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報道の自己規制:メディアを蝕む不都合な真実
 「報道の自己規制」がこの国の民主主義をダメにする!

デジタル・ストーリーテリング:声なき想いに物語を
 「デジタル時代のメディア・リテラシー」の可能性!

山道脇にひっそり咲くフシグロセンノウ(16.08)

零細出版人の遠吠え

08/26 東京外語大HPが、先日亡くなったむのたけじさん(Cf.08/22)を追悼する特集をしています。、題して「追悼・むのたけじさん:本学での学びの記憶、いま伝えたいこと、未来へ」。「必見」と、友人が勧めてくれました。
確かに、これまで知ることのできなかったむのさんの一面に触れることができました。
むのさんは1936年に東京外国語学校西語部文科を卒業するのですが、卒業試験の日がが2・26事件にぶつかります。「軍隊が学校の入口前にも陣地を張っていたのです。卒業試験どころじゃない。軍人から『帰れ』と言われて、結局学校へ入れずに帰りました」。
というわけで卒業式もなく、80年後の昨秋、「戦後70年企画:東京外国語学校・東京外事専門学校卒業証書授与式」において、100歳を過ぎて晴れて卒業証書を受けることになったのでした。
で、むのさんのお茶目な一面を象徴するエピソード−。

4年生のとき、スペイン語劇に出演することになったむのさんは、「どうせうまくできないから端役でもやろう」なんて言って、お茶目な娘役を演じます。そして芝居が終わって…

「スペイン大使館関係者と思われる娘さんたちが5、6人やってきて、『この中には本物のスペインの女の子が隠れてる!』と言う。…衣装や化粧などは築地小劇場の人たちが手伝ってくれましたので、本当にそっくりだったのでしょう。それで、その娘さんの一人が『スペインの女の子だ』と言うんです。そこで私は服を脱いで、胸のふくらみを出すために使っていた綿を見せてあげた。それを見て、スペインの娘さんたちはキャッキャッと笑っていましたね。」

なるほど、HPに登載されているそのときの集合写真をみると、スペインの娘さんまでも騙されてしまうほど、なかなかの美人に写っています。これだけでも覗いてみる価値のある追悼企画です。

08/25 ここにも何回か登場していますが、NHK退職者らで構成する「放送を語る会」という団体があります。その会がこのほど「2016年参院選・テレビニュースはどう伝えたか〜憂うべき選挙報道の現状〜」という報告書を出しました。
今回で18回目ですが、「録画した番組内容を書き起こし、録画機器のカウンターをみて放送時間量を計算するという全くの手作業」によるモニター活動には、つくづく頭が下がります。
で、今回、モニター担当者から一斉に上がったのは、「なぜこんなに選挙報道が少ないのか」という声だったそう。
その傾向は、とりわけNHKに顕著で、「ニュース7」は、公示日から18回の放送のうち、実に半分が「関連報道が無い日」だったし、「ニュースウオッチ9」にいたっては、投票日直前の2日間は選挙関連放送そのものをしていなかった、といいます。
報道内容についても、たとえば「ニュース7」は、公示日の放送の冒頭でキャスターが「安倍政権の経済政策、アベノミクスなどが争点になる第24回参議院選挙」などと、政権の思惑に沿ったアジェンダセティングをしたそうです。こうして「憲法改正」が、重要な争点から外されてしまったのでした。
そして、報告書最後の「選挙報道の拡充について」の提言には大いに共感−。

「スタジオを開放した政党と有権者の長時間の対話、争点ごとの政党討論の開催、各政党の公約に関する政党別の対話集会、ローカル番組での選挙区の候補者の長時間の記者会見、等々、さまざまなアイディアが検討されるべきである。
 こうした討論に応じない政党があれば、そのことによって企画を中断するのではなく、出席が拒否された事情を有権者に公開すればよいのである」と。

08/24  参院選が終わるのを待っていたのでしょう、政府は、沖縄県北部東村高江の米軍ヘリパッド建設をなりふり構わず強行し始めました。
ここでは、零細出版人もかかわって、きのう日本出版者協議会が出した声明「取材活動への警察の強権的対応に抗議する」を紹介させていただきましょう−。

 「このところ各地で、米軍基地建設や原発再稼働に反対する市民運動への警察の強権的な対応が相次いでいる。しかもあろうことか、これを取材するジャーナリストに対して、問答無用の拘束や逮捕が行われていることは、許しがたい暴挙である。
 8月20日には、沖縄県東村高江での米軍北部訓練場新ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設への抗議活動を取材していた沖縄2紙の記者が、市民と共に機動隊車両の間に閉じ込められている。
 新聞社の腕章をして記者と名乗り続けても聞き入れられず、約15分間の不当な拘束により、記者は市民排除の様子を取材することができなくなってしまった。
 また東京でも、21日未明に経済産業省前の脱原発テントが撤去され、これに抗議する集会を取材していたフリーカメラマンが、公務執行妨害のかどで逮捕されている。
 これら報道に対する警察の強権的対応は、与党大勝の参院選直後から顕著に見られている。
 4月には国連人権理事会が、安倍政権の『過度な権力行使』に警鐘を鳴らしたばかりだが、『ジャーナリストの拘束』にいたっては、民主主義と人権を根底から危機に陥れるものであり、断じて許すわけにはゆかない。
 言論・出版にたずさわるわれわれ日本出版者協議会は、これに強く抗議するものである。」

08/23  けさ早く、郵便受けから朝刊を出してびっくり。「あれっ、けさの新聞どこ行っちゃったんだろ?」 スーパーの安売りチラシの束のようなものを1枚ひんむくと、そこにようやく、いつもの題字が顔出ししたというわけ。
いちばん外側の「安売りチラシまがい」は、リオ五輪のメダリストらの写真のスライドショーのようでした。
「あっ、そうか、やっと "メダル、メダルの馬鹿騒ぎ" は終わったのかぁ」…。「全編コレスポーツ新聞シンドローム」に苦々しい思いを抱いてきた「コクゾク」にして「ヒコクミン」は、そう思ったのでした。
そういえば、きのうの五輪閉会式では、東京五輪組織委員会が、世界に冠たる日本のゲームソフト「スーパーマリオ」「パックマン」や、人気アニメ「ドラえもん」「キャプテン翼」「ハローキティ」などのキャラクターたちを引っ張り出して、2020年の前宣伝。それに軽薄な宰相が悪乗りしたという。
実は、ゆうべニュースを視ようとしたら、連れ合いが「あなたの嫌いな人が出てくるから、やめといたほうがいいわよ」と制止されたのですが、このことだったんですね?
「日刊ゲンダイ Digital」に、ネット上でのその評判が収録されていました−。

「アニメを使って楽しかったが、最後に "汚物" が出てきて絶望」
「世界に日本の恥をさらした」
「安倍は土管から出てくるためにわざわざ税金を使ってリオまで行ったのか」

どうやらコレ、「サメの脳みそ」シンキロー(森喜朗)氏の発案だそうですが、やっぱり、視ないでおいてよかった。

08/22 「あっ!」−。ニュースを視ていた連れ合いの小さな叫びに、居眠りから目が覚めました。半世紀も前に講演を聴いて以来、零細出版人が尊敬して止まなかった「101歳のジャーナリスト・むのたけじさん」が亡くなったのでした。
視るともなく聴くともなくうつらうつらしていただけのニュース番組は、このところ「萎縮、忖度、自己規制の最先端を行く」と評判の、さる公共放送のものでした。
ところが次の瞬間、寝ぼけ眼の視聴者は、突然、ホントに覚醒することになります。何と、テレビ画面には、あのむのさんが白髪をひるがえし、腕を振り回しながら、「おっきい声」でアジ演説をやっているじゃありませんか!

「ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法9条。9条こそが人類に希望をもたらすと受け止めた。そして70年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった」と。

何度目をこすっても、やっぱりかの公共放送の番組でした。やりましたね、むのさん! 大先輩の「おっきい声」が、あの公共放送局のニュース枠でたっぷり流れたんですよ。感無量でした。「右向け右」と言われる中、「お宝映像」を掘りだしてくださった報道現場のみなさまに乾杯!
ついでに、けさの東京新聞・佐藤直子編集委員の決意にも杯を!−。

「数々の名文句を残したむのさんが語った言葉がある。平和を願うなら、そのための記事を毎日書き続けることで、願いは『主義(イズム)』となり、『ジャーナル(日記)』は『ジャーナリズムになる』。書き続けなくてはならない。私たちはむのさんの思いを受け継ぐ。」

08/19  きのうの続き。同じ欄にきょうは司会者・久米宏さんがご登場、「波風立てる、それがテレビ」だと。いえいえ、新聞・出版とて同じこと。
「お上の言ってることは、必ずしも正しくないぞ」と、永六輔さんから薫陶を受けてきた久米さんは、こう語ります−。

「今のテレビ、特にニュース番組を見ていると、局が失言を怖がっているのか、出演者はガチガチの台本を読まされている。…テレビは世の中全体の鏡。皆がおもんぱかっちゃって、今の時代を象徴している感じがする。僕もそうですが、永さんや巨泉さんたちも、どこかで波風を立てたいという思いがあったように思います。それがテレビだ、と。
 失敗したら、謝ればいいじゃないですか。マスコミもミスをするし、政府だってミスをする。僕もニュースステーションで何度も間違いました。でも、ミスしたからって矛先が鈍ってはいけないと思うんですね。」

そういえばお話に出てきた永さんも、野坂昭如さんも、巨泉さんも、この間次々いなくなってしまいました。それぞれに強烈な個性の持ち主だっただけに、何だか「のっぺらとした時代の到来」を強く思わざるをえません。