back number 2015-03(March)

お散歩道の慰み(15.02)

03/31 またしても私たちは、「つまらぬ田舎芝居」に付き合わされるハメとなりました。今度の舞台の主役は「駄々っ子宰相」と、 "蛙の面" に見えて仕方のない官房長官。それに、ちょい役として引っぱり出されたのが、一見場違いじゃないかと思われる農林水産大臣。
だいたい、同じ巣窟に棲息するムジナが別のムジナに「裁決」を求めるなんて、結論は始めっからバレバレ。まんまと客を化かせるほどの芸ができるわけない。だから、「茶番劇」というのです。
で、その下手な芝居の脚本家がシナリオを書くにあたって引っ張り出したのが、「行政不服審査法」という、一般にはあまり耳慣れない法律。だけど、ちょっと待ってくれ、そりゃあ、行政の不当な処分に対して国民が不服を申し立てるためのものじゃないのか!?
でも、「アベノ強シンゾー」氏にあっては、そんなこたぁどうでもいいこと。誰の入れ知恵か、「国が一事業者として私人と同じ立場で申立人になることは認められる」なんて、しゃあしゃあと言ってのけたものです。
この国ではこのところ、やたらその手の牽強付会が横行していますが、このお方の論法はいつもこう。野党やメディアに批判でもされれば、自らの「人権」を振り回し、挙げ句の果ては、あることないこと言いたい放題ぺらっぺらやって、「言論の自由だ」と強弁する。
表向き、「沖縄の方々の理解を得る努力を続けながら…」なんぞと言うものの、どこまでも沖縄の民意を無視し続け、「シュクシュクと」事を進めてしまう。これが「差別」でなくて、何なのかっ!

03/30 「人のために涙する目を持たない」というのは、「人のことなど眼中にない」に通じます。これは、「聞き分けの悪い駄々っ子」に特徴的な振る舞いです。
そんな勝手し放題を、おおっぴらに公的な場でやられたのではたまりません。ところが、あろうことか、これを一国の宰相に許しているのが、昨今の日本の政治状況です。
権力に対する "Watchdog" としてのメディアが政権批判でもしようものなら、すぐさまこれに強権的な恫喝を加える。野党議員の質問中に、答弁席から見当外れのヤジを飛ばす。果ては、国会答弁で堂々、自衛隊を「わが軍」と呼び、それを「イエスマン」の官房長官が追認する…。
きのうの朝日新聞「長谷部×杉田考論」で、長谷部恭男さんが言っていたように、「法律も憲法解釈もすべて操作できる」と考えている、つまり安倍氏においては「合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている」ということ。
デジャヴュ、まるで「朕は国家なり」じゃないですか? 「戦後レジーム脱却のあとに絶対王制よ来れ!」といった塩梅。こんな時代錯誤的な児戯は、いますぐにでも止めさせなきゃ、民主主義が泣きます。

03/27 エコノミスト・浜矩子さんのお話はいつも歯切れがよく、胸の空く思いがします。
先日の「マガ9学校」主催「怒れる大女子会」での、作家・雨宮処凛さんとの掛け合い「"アホノミクス" と決別するために」(『週刊金曜日』3月27日号)もそうでした。
雨宮さんから「地方選投票のポイント」を問われての答えが、なかなか振るっています−。

「注意すべき用語はあります。『全国津々浦々』『取り戻す』『世界一』ということばを使いたがる人は要注意です。そういう人は『格差』や『貧困』という言葉を使いたがらない。…安倍首相の語りの中には『人間』が出てこない。…唯一あるのが13年半ばに出た『成長戦略」で言及した、大阪万博の『人間洗濯機』くらいです。」

先だってリベルタ子も吠えたばかりですが、「『政治家の定型表現』には、よくよく注意した方がいい」(03/24)ってことなのでしょう。
で、浜さんは、「チーム・ "アホノミクス" の最大の特徴は人のために涙する目を持たないことでしょう」と結論づけています。まったく同感!

03/26 昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」は、「沖縄の基地と経済」を特集していました。
これまでに返還されたいくつかの米軍施設跡地には、米国やシンガポール資本の高級ホテルが進出を試みるなど、「基地オキナワ」は、豊かな自然景観を最大限に活用した一大リゾートへと、確実に変身しつつあります。
地元経済界はおろか軍用地地主までもが、「基地がなくなった方が沖縄経済は発展する」と考えはじめています。「辺野古移設ノー!」を掲げる市長や知事が誕生し、衆院4つの選挙区すべてで「移設反対派」が勝利したことの背景には、そんな住民意識の大きな変化があったのです。
そうした変化に気づかず、いつまでも「基地なしで沖縄経済はやっていけない」などと考えている向きは、思わぬしっぺ返しを受けることになるでしょう。

「大風呂敷であることを承知で、私は夢想する。米軍基地が沖縄からなくなった後のことを、思い描く。なるべく具体的に、形あるものとして描いていく。私が訪れたことのある島々に、その形をあてはめてみる。基地がなくなった後の、沖縄の姿を。
しかし、夢想はほんとうに実現不可能だろうか。かつて夢想であり妄想だと鼻であしらわれた構想が、いまや私たちの眼前に繰り広げられている……、そんな例はいくつもあるではないか」(沖縄へ:歩く、訊く、創る、pp.159-160)。

そう言って鈴木耕さんが広げた風呂敷「『沖縄医療特区』構想」を、この機会にぜひひも解いてみてください。

03/25 のっけからいささか品のない表現で恐縮ですが、以前この欄に、「官房長官の顔が "蛙の面" に見えてきました」と書いたことがあります。で、きのうはいよいよ、その感を強くしました。
沖縄県民や知事が何と言おうと、すべからくあの決まり文句「シュクシュクと」で片付けてしまう。こうして、県知事が停止を求めたボーリング調査は、きのうも「シュクシュクと」進められたのでした。
そればかりか、沖縄防衛局はきのう、翁長知事の指示を不服として、農水省に対し行政不服審査法にもとづく審査請求をするに及んでいます。そんなことまでするんだったら、せめてその裁決が下るまでは調査を停止するのが筋だと思うのですが、それすらしません。
知事は県の「漁業調整規則」にもとづいて指示を出したのですが、いくらそれが国の「水産資源保護法」に依拠したものであり、それを所管するのが農水省だからといって、「国が国に県を訴えて国の判断を仰ぐ」といった構図はどう見ても茶番に等しい、といえるのではないでしょうか? 民主主義の在り方として、大いに疑問が残るところです。

03/24 沖縄県の翁長知事がついに、沖縄防衛局に対し、辺野古の海底ボーリング調査を停止するよう指示しました。何度会見を申し入れても、一向に取り合おうとしない中央政府への「覚悟の抵抗」だと思います。
しかし菅官房長官は、この期に及んでも、「この期に及んで」を5回も繰り返して、これに不快感を示したそう(けさの東京新聞)。
このご仁、よほどボキャブラリーの乏しいお方のようで、きのうの記者会見でも、「法令に基づいて粛々と対応する」などと、毎度おなじみチリ紙交換車のようなフレーズを繰り返しています(中谷防衛相も、以下ドーブン)。
この方々の語法で「粛々と」は、「他人の言うことなどには耳も貸さず、ひたすらがむしゃらに事を進める」という意味のようです。
気になってあちこち調べてみると、「日経ことばオンライン」に、面白い論考が出ていました。「政治家の口癖『粛々』、登場回数が増加のワケは?」とあります。
3年も前の記事ですから、事例はいくぶん古いのですが、これがなかなかの力作。たとえば、歴代首相の中で在任中にこれをいちばん使ったのは、菅直人氏の14件だそう。っていうことは、「カン」も「スガ」も読みは違えど、なぜかこの語がお好きなよう。
もともとは、「1)つつしむさま、2)静かにひっそりしたさま、3)ひきしまったさま、4)おごそかなさま」(広辞苑)といった意味だったのが、不祥事が明るみに出て苦境に陥った政治家らが多用する間に、「ピンチの時に使われる言葉というイメージが国民に定着してきた」(円満字氏)との指摘も面白い。
でもやっぱり「政治家の定型表現」には、よくよく注意した方がいい。

03/23 「間違った日本語」談義で、前回は「善良な民間人」まで巻き添えにしてしまいました。ごめんなさい。さてきょうは、「ハンタイセイテキ」な本題に戻りましょう。
さきに「カメレオン事態」(03/09)と名づけた自民・公明両党による「安保法制」協議ですが、リベルタ子は初め、「田舎芝居」にご出演の役者たちのアタマが悪いから、いえいえ滅相もない、言葉のセンスがあまりよろしくないから、「存立事態」だの「新事態」だの「重要影響事態」だの、訳の分からぬ言葉が次々出てくるのだろう、と思っていました。
ところがどっこい、あの方々はとてもずる賢く、意図的にそのような「言葉の混乱」をカクサンしているのではないか、と最近では疑るようになったのです。つまりは、「言葉の目くらまし」じゃないのか?と。
こうやって、定義も不分明なキーワードを次々繰り出すことによって、おそらくは言っている当人らも訳が分からなくなっているのでしょうが、聞かされている方はもう、何が何だかさっぱり分からなくなってしまう。そんな「新事態」の現出を意識的に狙っているのではないでしょうか?
まるで伊賀者か甲賀者のなせる業ですが、実はコレ、国会委員会の閣僚席でいつも居眠りしているアノ「マンガ副総裁」が、以前にポロッと漏らした「ナチスのやり口」の正体なのではないか、と気づかされたのでした。

03/20 「間違った日本語の使い方」と言えば、最近とみに、世代間コミュニケーションが取りにくくなっているやに思えます。いや、そんなものは別に今に始まったことじゃなく、そう思うこちらが、ただジジむさくなっているだけの話なのかもしれません。
先だって新しい事務所に移ってまだ間もない日、こんなことがありました。近所の編集プロダクションの若い編集者が、さっそく営業に訪れたのです。
当方が、「どんなとこの仕事をなさっているの?」と問うと、いくつかの版元名を列挙してから、ケロッとこう付け加えるのでした−。

「△△社のような "反社会的出版社"の仕事もやってます」

んっ、「ハンシャカイテキ」!? 先方は、こちらが真意を測りかねて困惑しているのも、意に介しません。むしろ、好感をもってそう話されている様子なのです。二の句も継げませんでした。
でも、彼が帰って、ハタと気がつきました。ひょっとして彼は、「反体制的」と言いたかったのかも知れない、と。
「ハンタイセイ」なんて言葉はもはや、プラスシンボルでもマイナスシンボルでもありません。おそらくは、「死語」か「化石」となっているのでしょう。ですから、若い彼がそれを取り違えたところで当たり前。ノー・プロブレム。
しかし、仕事をお出しする気になれなかったことは、言うまでもありません。

03/19 「人道支援」なるものは、「積極的平和主義」とともに、安倍首相が得意気に語る「間違った日本語の使い方」の見本です。
けさの朝日新聞「私の視点」欄で元ノルウェー大使・野々山忠致さんが主張するよう、「人道支援」と「テロとの闘い」を一緒くたにしてしまっては、せっかくの「支援」も誤解を招くだけ。「人道支援では中立の姿勢を貫く」のが大原則です。
そのことを身をもって体現したのが、ユニセフ第3代事務局長ジェームズ・グラントでした。彼は戦乱の中の子どもたちを救うため、双方の当事者と交渉して、何と1度ならず戦争を止めてしまったのです。たとえば、1991年の湾岸戦争時のひとこま−。

イラク国内6カ所の浄水場が空爆で破壊され、衛生状態が急激に悪化、伝染病の拡大が心配されていた。
グラントは、さっそく救援の手配に乗り出した。しかし、米英連合軍の側は、「何のために国連がイラクを制裁しているのか。救援物資を送ればサダム・フセインの思う壺だ」と猛反対。
グラントはそうした反対の声を押し切り、サダム・フセインとも掛け合って6時間の停戦約束を取り付け、イラクへ緊急支援物資を送る手配をした。医薬品や食糧を積んだ12台のトレーラーがバグダッドに到着したのは、停戦時間の終了間際のことだった。

井上和雄さんのユニセフ最前線:戦争を止めた人間愛には、そんなエピソードが紹介されています(同書、pp123-160)。
「人道支援」とはそういうものです。「IS対策として2億ドル」なんてものは、決して「人道支援」たりえないのです。

03/18 またしても新聞からの話題。けさの朝日新聞オピニオン欄、イタリアのジャーナリスト、ロレッタ・ナポリオーニさんのインタビュー記事「IS、本質を見極める」は、大変刺激に富むものでした。
ISによる日本人人質殺害事件に関して、彼らがISに拘束されていることが分かっていたのに、安倍首相が外遊先のエジプトで「IS対策として2億ドル拠出」を表明したのは「大きな政治的過失だった」と言いきるナポリオーニさん。そうした見方は、日本でも多くの論者の言うところでしたが、妙な「自粛ムード」に陥ったかのメインストリームメディアの論調とはなりえませんでした。
で、その背景を衝くナポリオーニさんのお話には、さらに深い洞察力を思わされました−。

「ISへの対抗姿勢を明確にした人道支援表明の背景に、安倍氏の憲法改正への意欲があったという理解が国際社会に広まっています。首相は日本国民の代表としてそこにいるのであって、独裁者ではない。国民の総意に基づかずに、どんな形の関与も表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか」

まったく同感。ここに、昨今この国が陥っている重篤な「政治の劣化」と「ジャーナリズムの劣化」とを、ハッキリ現認することができます。

03/17 「『格差』が広がる昨今。それでも『ぜいたくはできないが、新聞だけはやめない』という人が多い。ありがたい。毎朝毎晩、お題目を唱えるように読んでくれる。しかも『何十年も、毎日新聞しか読まない』。
 どこか『宗教』に似ている。
 『新聞の教え』は間違いない!と読者は思い込む。まして、何十年も同じ新聞を読むと『……新聞教』の信者?になってしまう。」

きのうの毎日新聞夕刊「牧太郎〔同紙客員編集委員〕の大きな声では言えないが…」の一節です。
うーむ、そうかも知れません。でも、いま新聞がそれほどの影響力を持っているとも思えません。ことに若い世代には、おそらく通用しない話でしょう。
「ロートル世代」のひとりとして、リベルタ子は毎日たっぷり時間をかけて新聞を読みます。その意味では確かに、「新聞教信者」と言えなくもありません。しかし、そこに書いてあることをにわかに信じてしまうことは、まずありません。いつも眉に唾して読んでいる、実に嫌らしく、かつ「不心得な信者」です。
日曜日の昼下がり、そんな奴のところに、Y新聞販売店から親切な電話がありました。「1カ月間タダにしますから、試し読みしませんか?」と。

「新聞は、タダだからって読むもんじゃないでしょっ?」

と、まあ、どこまでも「不心得な信者」なのでした。

03/16 この政権の傲慢さ(やりたい放題)は、沖縄に対するかくも露骨な冷遇措置に最も顕著に見られるのですが、そればかりではありません。
先月の衆院予算委員会で、民主党議員の質問中に質問とは無関係なヤジを安倍首相がムキになって飛ばした一件は、この国の民主主義の置かれている寒々しい現状を、典型的に物語るものです。
では、何でこんなことが見過ごされ続けるのでしょうか? 著述家の本間龍さんは、マスメディアの追及の甘さを問い、その上層部が首相と頻繁に会食を繰り返している事実をあぶり出します(『週刊金曜日』3月13日号、「今週の巻頭トピック」)−。

「2013年1月から15年1月にかけて、安倍首相とメディア上層部らとの会食は実に60回を超える。…新聞社やテレビ局には『総理番記者』がいる。安倍首相は実質的に日本の "最高権力者" だから、言動は逐一チェックされる。しかし、その記者の上司らは首相の元へ頻繁に通い、酒食を共にしているのである。…上層部と首相が『メシ友』の状態で、容赦なき批判ができるのかどうかも疑わしい。」

そして本間さんは、新聞に掲載される「首相動静」欄からマスメディア企業幹部の会食参加状況をピックアップし、その回数の多い「メシ友メディアほど政権追及が甘くなる」という法則を導き出しています。

03/13 沖縄防衛局がきのう、名護市辺野古沿岸部の海底ボーリング調査再開を強行しました。
昨年1月の市長選から衆院選まで5回の選挙で「辺野古移設反対」の強い民意を明らかにしてきた「沖縄の怒りのマグマ」は、もはや抑えのきかないところにまできてしまいました。
なのに菅官房長官は相も変わらず鈍感に、「一昨年、16年前に時の沖縄県知事から承認をいただいた。それに基づいて粛々と工事をしていくのは問題ない」などと言い放っています。
けさの朝日新聞メディア欄のインタビューで、沖縄在住の作家・目取真俊さんが、いくら叫んでも「ヤマトゥ(本土)に届かない」沖縄県民の切羽詰まった思いを語っています−。

「安倍晋三首相が沖縄県民の代表である翁長知事に会うことすら拒んでいるのは、権力による形を変えた暴力です。暴力が横行する事態を避けるため築いてきた民主主義というルールを、いま政権が自らの手で壊している。そして、憎悪と怒りを沖縄じゅうにばらまいています」と。

こんなことがいつまでも通用すると思っている傲慢な為政者たちは、遠からず歴史の手痛いしっぺ返しを受けるに違いありません。

03/12 昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」は、番組のほとんどを、原発ゴミはどこへ行く?でおなじみの「核のゴミ」問題に絞って、見ごたえがありました。
なかでも興味深かったのは、日本の原子力開発政策の推進に当初から携わってきた元科学技術庁事務次官・伊原義徳さんの証言。「核のゴミの問題を考えなかったのか?」の問いに対し、「まったく議論しなかったわけではないが…」と、いかにも歯切れの悪い伊原さんの表情は、苦渋に充ち満ちていました。
また、地下水漏れや地層のずれと亀裂に不安が残るフィンランドのオンカロ(ONKALO=洞窟)処分場、同じく地下水が流れ込んで「岩塩層安全神話」が崩壊したドイツのゴアレーベン処分場のルポは、こうした地層処分が依然として未完成の技術であることを、教えてくれました。
しかし、特筆すべきは、2022年からオンカロで高レベル放射性廃棄物の埋設を開始するフィンランドが、「もしも不具合が出た場合には、いつでも即撤退する」と決めていることです。しかも、「処分場と原発はセット」といった考えから、処分場の当てのない原発建設は認めない。終始一貫「無責任」を押し通すどこかの国とは決定的に異なるところです。
論より証拠、その後に登場した「不思議の国の経産相」は、堂々「最終処分場と再稼働はリンクしない」などと言ってのけたのでした。

03/11 きょうは「3・11」4周年。波のように大きく揺らぐ足元に、三陸を襲った大津波の映像に、「この世の終焉」が頭をかすめた「あのとき」のことを思い出します。
多くの人々が、それまでの生き方を見つめ直さなければ、と心に決めました。政治の在り方についても、原発についても… しかし、それは、ウソかホントか猿でもするという「いっときの反省」でしかありませんでした。
いったんは見切りをつけた自民党長期政権に息を吹き返させたばかりか、以前にも増して復古的な強権政治を招く結果となってしまいました。そしてその政権は、多数の民意に反して、公然と「原発再稼働」を呼号するまでになっています。
そんなときに語られたメルケル独首相の次の言葉は、私たち日本人に向けての痛烈な批判のパンチと受け止めるべきでしょう−。

「私は長年、核の平和利用には賛成してきました。…私の考えを変えたのは、やはり福島の原発事故でした。この事故が、日本という高度な技術水準を持つ国で起きたからです。そんな国でも、リスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示しました。このため、本当に予測不能なリスクというものがあり、私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かりました。だからこそ、私は当時政権にいた多くの男性の同僚とともに脱原発の決定をくだしたのです。」

03/10 けさの朝日新聞によると、福島第1原発の立地する福島県双葉町が、町内に2基ある原発推進広告塔を撤去することにしたそうです。
「原子力 明るい未来のエネルギー」「原子力 郷土の発展 豊かな未来」など、「ブラックユーモアとしては格好の標語」が掲げられているだけに、とても惜しい気がいたします。
ちなみに、清水修二さんの差別としての原子力(1994年初版)の第2章「ミイラとり酔夢譚:原子力で地域は発展するだろうか」の中扉には、この写真を掲載しています。
で、この写真を見るたびいつも思い出してしまうのが、ポーランドはオシフィエンツィム(アウシュヴィッツ)のナチス収容所メインキャンプ入り口に建つアーチです。
そこには「Arbeit Macht Frei」(働けば自由になる)とあります。その形状といい、言っていることのウソ臭さといい、両者は瓜二つと言えましょう。
双葉町は広告塔の標語を町民から公募したのですが、当時小学6年生だった作者のひとりは、「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい」と語っていますが、ごもっとも。
来日中のメルケルさんも言うように、平和にしても原発にしても、肝心なのは「過去の総括」をきちんとするかどうか、なのですから。

03/09 昨年の「閣議決定」を承けての安保法制についての「与党協議」なるもの、けさの朝日新聞社説も書いていましたが、何が何やらさっぱり理解不能。
そもそも法文の基本概念からしてが、きわめてあいまい。訳の分からぬへんてこりんな用語を次々繰りだしては撤回、変更する。「存立事態」は、いつの間にか「新事態」とされましたが、さっぱり意味不明という点では、何も変わるところがありません。
さらには、いつの間にか「地理的な限定をするものではない」などと言いだし、これまた訳分からなくなった「周辺事態」も、「重要影響事態」などと言い換えられ、混迷の極み。
これほど言葉がご都合主義的に使われ冒涜されるのは、この国の法制史上稀有の「事態」ではないでしょうか。後世の歴史家は、これを「カメレオン事態」とでも呼ぶことでしょう。
ともあれ、こうして物事の本質を隠し煙に巻きながら、この国が一歩一歩「戦争のできる国」へと歩を進めつつあることだけは確かなようです。

03/06 おととい本欄にご登場いただいたばかりの「どこへ出しても恥ずかしい」アノNHK会長ですが、きのうの定例記者会見でも、またまたバカなことを言ってくださいました。
けさの朝日新聞デジタル「速報」によると、ご自身の発言がたびたび「誤解を招いてしまう」のは、「私に問題があると思っている」などと、一見殊勝な「自己分析」を述べ立てたうえで、次のように続けたそう−。

「私の発言が、いらんことまで付け加えちゃう。これは僕の話し方の問題だと思っている。今から話術の勉強をアナウンサー室にも籍を置いて、勉強させてもらいたい」と。

どう考えても、周囲にとっては「寝覚めの悪い冗談」でしかないのですが、ご当人はいたって真剣、「冗談じゃなくまじめに思っている」と言うからタチが悪い。
コレ、古来「恥の上塗り」とか言われてきたものです。迷惑被るのはアナウンサー室だけじゃありません。心ならずも、こんな輩に受信料を貢がせられる視聴者のことにも、少しは思いを致していただきたいものです。

03/05 昨夜のBS朝日「昭和偉人伝スペシャル」は渥美清さん。「寅さん」はついに、「偉人」や「聖人」にまで登り詰めたようです。
「男はつらいよ」には、夕方の帝釈天で源公が鐘を撞く、毎度おなじみのシーンが出てきます。思えばあれは、確かに「偉大なるマンネリズムの象徴」と言えなくもないのですが、それが毎回撮り直したものであることを知りました。
そんな山田洋次監督の「徹底したプロのこだわり」に触れ、以前、監督が若者たちを前に講演で披露された「寅さん」撮影現場のエピソードを思い出しました−。

「映画ってのは、ワンカットずつつなぐでしょ。でオールラッシュ、全部つないでみたら、やっぱり二つある〔渥美さんの〕アップはよくない、二つめのアップが短いんだよ。どうしても俺、これで納得するというわけにはいかないと考えて、大道具さんに頼んで、悪いけど、あの後ろにある床の間のセットのところをもう一回作ってくれ、渥美さんに再度撮らせてくれ、あともう二秒でいいからじっと見ていてくれと言ってね。そして二秒間見ててうなずくという芝居をようやく撮った。一〇日も二〇日もたってから、あの二つのアップをとりなおした。…
 でも、その一〇秒を一二秒にしたことで、そこにこめられたさまざまな思い、ああ、妹が俺に〔博と結婚することの〕許可を求めている、俺がこの子にいったい何をしたのだろうという、そういう寅の後悔と悲しみと、もう一つは喜び。ああ、妹がこんな幸せな顔をしているというね。ああ、よかったんだというふうな、そういう内面の葛藤をあの画面で表現できたんだ」(山田洋次を観る、pp.107-109)。

03/04 いやぁ、きのうは終始朦朧としていて、デスクワークも叶いませんでした。ひょっとして「危険ドラッグ状態」って、あんなものなのかもしれません。
さて、きのうの朝日新聞文化欄、このほどNHK経営委員長代行を退任された早大教授・上村達男さんのインタビュー記事を読んでの率直な感想−。

「就任会見時の『政府が右と言うことに対して左とは言えない』とか、従軍慰安婦問題について『正式に政府のスタンスがまだ見えない』といった最近の籾井会長の発言は、政府の姿勢におもねるもので、放送法に反します。
 会長は『それは個人的見解だ』と言って、まだ訂正もしていませんが、放送法に反する意見が個人的見解というのは、会長の資格要件に反していると思います。」

ごもっとも。さらには、「籾井会長を立派な会長だと思っている委員はほぼいないのではないか」(よく似たお方は何人もいますがね!)、「私はずっと罷免すべきだと思っていた」と。
まったく同感。でも、せっかくそこまでお考えでしたなら、なぜ退任される前に、もっとはっきり主張していただけなかったのでしょう?「もしも否決されたら逆効果」との理由は、あまり説得力があるとは思えません。
上村さんの退任で、同経営委員会から「良識」が消え去ってしまうことを強く怖れるものです。

03/03 かぜ薬のせいで頭がボーッとしていますので、「遠吠え」は本日休載とさせていただきます。あしからず。

03/02 今週から3月。東京近辺では紅白の梅が開花し、春の訪れを告げています。
とはいえ、TVニュースが、猛烈な地吹雪の映像とともに、北日本の悪天候を伝えるのを見聞きすると、「春が来た、春が来た」なんて浮かれているわけにもまいりません。
さて小社、先日突如、恥ずかしながら「メイル受信不能」状態に陥ってしまいました。出版というこの稼業、いまやメイルなしにはやっていられません。おかげで先週後半は、修復作業でてんてこ舞い。
いくら設定をいじっても、ままなりません。もうお手上げとなってプロバイダーに泣きつくと、「こちらのアカウントは、容量超過のエラーが発生しております」とのこと。
そういえば、思い当たる節がありました。このところ重たいデータのやりとりが続きオーバーフロー気味のところへ来て、駄目押しのでっかいデータがドカーンと送られきて、ついにパンクとなったよう。
そうと知ってみれば、どうっていうことがありません。要は、受信の器を大きくすればいいだけのこと。この「文明の利器」を使い始めて16年、その間、こんなことはなかったのですが、考えてみれば、この間、1度にやりとりするメイルの容量は格段と大きくなっているわけで、「16年1日」容量上限値を変えずにきたのが、そもそもの間違いなのでした。
そんなわけで、先週、小社へメイルを寄せてくださった皆様には、心からお詫び申し上げる次第です。