ風が、またいい−。

「基地も原発も、建設工事より廃炉、撤去工事のほうが喜んでやれるじゃないですか。いつ日本を破壊するかわからないものを建設するより、安心安全な国をつくるための工事のほうが建設業者も誇りが持てる」と。

さらに続けて、

「フォークソングに『戦争を知らない子供たち』というのがありました。安倍内閣は、まさにその子どもたち」。

ウーム、鋭い。

05/19 きょうは、先週末に行なわれたアーサー・ビナードさんの講演のさわりのご報告−。

安倍さんの言うとおり! 日本が米国の戦争に巻き込まれることは絶対にありません!」

のっけからの話に、一同キョトン。おもむろに赤い小冊子の米国憲法を取りだし、「ここには、宣戦布告の権限を持つのは議会だと書いてあります」。
なのに、1941年12月のパールハーバー直後の対日宣戦布告を最後に、これが1度も守られてこなかった。朝鮮もベトナムも、アフガンもイラクも憲法の規定に従わない武力行使だから、いずれも正式には"War"ではなく、"Defense"だとされる。
だから、第2次世界大戦終結後、米国は"戦争"をしていない。米国が"戦争"をしないのだから、日本が"戦争"に巻き込まれることはありえない、というわけ。意地が悪いよ、ビナードさん! 
以下、大戦終結引き延ばし工作の裏にあったプルトニウム開発の話、Magna Carta以来の憲法の話から、"Constitution"とは「下から権力者の手を縛るもの」という話へ。
だけど、演題は「"美しい日本語"から見えてくる"怪しい現実"」でした。"怪しい現実"についてはよーくわかったけど、"美しい日本語"はちっとも出てこない…、なんて余計な心配をしはじめたら、急転直下、話はそこに−。

「大日本帝国憲法は権力が国民を縛るのだから、"憲法"じゃない。"大日本カニカマ憲法"とでも言うべき。だけど、文章だけは"美しい日本語"だ」(ン!?)

05/18 「大阪都構想」をめぐる住民投票で「反対」が上回り、大阪市の存続が決まりました。
昨秋、府・市議会でいったんは否決された「都構想」ですが、いつの間にかそれが息を吹き返し、今回の住民投票に持ち込まれた経緯には、きわめて不明朗なものがあります。
当初はこれに反対していた公明党大阪府本部が、突如「賛成」に転じたのですが、その裏にはどうやら、「菅官房長官→創価学会本部・公明党本部→公明党府本部」という、改憲がらみの「働きかけ」があったようです。このことは、公党の責任という点からも、憲法20条「政教分離の原則」からしても、大いに問題を孕んでいます。
ところで、京都府立大の元学長・広原盛明さんは、この住民投票そのものが、「国家の重要政策を『イエス』か『ノー』かの単純選択に還元して国民投票にかけ、これを繰り返しながらファシズム体制を作り上げていったヒトラーの手法を想起させる」として、次のように続けます(『ジャーナリスト』4月25日号)−。

「…共通するのは冷静な議論を排除して国民・市民を二者択一の単純な投票行動に追い込み、その結果をもって『民意=政策の承認」を得たとして独裁政治を強行するところにある」と。

05/15 昨夜、珍しく家族の"視聴妨害"(Cf.04/30)が入ることなく、首相記者会見を視ることができました。11本の「戦争法案」を閣議決定してひとり高揚する弁士の様子を、連れ合いもキッと凝視していました。
それにしても、それが"商売"だとはいえ、まあよくもこうウソ臭いことを立て続けにペラッペラやれるもんだと、ひたすら感心するばかり−。

「米国の戦争に巻き込まれると不安をお持ちの方に申し上げる。絶対にありえない。日本が武力を行使するのは、日本国民を守るためだ。『戦争法案』といった無責任なレッテル貼りは誤りだ。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは今後とも決してない。」

「行動には批判が伴う。安保条約改定時も、PKO協力法制定時も、『戦争にまきこまれる』との批判が噴出した。しかし、まったく的外れだったことは歴史が証明している。」

「的外れ」な冗談も休み休みにしていただきたい。戦争に巻き込まれることがなかったのは、まさに、お前さんがいま壊そうとしている日本国憲法のおかげじゃありませんか!?
論より証拠、けさの毎日新聞に、防衛大卒の編集委員・滝野隆浩さんが、こう書いているじゃありませんか−。

「親しい陸自将官OBは『憲法9条で守られてきたのは実は自衛隊だった』と漏らす。日本に攻めてきた敵とは戦う。だが、海外で自衛官が殺したり殺されたりする事態は、9条により免れてきた、と。『自衛隊は創設から60年、1発の銃弾も撃っていない』といわれる。部内ではそれが少々恥ずかしいことのように言われるが、私は日本人の誇りだと思う。その封印がいま、解かれようとしている。」

05/14 おととい「"戦後レジーム"を"おもちゃ箱"のようにひっくり返してしまう巨大法案」と書いた「戦争法案」ですが、その11本すべてをそらんじている人は少ないのではないでしょうか?
で、まずは"おさらい"−。
そのうち1本は、恒久法の新法案「国際平和支援法案」。あつかましくも「平和」だなんて僭称していますが、とんでもない。その実体は、れっきとした「国際戦争支援」です。
次に、以下10本の改正法案を、これまた「平和」を僭称、「平和安全法制整備法」などとして、「バナナのたたき売り」のごとく、一括審議してしまおうという魂胆。

 ●武力攻撃事態法改正案
 ●重要影響事態法案(周辺事態法を改正)
 ●PKO協力法改正案
 ●自衛隊法改正案
 ●船舶検査法改正案
 ●米軍等行動円滑化法案(米軍行動円滑化法を改正)
 ●海上輸送規制法改正案
 ●捕虜取り扱い法改正案
 ●特定公共施設利用法改正案
 ●国家安全保障会議(NSC)設置法改正案

そんな「戦争法案」ひと山が、きょう、悪名高い「閣議決定」となるそう。こんな乱暴狼藉を許しておいちゃいけません。

05/13 きのう引き合いに出したNHK世論調査では、安倍内閣を「支持する」人は前月と同じ51%で、「支持しない」人は2ポイント下がって32%ということでした。
で、支持する理由はといえば、「他の内閣より良さそうだから」が断トツ1位の38%を占めています。「べつに積極的に支持するわけじゃないけど、他にくらべりゃ…」程度の話なのかもしれません。人々はいまだに「民主党政権失敗のトラウマ」を引きずっている、ということなのでしょう。
まことに唐突ですが、2009年9月の「政権選択選挙」で民主党政権が発足したとき、リベルタ子は、「何かが変わってほしい」と希うとともに、「もしもこれで失敗したら、取り返しのつかないことになってしまう」という強い懸念を抱いたのを思い起こします。
これまた唐突きわまりないのですが、「レーニン最期の闘争」のことがチラッと頭をかすめたからです。彼が最晩年の病床で秘書に口述筆記させた一連の論文(「遺言」)を読むと、どうやら彼が、ロシア革命時の権力奪取が拙速すぎたと悔やんでいたフシが感じ取れるのです。その結果が、スターリン体制のソ連社会主義だったのではないか、とリベルタ子は睨んでいます。
まっ、先般の日本の「政権交代劇」など、べつに世界史的な意義を持つわけもないのですが、周到な準備なしに権力の座に就いてしまうとどうなるのか、また、それにしくじってしまうとどんなことになるのか、という点では、通底するものがあるのかもしれません。

05/12 安全保障関連法案をめぐる与党協議が、きのう全条文に正式合意、「始めから結末見え見えの田舎芝居」も、ようやく看板をはねました。
あとは、数にまかせて強行突破するだけ。非力な野党が束になって来ようが、蹴散らしてしまえばいい。だって、もう、米国議会の「晴れの舞台」で大見得切ってきちゃったんだもんね−。「アベノ強シンゾー」氏の心のうちは、おそらくそんなところでしょう。
だけど、「戦後レジーム」を「おもちゃ箱」のようにひっくり返してしまうこの巨大法案について、「ヨトウムシ」諸君を含め、どれだけの人が深く理解していることでしょう?
ちなみに、夕べのNHKニュースでやっていた世論調査結果によれば、これを「あまり理解していない」人は40%、「まったく理解していない」人が9%と、半数もの人々が、まだ中身をほとんど知らないでいるというのが現状。
なのに、いや、だからこそ、「世間が目を覚まさないうちに、さっさと煙に巻いてしまおう」−。これぞ、いつぞや「マンガ副総理」がポロッと口を滑らせた「ナチスの手口」じゃないのかしら。
ズルさにおいては誰にも引けを取らない人々が集うあの政権は、そんなふうに考えて、ほくそ笑んでいるに違いありません。

05/11 スペインというのは、大変自立心の強いお国柄のようです。昨秋「分離・独立」の住民投票が行なわれたカタルーニャ自治州や、バスク(エウスカディ)自治州のことは多少知っていましたが、アンダルシア州に何と「共産主義の村」があることまでは、寡聞にして知りませんでした。
この連休中、その村を腰を据えて取材した英国人ジャーナリスト、ダン・ハンコックスさんの『理想の村マリナレダ』(原題:"The Village against the World"、プレシ南日子訳、太田出版)を、興味深く読みました。
同州セビリア県の内陸部、人口2800人足らずというこの小さな村が世界の注目を浴びたのは、国家から自律した独自の社会・経済システムゆえでした。
村民の大半は農業従事者なのですが、協同組合員は、1日6時間労働に対し、国の最低賃金の2倍以上が支払われ、誰でも安価で有利な公的サービスを享受できます。
協同組合の目的は「利益」ではなく、「雇用を生み出すこと」と考えるサンチェス・ゴルディーヨ村長は、「できるかぎり多くの雇用を創出するため、労働力を最も多く必要とする〔できるだけ手のかかる〕作物を選んだ」(p.120)と言います。
「社会は人々の生活を犠牲にしてまで『効率』を最重要視する必要などない」と言い切るゴルディーヨさんの「哲学」には、さすがのリベルタ子も、すっかり度肝を抜かれてしまいました。
とはいえ、経済危機下のスペインです。この村がいつまでそれとは無縁でいられるかは、決して平坦なものではないようです。

05/08 「私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります」と言う米国の日本研究者ら187人による「日本の歴史家を支持する声明」は、研究者らしい冷静で控えめな調子の中にも、「歴史認識問題」の核心を鋭く衝いています−。

「『慰安婦』制度の問題…は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。」

「『慰安婦』の正確な数について、…いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。…大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。」

このところ日本国内では、関係資料が軍によって処分されてしまったのをいいことに、瑣末な事実の断片ををほじくり出しては、問題の真の所在を曖昧にしようとする議論が、大手を振るっています。
そんな様子を、一歩突き放して外から冷静に観察すれば、このような結論に落ち着くことになるのでしょう。

05/07 きょうは、大地震に見舞われたネパールから知り合いの登山家のところに届いた現地情報を引かせていただきましょう。メイルの主は、ヒマラヤの登山ガイド、ヌルブさんです−。

「25日 じしん くる 日は 〔トレッキングに出ていた〕私たちも ほんとうに あぶなかったよ。。。! タール した チャンムゼに つくまえの ところで はんたいがわの 大木〔大きい?〕がけ山の うえから くずれて 大木 がけくずれに なって たくさん 石 とんできて 目の まえ おちていました。 うち ポータ 二人の まえ と うしろ おちました。 …ほんとうに あぶなかった よ。 …25日から 29日まで なんかいも ふつうの じしん きて ゆれていました。 みんな とても くわくって あちこち うごけなかった です。…
きょう 5月2日の しんぶんで かいてる リポートで じしんで しんだ 人たち:6507人 と けがした 人たち 14013人でした。まだまだ ゆくえふめなった人たち 5000人いじょう いるみたい です。しぜんの じこは たいへん ですね。 しぜんの じこには にんげん どうしても かてない ですね。 どようび や ひるまの じしんだったから たくさん 人たち じこに ならなかった です。 ふつうの ようび や よろ と あさの じしん だったら いっぱい 人たち しぬ かのせい です。82年ぶりの 大木 じしんの けいけん しました。 ちきゅうの パワーすごいね。。」

05/01 きのう取り上げた米上下両院合同会議での安倍首相演説ですが、大方の関心は、日本の過去の侵略戦争と植民地支配に対し、どれだけの「おわび」をするのかしないのか、ということにありました。
でも、そもそもこのお方にそんなものを求めることからして、「ないものねだり」なのかもしれません。「先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げ…とこしえの、哀悼を捧げ」はするものの、近隣諸国やアジアの人々に対しては、決して明確な謝罪をすることがありません。
確かに「先の大戦に対する痛切な反省」(deep remorse over the war)は口にしたものの、それとて、先だってバンドンで口走った「先の大戦の深い反省」とまったく同じ英文の訳文を、外務省の役人がいじっただけのこと。そこに誠意を見出すことなど、とうていできません。
「大戦に対する反省」だって、ひょっとして「あんときの作戦がマズかったから、負けてしまったのだ」といった類いの「痛切な反省」なのかもしれませんよ。
で、これから「私たちが掲げるバナー」は、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」なんだそうで、これが「日本の将来を導く旗印」となるそうです。
ちなみに、このところ事あるごと、何とかの一つ覚えのように聞かされる「積極的平和主義」とは、「proactive contribution to peace」なんだそう。しかし昨今、「強シンゾー」氏らが実際に「切れ目なく」強行している「戦争法」づくりを見てみれば、その内実は「proactive contribution to war」となるに違いありません。