back number 2015-02(February)

厳冬期の八ケ岳(13.01)

02/27 朝日新聞紙上に再登板の池上彰さんですが、けさの「新聞ななめ読み」は興味深く読ませていただきました。
先日の誕生日記者会見での皇太子発言について、朝日、毎日、読売、日経、産経各紙の報道内容を丹念に読みくらべています。
池上さんによると、毎日は、皇太子が「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と述べたと報じていたのに、朝日はこのことに触れなかったのはいかがなものか、というのです。
現内閣が「憲法解釈を変更したり、憲法それ自体を変えようとしたり」しているとき、この言及は意味深長というわけです。まったく、おっしゃるとおり。
しかも、池上さんがこの発言を、日本国憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を引いて意味づけているのには、大いに得心。
首相をはじめ国務大臣、国会議員の圧倒的多数がこの憲法を目の敵にし、ないがしろにしている昨今、この指摘の意味は大きい。ひょっとして朝日は、「バッシングPTSD」(?)なのか、「憲法」に関して腰が引けてきたんじゃないでしょうね。

02/26 「フクイチ」の排水溝から高濃度の放射性汚染水が漏出している問題について問われた「責任あるお二方の答え」(いずれも、けさの東京新聞から)。
まずは、2013年11月に東電から汚染水漏出の報告を受けていながら、適切な対策を指示することなく放置してきた、原子力「規制」委員会の田中俊一委員長の言い訳−。

「排水溝は雨水などがあり、コントロールできない。放置していたわけではなく、会合で議論していた。(規制委に)責任問題はまったくない。」

次に、IOC総会で堂々「汚染水の影響は完全にブロックされている。状況はコントロールされている」などと強弁した首相の「お友達」にして「女房役」、菅義偉官房長官の居直り−。

「港湾外の海水の濃度は法令告示濃度に比べ十分に低い。汚染水の影響は完全にブロックされている。状況はコントロールされている。」

何たる無責任の極致! そんな記者会見の様子をTVニュースで見ていて、お二方のお顔がだんだん「蛙の面」に見えてきました。蛙さん、ごめんなさい!

02/25 けさの東京新聞によると、東京電力が、福島第一原発の排水溝から高濃度の放射性物質を含む水が外洋に漏れ続けるのを放置していたことが発覚したそうです。
しかも、昨年4月以降、そうした事実を把握していながら、データを公表しようとしなかったというのは、「れっきとした犯罪」。つまりは、「盗電の隠蔽体質はいまも健在?」ということです。山川剛史記者は、こう解説します−。

「東京電力は『福島復興への責任を果たす』と強調する一方で、福島第一原発から高濃度汚染水が漏れ続けているのを知りつつ公表せず、対策を講じようともしなかった。東電の隠蔽体質は今も続き、福島を裏切り続けていたとも言える」と。

まったく同感。サイト内の汚染水タンク群に手を焼く東電は、ひょっとして「海の浄化作用」に期待を寄せて、あえて頬かむりしていたのかもしれません。
そう、「国際的な原子力推進機関」と思えなくもないIAEAから、「汚染水は、希釈して海へ放出したらどう?」なんて「願ってもない助言」を受け、「渡りに舟」とばかり放出し続けた、といった勘繰りも、まるで見当外れでもないでしょう。
前にも紹介しましたが、アルコールで肝臓を病んでしまったわがポン友は、いつも居酒屋で、「薄く、うすーく」なんて言いながら立て続けにウーロンハイを何杯も注文し、呑み続けています。IAEAも東電も、考えていることは、彼の酔っ払いと似たり寄ったり、というわけです。

02/24 けさの朝日新聞に掲載された、精神科医・斎藤環さんの寄稿「キャラの立った高齢者」批判は、肚の底から得心。
ついついそう書きたくもなってしまうのですが、斎藤さんの本題は「(表現のまわりで)差別発言、キャラで免責」で、くだんの「高齢者」とは、作家の曽野綾子さんのこと。
槍玉に上がったのは、この11日の産経新聞紙上での暴言−。

「南アフリカ共和国 の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。」

これだけあからさまなレイシズム発言も、いまどき珍しい。なのに、マスメディアはこれを重大視しない。それはおかしいじゃないか! というのが、斎藤さんの言い分。

「『ああいうキャラだからしょうがない』と笑い、『ツッコむだけ野暮』と免責する程度には寛大だ。しかしこれは、『立ったキャラ』の言動については責任能力を問わない、という意味で差別であり、キャラの人権の否定にほかならない」と。

だけど、考えてみれば、この手の徒輩はいっぱい思い浮かびます。石原シンタロー氏を先頭に、麻生タロー、タモガミ某、モミイ某、ヒャクタ某氏ら… どういうわけか「右筋」に偏在します。
あっ、そうか、「高齢者」とも言えないけれど、安倍シンゾー氏なんてのも忘れちゃいけません。

02/23 4度目の「3・11」を前に、人々の「反対」の声に耳を貸すことなく、「再稼働」へ向けて猪突猛進する日本の原発。まるで事故などなかったかのように、そして、「原発ゴミ」の最終処分問題について何ら解決策を持っていないというのに…。
けさの東京新聞社説が、この問題を採り上げています。その中で、「世界中で最終処分場の立地が決まっている国」としてフィンランドとスウェーデンを挙げ、そこでは「なぜ、合意できたのか」を問うています。
倉澤治雄さんの原発ゴミはどこへ行くには、その問いへの答えがたくさんあります。倉澤さんは、「『オンカロ』への道は、長い議論と民主的な手続きの賜物」として、次のように書きます−。

「人口わずか500万人余りのフィンランドが、高レベル放射性廃棄物処分場の建設でパイオニアとなった背景には、長期的な戦略を立て、徹底した民主的プロセスで、事業者、政府、規制機関が住民の信頼を獲得したことが大きい。
 その間、事業者は住民参加型の意思決定プロセスを尊重し、政府はゼロとは言わないまでもほとんど自治体に利益供与することなく、立地自治体の自主性を尊重したのである。
 フィンランドを手放しで礼賛するつもりは毛頭ない。しかし『信頼と責任』という言葉を、賛成派からも反対派からもたびたび聞かされたことは、私にとっては新鮮な驚きだった。
 ひるがえって世界第三の経済大国日本に、なんと『信頼』と『責任』が欠けていることか…と(pp.55-56)。

このように、「原発ゴミ」の問題は、「科学技術の問題ではなく、民主主義の問題なのである」(p.53)。

02/20 けさの東京新聞社説「NHK籾井会長 再び問いたい適格性」を読んで、腰を抜かすほどビックリしました。
いやねぇ、「どこへ出しても恥ずかしい」このお方が、「公共放送のトップとしての適格性」を問われるのは、今に始まったことじゃないし、経営計画を説明するために出席した民主党の会合で問題発言を追及され、「会議後に『くだらん』とこぼして、これに抗議する民主党議員と罵声を交わした」なんて話も、知性と品性を著しく欠いたあのお方のことですから、「さもありなん」と思うだけ。
リベルタ子が腰を抜かしそうになったのは、その後のくだりです−。

「問題は会長だけではない。同じ日、放送総局長は記者会見で『NHKの職員といえどもサラリーマン。(上の意向への)忖度は企業や組織には普遍的に存在している』と述べて、会長や予算承認権を握る与党の意向を忖度する空気が局内にあることを認めた。」

安倍政権による「右向け右!」のメディアコントロールは、「公共放送」をかくも無残なまでに劣化させてしまった、ということです。
上の方ばかり向いている「ヒラメ人間集団」が、「皆様のNHK」だって!? 冗談じゃないっ!

02/19 あれだけの集中砲火が浴びせられれば、あたかもそれが真実であるかの気分にさせられてしまうのは、無理もないことでしょう。この間、たくさんの人々が、「植村=ねつ造記者」説を端から信じて発言するのを、見聞きしてきました。
ところが、どうでしょう? その方々は、植村さんの書いた記事を実際に読んで、そうした判断を下したのでしょうか? 私にはどうにも、そうとは思えません。
で、慶大名誉教授の小林節さんは、「挺身隊」と「慰安婦」の混用問題について、こう指摘しています−。

「それは当時の彼国における用法と他紙の報道に倣ったもので、特別に批判に値しないものを、いつの間にか、悪意の『捏造』の話に変更され、それが攻撃の根拠にされた。しかし、重要な点はその『悪意』が何ら立証されていないことである。」

論より証拠、恥ずかしげもなくライバル紙蹴落としに血道を挙げた読売新聞でさえ、92年1月まではそうした「混同」をしていたことを、さんざ朝日叩きをしたあとで、自ら認めているのです(同紙、2014年8月29日付)。
コレ、「報道機関」として恥ずかしくありません?

02/18 昨夜のJCJ緊急講演会「慰安婦証言、ねつ造ではない」は、広い会場を埋め尽くした聴衆で熱気ムンムン。
今回、「慰安婦報道の主犯」とされ、ご家族ともども猛烈なバッシングの矢面に立たされてきた元朝日新聞記者・植村隆さんが登壇、2時間にわたって講演しました。
「吉田清治証言」に関する記事も書いていないし、慰安所設置に軍が関与したとも書いていない植村さんがなぜ、そのようなフレームアップを受け、憎悪の対象とされることになったのでしょう? その背景について、植村さんは次のような要因を挙げています−。

1)朝日の記者で、最初にカムアウトした金学順の記事を書いた。
2)朝日の歴史認識・リベラリズムへの嫌悪。
3)妻が韓国人で、義母は遺族会幹部。
4)無罪が確定したが、義母が詐欺事件で摘発されたことがある。

それにしても、近年のこの国の「世間様のバッシング」たるや、つくづく常軌を逸している、と痛感します。
いったんスケープゴートとされるや、新聞・週刊誌・テレビが一斉に襲いかかり、ネットでは「娘を自殺に追い込んでやる」などと、読むに堪えない悪罵が投げつけられる。活字メディアに、「国賊」だの「非国民」だのといった亡霊のようなフレーズが堂々登場したことも、忘れるわけにはゆきません。
この国は「70年前」に回帰しようとでもいうのでしょうか? 改めて「戦後70年の意味」を深く考えなければならない時が来たようです。

02/17 オイオイ、またかよー? ちょうど1週間前に「オヤッと思わされた」NHKニュースですが、昨夜は「いよいよ、ここまで来てしまったかぁ!」と、憤懣やるかたなし。

「内閣府が発表した去年10月から12月までのGDPの伸び率の速報値は、物価の変動を除いた実質で前の3か月と比べてプラス0.6%と3期ぶりのプラスとなりました。…この結果、去年1年間のGDPの伸び率は実質でプラス0.04%となり、3年連続でプラスとなりました。…」

と、ここまでは政府発表をそのまま流すだけのこと。つまりは、「政府広報と見紛うばかりの発表ジャーナリズム」ぶり
おまけにその後には、中小企業には違いないものの、目下、円安の恩恵をこうむっている化粧品輸出ベンチャー企業経営者の「喜びの声」(?)などを続けて、「アベノミクスのおかげで景気が上向いてきた」という、クサーい政府プロパガンダへと視聴者をいざないます。
けさの新聞各紙の、「個人消費 伸び悩み/都市と地方 回復に差」(東京新聞)、「14年GDP、ほぼゼロ成長/増税後に個人消費戻らず」(朝日新聞)を並べてみても、ジャーナリズムの原点たる「批判精神」をすっかり欠いてしまった「モミイNHK」の報道スタンスの異様さが浮き彫りになります。
これじゃ、どこから見ても「国営放送」というしかありません。

02/16 ここで見逃すわけにゆかないのが、「自民一強体制」成立以降、「報道の自由」への政治的権力の介入があからさまになってきたことです。
これは何も、先に見た「モミイNHKの惨状」だけの話ではありません。いまやその魔手は、民放や新聞・雑誌を含むマスメディア全体に及んでいるのです。
ジャーナリストの原真さんは、近刊のテレビの実像の中で、この間のマスメディア報道に対する安倍シンゾー氏らの執拗な介入の事例を挙げ、そこに「露骨なアメとムチの情報統制」を見ます。
そこで重要な役割を果たしているのが、安倍が45万人以上のフォロワーを抱えているといわれるSNSのようで、原さんはこうしめくくっています−。

「政治家は批判に謙虚に耳を傾け、マスメディアなどで交わされる多様な意見を踏まえて、民主的な合意形成を図っていくことが求められる。だが、自民党内でも『一強』といわれる安倍にとっては、ネットを主舞台に支持者に向かって一方的に自己主張し、異論を抑圧することこそ、政治コミュニケーションなのかもしれない。マスメディアは、それにひるんではならない」(pp.187-188)。

02/13 あっ、そうそう、放送法第4条には、こんなことも謳われていましたっけ−。

 「2 政治的に公平であること。
  3 報道は事実を曲げないですること。
  4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの
    角度から論点を明らかにすること。」

NHKのОBたちでつくる「放送を語る会」による「集団的自衛権行使容認〜テレビニュース番組はどう伝えたか〜:2014年5月〜7月」という丹念なモニター報告があります。
そこには、こうあります―。

「『ニュースウオッチ9』の集団的自衛権関連の放送をチェックしたところ、与党協議の経過や内容、安倍首相記者会見…など、政府与党の主張の紹介が放送全体のおよそ7割を占めている。
 あとは記者の解説、国会審議のダイジェスト、街の声、各党の反応、といった内容であり…、国会外の批判的な見解は取り上げられていない。抗議デモなど市民の行動にも極めて冷淡である。
 一回の放送を視聴しただけでは分からないが、一定期間通してみたとき判明したこの偏りは指摘しておかなければならない。行使容認については、視聴者・国民の中に反対の声が強く、また識者の有力な反対意見も存在した。このような批判、反対の声に対して放送内容は公平とは言えない。」

どう見てもこれは「不公平な報道」です。「公共放送NHK」は、恥も外聞もないモミイサンの、アノおオツムの中を忖度しながら動き始めた、と見るしかないのではないでしょうか?

02/12 折しも、つい先だって、ジャーナリストや学者らによる「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」が発表されました。
「イスラム国」人質事件後、「政権批判の自粛」がこの国全体に広がっている、というのです。昭和末期の「Xデー」騒ぎ同様、何をトチ狂ったのか、マスメディアはすっかり「権力監視」「権力批判」の牙を抜かれてしまいました。声明は、こうした「『物言えぬ空気』が、70年前の戦争による破滅へ向かった」と指摘しています。
そんな「昨今のマスメディアの体たらくの最先端」を行くのが、「モミイNHK」なのです。
「どこへ出しても恥ずかしい」この会長氏、2月5日の定例記者会見では、「戦後70年目の節目に従軍慰安婦について番組で取り上げる可能性について問われ『(慰安婦問題について)正式に政府のスタンスがよくまだ見えない。慎重に考えなければならない』などと述べた」そう(2/6 朝日新聞)。
これじゃまるで「国営放送」ですね。就任後1年を経たというのに、いまだに「放送法」をお読みになっていないよう。いや、読んでもさっぱり理解できない、というのが真相なのでしょう。
そんな情けないご仁には即刻お辞めいただくよう、モミイサンの鼻先に、再度、この法律の条文のごく一部を突きつけさせていただきましょう―。

 第1条「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」
 第3条「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」

02/10 昨夜、NHKニュースを視ていて、オヤッと思うことがありました。NHKの世論調査で、「安倍内閣支持」が前月より4%上がり54%に、「不支持」は3%下がって29%になった、というのです。
一瞬、「コレ、何か操作でもされてるんじゃないの? 何せ、『右向けー右ッ!』と言われたら、いつまでも右を向いてるっていう、あのモミイ会長を戴く局の調査だもんね」なんて思いましたが、テレ朝「報道ステーション」の調査も、2月は、「支持」が50.9%で、前月より5.3%上がり、「不支持」は26.9%で、9.4%も下がっています。
ってことは、これが現在の大方の「世論」なのかもしれません。おそらくは、この間の「イスラム国」による人質殺害事件が、問題解決に何がしかの貢献をしたとも言えない政権に、有利に働いたということなのでしょう。
では、何でそんな「世論」が形成されてしまったのでしょう? 民主党政権のあまりのお粗末ぶりを見てしまった人々からすれば、「他の内閣よりよさそうだから」となるのは、あながち見当外れとも言えません。
でも、問題はその先にあるのだと思います。それを解くカギは、この間のマスメディア報道にありそうです。
これについては、次回に譲りましょう。

02/09 わずか10数年で売上げが半減してしまった日本の出版界。「このままでは、日本のこの多様性に満ちた出版文化はいずれ消えてしまうだろう」との危機感から、珍しく『新潮45』2月号が、「『出版文化』こそ国の根幹である」という特集を組んでいます。
その巻頭論文、数学者・藤原正彦さんの「『読書と教養』が国民の大局観を育てる」は、「本の効用」を説きながら、おおっぴらに割引販売を始めたアマゾンに批判を加えています―。

「日本のアマゾンが学生割引だけでなく、シニア割引やら何やらを取り入れてご覧なさい〔すでに一部で実施されている〕。あちこちの本屋が潰れるのは、おそらくあっという間です。
そうしたら、取次が潰れ、残った出版社はアマゾンの子会社化するでしょう。書店がなければ、アマゾンで売ってもらうしかない。その場合、価格決定権がアマゾンに委ねられるだけでなく、アマゾンの意に沿わないような出版物は出せない、ということまで起こりかねません。つまり、言論の自由すらなくなる可能性だってあるのです。だから、絶対にアマゾンの謀略は阻止しないといけない。どんなことがあっても、罰則を設けないといけないと思います〔フランスでは「反アマゾン法」が制定され、一定の歯止めとなっている〕」(pp.24-25)。

蛇足ながらリベルタ子も、「紙」とともに去りぬで、同様の観点からこの問題を論じたことがありますが、そうした主張は、決して「出版社の我田引水」などではない、ということです。

02/06 「イスラム国」の人質殺害事件は、ヨルダンの死刑囚2人の刑執行、空爆…と、「果てしない報復合戦」の様相を示してきました。
それは、問題の解決に何ら役立たないばかりか、むしろ事態をますます泥沼化させるだけだということは、「アホで間抜けな大統領」による今世紀初めの愚行から、私たちは学んだはずでした。
そんな憎しみと不寛容の連鎖の根源には、「善悪二元論の害悪」があるようです。
善悪中毒の著者・東郷潤さんは、長期にわたる海外生活の中で痛感させられてきたその「害悪」の問題性を、こう締め括っています―。

「人々が善悪中毒を乗り越えないかぎり、分裂・戦い・抑圧または抹殺・一時的な平和というサイクルは、無数の人々を巻き込んで、永遠に繰り返されていく。
人類の歴史と、現在の世界情勢を思い起こしていただければと思う」(同書、p.122)と。

「0か1か」のデジタル思考、「敵か味方か」のゲーム感覚が、そうした傾向を助長しているのかもしれません。

02/05 久しぶりに伺うお名前でした。肺ガンを克服して、現場復帰されていたのですね。NHK解説委員の柳沢秀夫さんです。湾岸戦争の頃から、NHKの中で珍しくリベルタ子が深い敬意を払い続けてきた、「ホンモノのジャーナリスト」です。
その柳沢さんが、この2日の朝の番組で、「冒頭なんですけど、すいません」と切りだし、「イスラム国」に殺害された後藤健二さんについて発言されたことを知りました。
これを書き留めてくださった水島宏明さんのブログから引用させていただきましょう―。

「ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。
 戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。
 それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない…」

きのう、ある人が「民間軍事会社を作ろうとしていた湯川なんて男はけしからん。それを助けようとした後藤という人の気が知れない」と、「自己責任論」に通じるようなことを言うのを耳にして、憤りを覚えたばかりのことでしたので、柳沢さんのこの言葉には、とても救われる思いがいたしました。

02/04 まずは当HPのアクセスカウンター復活のご案内から。実は、先月の事務所移転を機にインターネットプロバイダーを変更したのですが、それとともに、旧プロバイダーに依拠していたカウンターも機能停止を余儀なくされてしまいました。
あれやこれやの忙しさから、その後しばらく修復できないでいたのですが、きのう、これが誰にでも簡単にできることを "発見"。ようやく復活に漕ぎ着けたというわけです。
さてきょうは、JCJ緊急講演会「慰安婦証言、ねつ造ではない」のお知らせ。激しいバッシングの最中にある元朝日記者・植村隆さんを迎え、事の真相を語っていただきます―。


02/03 とはいえ、この「極悪、非道」に対し、ネオコン流の「テロとの戦い」を対置したのでは、何の解決にもならないどころか、かえって混迷を深めるだけ。そのことは、まさに当の「イスラム国」が、なぜこの時期に、あの地域であれほどの勢力を拡大したかを考えてみれば、明白です。
きのうの朝日新聞で、ジャーナリストの池上彰さんが語っていたように、「全ては2003年の米ブッシュ政権のイラク攻撃から始まった」のですから。
昨年は「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定し、今回は、この忌まわしい事件をむしろ奇貨として、「自衛隊による在外邦人救出」ができるよう法整備を狙っているかの、安倍政権の「積極的平和主義」なるものは、どう見ても、「ヤブから棒大統領失敗の軌跡」を辿っているとしか思えません。

02/02 とうとう「最悪の結末」を迎えてしまいました。あれだけ世界の耳目を集め、多くの人々が助命を求めたにもかかわらず、何の罪もない一人のジャーナリストの尊い命が公然と奪われてしまったのです。
イラク人質事件で拘束された安田純平さんが言っていましたが、この蛮行は「テロ」なんてものですらありません。「強盗や山賊の所業」としか思えません。
いまはただ、素晴らしい視点の持ち主だった後藤健二さんのご冥福を祈るだけです。